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高松夢さんの写真
日本国旗

日本 → インドネシア

高松 夢さん

日本を伝える。相手の国を知る。そして双方の架け橋になる

アジアの国々では日本の文化や先端技術への関心が高く、日本語の授業を取り入れる学校が少なくない。日本としてもアジアでの日本語教育をサポートしようと、国際交流基金アジアセンターは2014年から日本語と日本文化を通じて交流する人材、“日本語パートナーズ ”を各国の学校に派遣。その数は2016年度末の時点で634人に上る。現地の教育現場で“日本語パートナーズ ”はどんな存在なのか。2016年8月から約8か月間、インドネシアで“日本語パートナーズ ”を務めた高松夢さんに話を聞いた。

日本に興味津々の生徒たちに「今の日本」を伝える

日本語パートナーズ”の役割は大きく分けて3つある。まず、派遣先の学校で日本語教師のアシスタントとして日本語の授業をサポートすること。並行して、日本文化の紹介を通じ、生徒や地域の人々と交流を図る。さらに、自身も現地の言語や文化を学び、その経験を積極的に日本人に向け発信する。これらが主な任務だ。

高松さんは聖徳大学人文学部を卒業した後、2016年8月から2017年3月まで、インドネシアの東ジャワ州で“日本語パートナーズ”として活動した。派遣先は、モジョケルト県にあるクトレジョ第1国立高校とプンギン第1職業高校の2校。

「クトレジョは普通科の高校で、日本語は2年生の必修科目です。プンギンでは1年生が日本語を履修していますが、19クラスもあるため、日本語の先生が3人いました。  授業の進め方や教え方は、先生によってさまざまです。教科書に沿って教える先生もいれば、パワーポイントを使う先生もいて。でも、NP(“日本語パートナーズ”)の役目はどの先生の授業でもだいたい一緒です。日本語の発音のお手本を示したり、生徒の会話の相手を務めたり。生徒たちの日本語のレベルは、どちらの高校も高くなかったですね。中には、日本語の授業を楽しめない様子の生徒もいました」

ただし、生徒たちは日本に関心がないのかといえば、決してそうではない。インドネシアの高校生も他国の若い世代と同様、日本のアニメに夢中だ。

「授業中に日本で人気の高いアニメの話題を取り上げると、みんな、興味津々の表情で聞いていました。日本に対しては、技術が優れている国という印象を持っているようです。そうかと思うと、『侍は日本のどこにいるの?』とか『着物を毎日着るのは大変じゃないの?』と、真面目に聞いてくる生徒もいます。日本に興味はあっても、日本に関する知識は乏しいみたいです。だから生徒たちに対して、『今の日本』を伝えることに努めました」

授業では書道を、部活の日本語クラブでは茶道や浴衣を体験してもらうなど、日本の伝統的な文化も紹介することができたという。

「生徒から『浴衣を着てみたい』とリクエストがあったんです。女子だけじゃなく、男子にも好評でした。みんな写真が大好きだから、浴衣を着ては写真を撮って。男子の浴衣は枚数が限られていたため、取り合いになっていましたね(笑)」

プンギン第1職業高校での書道の体験授業の写真
プンギン第1職業高校では書道の体験授業を実施。「ゆき」(雪)という題を選んだのは生徒たち。みんなが「一度は見てみたい」と口を揃えていた。

インドネシアでの活動中に自分の進路が大きく変わった

ところで、高松さん自身はインドネシア語をマスターすることはできたのだろうか。

「1か月間の派遣前研修でインドネシア語を基礎から学んだけれども、あいさつと自己紹介ができる程度で、現地に行った当初は相手が何を言っているのかほとんどわからない状態だったんです。自分でももどかしくて、自己嫌悪に陥りました。でも人とは交流したいし、そのためには勉強するしかありません。いつもメモ帳を持ち歩いて単語を書き留めるようにし、先生や生徒はもちろん街の人にも自分から話しかけて、必死に覚えました」

“日本語パートナーズ”にはやはり、現地語を習得するための努力が不可欠かもしれない。現地の言葉で会話を交わせるようになれば、生徒とも地域の人々とも、より深くコミュニケーションを図ることができる。

