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NPOフェローはいま
「米国、日本、そして、アフガニスタンへ」

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「米国、日本、そして、アフガニスタンへ」

社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA
海外事業課長 市川 斉
パイロット第2期(1999年度)NPOフェロー

AFSCでのフェロー体験

2000年3月から3カ月間、AFSCAmerican Friends Service Committee)で、NPOフェローシップを行ないました。テーマは、「—NGOから見た中間組織の関わりと—NGO内の事業支援のあり方〜緊急救援セクションでの活動を通して考察する〜」。SVAに入職して以来10年間、主に、NGOにおける国内事業、阪神・淡路大震災を初めとする国内外の緊急救援事業に関わっていましたが、長年の仕事で閉塞感を感じていました。そんな折、米国においてはNPOが様々な分野で社会の担い手になっていることを知り、また、NPOをサポートする中間組織がきちんと機能しているという実態に触れてみたいとの強い思いに駆られていた時、この制度を知り、応募しました。

研修先は、AFSCの本部があるフィラデルフィア。AFSCは、第1次世界大戦中、兵役を拒否した人が、一般市民の戦争犠牲者を助けるための組織として、1917年にクェーカー教団によって、設立されました。1947年にはイギリスのフレンズ・サービスとともに、ノーベル平和賞も受賞しています。その当時、海外に22箇所、全米43箇所に活動拠点を持ち、米国内においては、移民、難民、ネイティブ・アメリカンなどの社会的弱者、マイノリティを支援しており、海外では、国際協力活動を行なっていました。

このAFSC本部のEMAPEmergency & Material Assistance Program)に籍をおき、そのセクションから、AFSC全体とそのセクションの関係、関係している中間組織について、学ばせていただきました。

帰国後の活動

2000年7月中旬に帰国。アメリカでの研修を終え、中間組織の重要性を感じていた矢先に、ジャパン・プラットフォーム(JPF)設立に関わることになりました。これは、政府、企業、NGOが協力して、海外での紛争や大きな自然災害の発生を受け、現地に緊急援助に向かうNGOの初動体制を整え、より効率的、効果的な支援活動を可能にすることを目指した構想でした。8月10日、経団連会館にて、NGO、経団連、外務省の3者の合同で記者会見を行ない、体制がスタートしました。当時、JPFNGOユニットの副代表理事として、また、評議会の評議員として関わりました。他の代表、副代表理事のNGOと協力して、他のセクターである経済界、外務省との調整を行なったり、加盟団体間の合意形成など、資金的なことも絡むがゆえ、一筋縄ではいかないことが多々ありました。特に、2001年9月の米国で起きた同時多発テロ事件の後、アフガニスタンに対して米英軍の空爆の影響で、アフガニスタンから大量の難民が発生する恐れもあり、各加盟NGOが対応に迫られました。また、アフガニスタン復興NGO東京会議の開催、アフガニスタン復興支援会議へのNGO参加に関して、国会議員が圧力をかけたとされる問題など、内部の調整に奔走した日々でもありました。2003年3月までのアフガニスタンへ赴任するまでの約2年半、関わりましたが、中間組織の重要性を実感した半面、その調整に忙殺される大変さも感じました。

アフガニスタンでの2年間

2003年から2年間、緊急救援から復興支援に本格的に関わることになり、アフガニスタンでの活動を立ち上げるため、単身赴任の生活が始まりました。SVAとして初めての東南アジア以外の地で、しかも紛争が続く、イスラーム国での活動でした。安全対策に絶えず気を配りながら、事務所の基盤整備、現地スタッフの採用まで、電気すら十分にこない中、夏には50度を越える気候に耐えながら、過酷な日々でした。特にイスラーム文化は、日本人にとっては、根底から違うところもあり想像をはるかに超えるものでした。

しかし、米国で、特にAFSCのようにマイノリティを大切にして、多様性を尊重する姿勢を学んだことは役立ち、自分の心の支えになったといっても、過言ではありませんでした。活動の土台作りをして2005年に帰国しました。

自分の足元で関わって

帰国後、SVAの海外事業課に籍をおき、再び、日本での生活がはじまりましたが、その中で地元の地域のかかわりもでてきました。今まで、阪神・淡路大震災での緊急救援及び復興支援活動、そして、アフガニスタンをはじめとする国内外での緊急救援活動など、いろいろな現場で活動をさせていただきました。ただ、その一方で、自分の学んだことを身近な実践として生かしていかないといけないのではと思いもあり、地元とかかわることになりました。ひとつは、西東京市のボランティア・市民活動センターの要請もあり、2005年6月から、災害時のシステムづくり検討委員会の立ち上げに関わり、その委員長として、今まで活動させていただいています。西東京市に住む一市民として、災害時にどのような取り組みができるのか、また、災害が起こる前に日頃の備えとして何ができるのかを、他の委員の皆さんと議論を重ねて、同年11月には、『西東京ボランティア・市民活動センター「災害時の対応」に関する答申』として、同センターに提出し、広くそれを広報しました。これまでの3年間、災害に関する講演会、災害を考えるまち歩きワークショップ、災害時における徒歩帰宅訓練の実施など他の委員の皆さん、事務局の方と協力して実施しています。

また、同じ頃から、災害に強いこと、それは、自分自身が住むところから考えないと地域コミュニティづくりにならないのではないかと思い、また、阪神・淡路大震災でコーポラティブ・ハウスである、神戸市長田区に完成した『みくら5(ファイブ)』に間接的に関わらせていただいたこともあり、自分でも住まいについて、考えることができないかと思っていました。そんな矢先に、多摩市に予定されている「永山ハウス(仮称)」の参加者として直接関わる機会を得て、今では、同建設組合の世話人として関わり、完成する日を夢みています。

自分にとって、民間が担う公益を考えさせてくれたフェローでの活動

活動を終了して、早7年間が経過しました。ひとつのことを追求して形にできたのかというと決してそうではありません。ここに表現しきれないことも多々あります。例えば、広告代理店の方々との関わり、また、社団法人落語芸術協会の皆さんとの当会の活動の接点として「おはなし」をキーワードにしたコラボレーションなどです。しかし、仕事、そして、自分が生きている地域の中で、フェローでの活動で学んだ精神が自分の中で息づいています。それは、社会の担い手として、自分の社会を創っていくこと、いろいろなセクターと協働する中で、新しいものをつくっていくこと、それが新たな社会づくりであること、そして、日々の課題に奮闘しながらも、自分の価値を持ちながら生きていくことなど、一言で言えば、社会の課題に対して、どのように他のセクターと協働して解決していくのか、その一言につきるかもしれません。


※本報告内容は、執筆者の見解によるもので、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の公式見解とは必ずしも一致するものではありません。

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