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正古 明さん/林 宏熙さんの写真
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正古 明さん/林 宏熙さん

交流して初めて気づくことがある。
活動が国際関係の未来につながる

日本と中国の学生が東京で合宿をし、共同で企業訪問や討論会、交流活動を体験する、「仕事」「ビジネス」「文化」の要素を組み入れたプログラムがある。日中学生交流連盟と国際交流基金日中交流センターとの共催による「リードアジア」だ。プログラムの開始は2013年。日本の大学で学ぶ日中両国の学生たちが企画し、準備から運営までを担っている。プログラムの目的は何か、コンテンツはどのようなものか。リードアジアを立ち上げた当時の実行委員、正古 明さんと林 宏熙さんに聞いた。

日中交流への関心を喚起するべく、新たな切り口のコンテンツを柱に

日中国交正常化40周年の節目に当たる年でありながら、尖閣諸島をめぐり日本と中国の関係がかつてないほど悪化した2012年。両国間が険悪な状態にある中、日中交流をテーマに活動する学生団体が、日中学生交流連盟を結成した。その中心メンバーが、当時、大学3年生だった正古 明さんと林 宏熙さんだ。

リードアジアの立ち上げ当時を振り返る正古明さん(右)と 林宏熙さん(左)の写真リードアジアの立ち上げ当時を振り返る正古 明さん(右)と林 宏熙さん(左)

林「2012年、僕は8月まで日中学生会議という交流団体の代表を務めたんですが、尖閣諸島の問題で日本と中国の関係が目に見えて悪くなっていくのを肌で感じていました。国交正常化40周年の記念事業やイベントが中止に追い込まれていったからです。そういう状況下でも、学生の活動であれば比較的、交流のチャンネルをキープしやすい。ただ、学生団体は残念ながら、単独では発信力が弱いんです。僕としては、他の団体と相乗効果を生むような連携を推し進めたいと思っていました。ちょうどそのタイミングで、日中の学生交流ネットワークで活動していた正古くんと出会ったんです」

正古「学生団体が個々でできることには限りがあります。僕も学生団体のネットワークを強固にしたいと考えていたところ同じ問題意識を持つ林くんと話す機会があり、各団体と共に日中学生交流連盟を立ち上げることにしたんです」

こうして2012年10月、日中交流に関わる5つの学生団体が加盟(現在は9団体)し、日中学生交流連盟が誕生する。日本と中国の関係に関心のない学生まで広く巻き込み、両国のパイプをより太くするべく交流の気運を高めていく、それが連盟の目的だ。

林「将来を見据えて日中の関係を議論しようと、11月にさっそく『日中青年討論会』を開き、新しい切り口の交流コンテンツについて話し合いました。その時に正古くんから出てきたのが、日中の学生が一緒に日本の企業を訪問してはどうかというアイデアです」

企業訪問――。学生ならではの発想から生まれた、まさに日中交流の新しい切り口にふさわしいコンテンツ案ではないだろうか。

正古「僕たちが目指していたのは、一人でも多くの学生に交流の意義を感じてもらい、活動に参加する仲間を増やすことです。まずは、日中交流に興味を持ってもらわなくては始まらない。そこで学生にとって関心のある企業訪問を交流の手段にし、日本と中国の学生に共同体験してもらうことで日中交流への興味を喚起しようじゃないか、と。その実現に向けて企画したプログラムがリードアジアです」 

議論してこそ考え方の違いや共通の課題を認識し合うことができる

リードアジアの柱となるコンテンツが決まると、日中学生交流連盟は実行委員会を組織し、2013年8月の開催を前提に動き始める。前例のないプログラムなだけに、学生の訪問や研修を受け入れてくれる協力企業を開拓するのは容易ではなかっただろう。

正古「ドキュメントの作成から企業への企画説明まで、全て実行委員の学生が担当したんですが、協力を得るためのプレゼンテーション活動は確かに大変でした。でもそれよりキツかったのは、メンバーのやる気をキープすること。何しろ訪問先の企業が確定しないとリードアジアを開催できませんから、メンバーにしてみれば協力企業が見つかるまでは不安なわけですよ。そんな状況の中で、みんなが共通の意識でモチベーションを保ちながらプロジェクトを進めていくというのは、正直、かなりしんどいことでしたね」

林「発案者の僕たちは、死に物狂いで突き進むしかありません。大きなプレッシャーを受けざるを得なくて、辛かったことは事実です。でも、プログラムをゼロから作り上げていく楽しさのほうが優っていたから、モチベーションを保ち続けられたんだと思います」

約半年にわたるプレゼン活動の結果、資生堂、大日本印刷、ソニーなど大手7社が訪問先企業に決定。リードアジアは予定通り2013年の夏、6泊7日の日程で実施され、日本の大学で学ぶ日中両国の学生15名、中国の大学に通う中国人学生8名の計23名が参加した。

