本文へ 日米センター(CGP)は日本とアメリカにて、助成、フェローシップ、ボランティア、人物交流、情報発信を行なっています。
国際交流基金 日米センター
CGP NY | 国際交流基金 | English | サイトマップ
トップページ
日米センターとは
所長挨拶
沿革
顧問
公開イベント
団体で助成金をお探しの方へ
個人向け支援・ボランティアの機会をお探しの方へ
CGPの人物交流事業
情報室(刊行物、寄稿など)
アクセス
お問合せ
FAQ
更新履歴
日米センター公募助成プログラム
CULCON(カルコン) 日米文化教育交流会
日米草の根交流コーディネーター派遣プログラム
メール配信サービス
コラムス
日米センターとは

「グローバリゼーション体験記」(霞関会会報 平成20年(2008年)5月No.745掲載)


国際交流基金(ジャパンファウンデーション)日米センター所長
沼田 貞昭

今年(2008年)1月に、日米センターの主要プログラムである安倍フェローシップの新旧参加者14名の研修会が米国フロリダ州ココア・ビーチで行なわれた。私は、日米の若手、中堅の研究者達が各自の研究テーマ、方法論について、政治学、法学、経済学、社会学、人類学と言ったそれぞれの分野を越えて闊達に議論し合う姿に感銘を受けた。参加していたある日本人学者も、ともすると専門のタコつぼに閉じこもりがちな日本の大学に比べて、このような学際的な切磋琢磨が大いに刺激になると述べていた。

今回の研修会の全体的テーマであるグローバリゼーションについて私も講演を依頼され、自分が外交官としてグローバリゼーションとどのように関わり合って来たかを振り返った。以下その要点を紹介する。

サミット

私がグローバリゼーションと言う言葉を意識するようになったのは、グローバリゼーションがサミットの議題として登場した1988年のトロント・サミットの頃である。私自身が外務報道官として同行した1998年のバーミンガム・サミットでは、第三世界の債務帳消しを求めるJubilee2000の運動家たち7万人が「人間の鎖」を結んでデモを行ない、私の外国プレス・ブリーフィングでも、日本の対応が不十分であるとして厳しい質問が浴びせられた。

グローバリゼーションの定義は色々あるが 、煎じ詰めれば、市場と情報とハイテク、特にITの相互作用により人と物と金の動きが活発化して世界が縮まり、世界のある場所での出来事が遠く離れた人とか場所に短時間のうちに大きな影響を与える状態とでも言うことができよう。私自身は、グローバリゼーションの進行に伴い、世界が日本の政治、経済、社会を見る目が大きく変わると共に、日本がグローバルなアクターとして国際社会に一層能動的に関わっていくことが益々必要になっていると感じている。

情報の瞬時伝播

私が1990年代前半に報道審議官を務めていた頃、日本の政治家の発言がアフリカ系米国人に対して差別的なものとして、あるいは、米国人の勤労倫理に疑問を投げかけるようなものとして米国のマスコミに取り上げられて騒ぎになり、火消しに駆け回ることが何度かあった。

身内の座談のつもりで話したことが瞬く間に外電を通じて世界中を駆け巡ってしまう情報伝播の速さと怖さを見て、今日の世界にはくまなく電線が張り巡らされている(Wired)とのデーヴィッド・ハルバースタムの言葉を実感として感じた。そして、外国メディアと話す際にオン・ザ・レコード、バックグランド、オフレコの区別を予め明確にしておくことは必須であると言ったことを始めとして、対外的コミュニケーションの作法とノウハウを日本の政財界等の指導者に心得てもらうことが必要と痛感した。

Too little, too late

1990年から91年のイラクのクエート侵攻、湾岸戦争の際に、連日連夜テレビ画面で見るCNNの生々しい映像が国際世論に大きな影響を与えたことは、「CNN症候群」の端的な例だった。この中で、日本の対応振りがToo little, too lateとの批判を招いたことは、その後の日本国内での「普通の国」論議にも大きな影響を与えた。また、1990年代を通じて欧米主要メディアはバブル崩壊後の日本の経済動向に強い関心を寄せていたが、私が外務報道官として仕事を始めた1998年前半には、内需主導による経済成長および金融システム安定化のための日本の施策が再びToo little, too lateとの批判を浴びるに至った。

当時、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル等米国主要紙の在京特派員は、日本の景気や金融再生の動きについて外資系アナリストの批判的見解を頻繁に引用していた。このような報道に影響されてウォール街は日本に対する懐疑的先入観を強め、ウォール街を熟知しているルービン米財務長官他米政府幹部は厳しい対日批判を行なうと言う、市場とメディアと政府との連携プレーが続いた。私は、米国メディアとのやり取りをするたびに、市場(マーケット)とのシャドー・ボクシングをしているような気がしてならず、何故日本の行動がこのような市場中心の価値基準で判断されなければならないのか釈然としなかった。

レクサスとオリーブの木

 1999年3月に、トム・フリードマン(ニューヨークタイムズ・コラムニスト)が私の所に取材にやって来た。私が何気なくグローバリゼーションと言う言葉を口にした途端に、彼は、近く出版する運びの著書「レクサスとオリーブの木のポイントを次のように熱っぽく語った。「グローバリゼーションは冷戦構造にとって代わる新しい国際システムであり、冷戦構造の特徴が分裂(divison)と壁(wall)だったのに対して、統合(integration)と世界的インターネット(World Wide Web)がその特徴となっている。スポーツに例えれば、冷戦構造が資本主義と共産主義の間の息の長い相撲であったのに対し、グローバリゼーションは自由市場資本主義の下で一瞬にして勝負が決まる100メートル競走の連続である 。

一国の影響力を計る尺度は、冷戦構造では重さ(weight)だったのに対して、グローバリゼーションの下ではスピードである。」これを聞いて、私は、市場における競争への対応とそのスピードが、欧米のメディアが日本を見るに当たっての重要な視点となっていることを漸く理解できた。

グローバリゼーションの光と影

1997年から98年のアジア金融危機はグローバリゼーションの一環としてのヘッジファンド等の資本の動きが東アジア経済に深刻な影響を与えたことを示し、これに対するIMFによる安定化措置に対する反発も相まって、グローバリゼーションの功罪についての議論が活発化した。次いで1999年のケルン・サミットでは「グローバリゼーションの光と影」が取り上げられた。

同サミットの際の私の外国プレス・ブリーフィングでも、アジアからの唯一のサミット参加国としてのわが国からグローバリゼーションへのアジア経済の対応ぶりを説明したこと、重債務国債務救済策についてわが国が困難な決断を行なったこと等がかなりのウェートを占めた。

その2年後に、私は、2001年9月11日の米国における同時多発テロ事件後の緊張と不安をパキスタン大使として経験することとなり、アル・カーエダ等によるテロの脅威が身近に迫っていることを実感した。同時に、アフガニスタンとかパキスタンの急進イスラムの過激な行動の背景に、グローバリゼーションに体現されている欧米的民主主義、自由市場資本主義、物質的富の追求等に対する激しい反感が渦巻いていることを改めて思い知らされた。

昨年(2007年)11月エジプトのアレクサンドリアで開かれた第1回日・アラブ会議に私が国際交流基金を代表して参加した際に、文化セッションのアラブ側参加者の何人かは、グローバリゼーションは形を変えた帝国主義、西欧化に他ならず、アラブ世界は再びその犠牲になってはならないと声高に主張していた。この背景として、世界の各地においてグローバリゼーションから取り残され脆弱な立場に置かれた人々、中東について言えば長年のアラブ・イスラエル紛争とかイラクにおける戦乱の犠牲となって来た人々の尊厳の維持・回復が深刻な問題となっているとの現実がある。21世紀の外交理念の一つとして人間の生活、生存、尊厳に対する脅威への取り組みを重視する「人間の安全保障」を掲げるわが国として、このような問題に真剣に取り組む必要がある。国際交流基金としても、紛争等に苦しむ人々に対して、紛争防止段階では宗教、民族等を巡り対立するグループ間の信頼醸成、紛争後においては紛争当事者間の和解、紛争に巻き込まれた人々の心の傷の癒し、失われた尊厳の回復等のため、文化活動を通じて貢献する方途を探るとの観点から種々イニシアティブを取りつつある。

日本への影響

グローバリゼーションに伴う国家間の相互依存関係の深まりや貿易、投資等経済活動の活性化は、日本および東アジア諸国に利益をもたらして来た。同時に、世界的競争の激化は、バブル崩壊後の日本経済にとって厳しい構造改革の課題を投げかけて来た。2005年9月の衆議院選挙における自民、公明連立政権の大勝は、小泉政権の改革路線が成功し、広く国民の支持を受けたことを示すものと見られた。

しかし、昨年(2007年)7月の参議院選挙における自民党の大敗を通じて、日本国内においてもグローバリゼーションの下での勝者と敗者の格差についての不満が鬱積していたことが明らかとなった。その結果生じた「ねじれ国会」と言う状況の下で、今日、国内政治上の論議へ極めて内向きになっている。

私は、現在、主として日米間のグローバル・パートナーシップ推進を目的とする知的交流に携わっているが、日本国内のこのような内向き傾向が続くと、グローバリゼーションの進行と言う不可逆的な国際社会の潮流の中でわが国が目指すべき方向についての思索と論議が衰退化し、わが国の影響力が一層低下していくことを懸念している。既にワシントンのシンクタンクにおける日本専門家のポストは中国専門家の3分の1(日本専門家12名、中国専門家35名)となっていることに端的に示されているように、米国の知的・政策コミュニティにおいて中国のプレゼンスに比べて日本の影はかなり薄くなっている。

 こうした状況にあって、福田総理は昨年(2007年)11月訪米の際、日米間の「知的交流」「草の根交流」「日本語教育」の三本柱の強化を打ち出し、日米センターはこのうち知的交流の一環として米国主要シンクタンクとの協力プログラムを重視し、民間企業の支援も得て実現するべく努めている。私たちの問題意識が広く国内で共有されて具体的行動につながっていくことを期待している。 

 


Top

TOKYO OFFICE
国際交流基金(ジャパンファウンデーション) 日米センター
160-0004 東京都新宿区四谷4-16-3
Tel (03)5369-6072 Fax (03)5369-6042
NEWYORK OFFICE
The Japan Foundation Center for Global Partnership, N.Y.
1700 Broadway, 15F, New York, NY 10019, U.S.A

Tel (212)489-1255 Fax (212)489-1344