第1回リードアジアに参加した日中の学生たちの写真第1回リードアジアに参加した日中の学生たち

正古「僕たちは参加人数よりむしろ、応募者の数を重視していました。最終的に応募人数は日本の学生が75名、中国が49名。学生団体が企画した有料のプログラムにしてこの人数は、多いほうだと思います。リードアジアは、日中学生交流連盟に加盟する各団体の広報活動の意味合いも持っていたので、これだけの学生に各団体の存在と活動を知ってもらえたと考えれば、ある程度の成果は上げられたと言っていいかもしれませんね」

一方、参加した学生はリードアジアをどう評価したのか。終了後のアンケートでは、参加者の92%が「満足(“やや満足”を含む)」と回答している。この結果から、プログラムが学生たちにとっていかに刺激的で実り多きものだったかがわかるはずだ。

林「ビジネスの現場を訪問して研修や講義を受けるだけに留まらず、リードアジアでは企業が抱える課題やその解決策を日中の学生が一緒に考える時間も設けました。南京大虐殺をテーマにした中国の歴史映画を鑑賞して感想を述べ合ったり、日中それぞれのステレオタイプについてディスカッションしたり、相互理解を深めるための交流もしています。こうしたコミュニケーションを通じて、互いの価値観や考え方の違い、共通の課題を認識し合うことができる。参加した人たちにそれを実感してもらえたとしたら、嬉しいですね」

実際、リードアジアに参加し、相互理解の必要性を感じた学生は多かったようだ。

林「たとえば日本人が中国に関する報道を目にした時に、今まで対面したことがなければ中国人に対して想像力が働きにくいんじゃないでしょうか。『相互理解が必要』という感想は、交流を経験したからこそ持ったものだと思うんですよ」

正古「交流の機会を提供すること自体が日中の関係構築につながると信じて、僕たちは取り組みました。参加者が交流を通してそう感じてくれたのなら、本望です」

プログラムの最終日にあった討論会の様子の写真プログラムの最終日にあった討論会の様子

リードアジアでの体験が今のモチベーションにつながっている

日中関係を担う人材の育成、これも日中学生交流連盟があげていたリードアジアの目的の一つだが、プログラムは2013年以降も引き継がれ、日中学生交流連盟の活動として定着。開催期間、参加人数ともに増え、内容もさらに充実している。

正古「リードアジアの継続は喜ばしいことではあります。ただ、僕たちは当時、2年目以降も同じ内容のプログラムを続けることよりも、その時どきの日中情勢に応じたイベントを仕かけていくことが大切だと考えていました。日中学生交流連盟に加盟する各団体が互いのリソースを共有し、どんどんシナジーを生み出していくことを望んでいたんです」

林「そう、リードアジアに匹敵するような新しいプログラムを毎年、日中学生交流連盟として打ち出していく考えでした。今後、そうなっていくことを期待します」

もちろん、OBの彼ら自身にも「日本と中国の関係発展を支える一助になりたい」との思いがある。

正古「リードアジアの活動で出会った仲間とは今も会っています。日中の良好な関係作りに寄与したいという同じ意識を持つ者同士、一緒にまた何かできる気がしているんです」

林「政治と違って、ビジネスは日中関係構築の一翼を担うことしかできませんが、少しでも寄与できるような仕事がしたいと思っています。そのために僕は、対中ビジネスを展開する総合商社に就職したんです。日中学生交流連盟を立ち上げ、リードアジアをやり遂げていなかったら、今の仕事に就こうと思わなかったかもしれません」

学生時代に中心となって日中交流の活動に取り組んだ経験は、確実に今につながっている。さらにふたりは「リードアジアで得た小さな成功体験は貴重」と話し、国際交流の新たな担い手たちに向けてこうも語った。

正古「国際交流に限りませんが、本気で取り組めば学ぶことはたくさんあります。より深い交流の機会を多く設けることが、自分と国際関係の未来につながる。そう信じて成し遂げてください」

林「他国の人に対して自分が持っているイメージというのは、現実とかなりかけ離れているものです。それは、実際に交流してみて初めて気づくことだろうと思います。想像してわかった気にならず、自らアクションを起こしてゴールまでたどり着いてみる。その経験は絶対にしておく価値があるし、必ず将来の糧になるはずです」

2016年10月

  • 国際交流基金日中交流センター
正古 明(しょうぶる あきら)さんの写真
Profile
正古 明(しょうぶる あきら)/1991年、東京都生まれ。慶應義塾大学に在学中より国際交流活動に取り組む。大学卒業後、総合商社勤務を経て、ベンチャー企業に転職。現在、国内外での新規ビジネスの立ち上げに注力。
林 宏熙(はやし ひろき)さんの写真
Profile
林 宏熙(はやし ひろき)/1990年、東京生まれ。中国人の両親のもと東京で育つ。日本の小中学校で学んだ後、中国の高校に進学。東京大学在学中に日中学生会議の代表を務める。大学卒業後、総合商社に勤務。

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