「インドネシア語を話せるようになってからは、現地の人との距離がぐんと縮まりました。宿泊場所だったゲストハウスのスタッフと親しくなって、街の情報をいろいろ教えてもらって。ゲストハウスの隣に住む年配のご夫婦には、晩ご飯によく呼んでもらいました。

インドネシアでは、街に出て誰とも話さずに帰ってくることがまずないんですよ。電車に乗り合わせた見ず知らずの人同士が話をするのは普通のことで、私も電車の中で隣に座っている人から話しかけられたことが何度もあります。人としゃべるのって楽しいなと、あらためて感じましたね。滞在してみて、インドネシアが大好きになりました」

先生とランチの写真インドネシアの人々は食べることが大好き。学校のお昼休みは、先生たちと食事をしながらコミュニケーションを深める楽しいひと時になっていた。

“日本語パートナーズ”に応募した時点では、インドネシアに特別な思いがあったわけではない。大学で日本史を専攻した高松さんは、そもそも社会科の教師を志望していた。

「教員採用試験に受からなくて、卒業した年は講師をしようと考えていたところ、大学の先生から“日本語パートナーズ”の募集があることを聞き、応募してみることにしたんです。大学2年の時に1か月だけオーストラリアの高校で日本語教師アシスタントのボランティアをしたのがきっかけで海外に興味を持ち始め、機会があればまた行きたいと思ってもいましたし。ただ、教員を目指す気持ちに変わりはなかったので、応募した時には、帰国後は先生になってNPの経験を生かしたいと考えていたんですよ」

ところが、インドネシアに滞在中、進路を大きく変えることになる。派遣先校の生徒が口にしたある質問がきっかけだった。

「生徒に『日本人はどんな気持ちで生け花をするんですか』と聞かれたことがあったんです。私は生け花の経験がないのでわかりません。それなのに、質問に答えないといけない。わかりもしないことを生徒に教えている自分に、違和感を覚えずにいられませんでした。日本で先生になれば、就職活動に臨む心構えや企業で働く姿勢について生徒に聞かれるかもしれない。自分が経験してもいないことを話すと、心の中に罪悪感が生まれるんじゃないか。そんな気持ちが芽生えて、先生になるのは社会人の経験を積んでからでも遅くない、帰国したら一般の企業に就職しようと思い立ったんです。インドネシアに関わる仕事がしたいという思いが強くなっていたことも、就職を選んだ動機の一つでした」

そう決意するとさっそく、インドネシアから日本の企業に履歴書を送り、就職活動を開始。その結果、インドネシア専門の旅行会社に就職が決まる。高松さんは現在、念願の「インドネシアに関わる仕事」に就いている。

“日本語パートナーズ”がアジアの教育現場へと赴き交流を図る意味は大きい

進路が大きく変わったことに加え、“日本語パートナーズ”を経験したことで、自分自身にも変化があったという。

「チャレンジ精神が養われた気がします。私はどちらかというと石橋をたたいて渡るタイプだったのに、『まずはやってみよう』といろいろなことに挑戦するようになりました。

それを自覚したのは、クトレジョ高校が東ジャワの中高生に日本語に親しんでもらう目的で主催した『ジャパンキャンプ』の時。日本語の先生から開催の1週間前に『オープニングセレモニーでギターの弾き語りをしてください』と言われ、当日、1000人もの人を前にステージでギターを弾いて歌ったんです。宿泊していたゲストハウスのスタッフにギターを習い始めてまだ3か月だったから不安ではあったけれど、『こんなチャンスはない、やっちゃおう!』と思って(笑)。インドネシアで活躍しているシンガーソングライター、加藤ひろあきさんのインドネシア語と日本語を織り交ぜた曲『テリマカシ』を演奏し、曲名でもある『ありがとう』という感謝の思いを込めて歌いました」

ジャパンキャンプにてギターの弾き語りの写真ジャパンキャンプにてギターの弾き語りで「テリマカシ」(日本語で「ありがとう」の意味)を披露。生徒たちは手を振りながらサビの部分を一緒に歌ってくれた。

さらに、国際交流に対する意識も「派遣前とは違う」と話す。

「学生時代は国際交流というものにほとんど関心がなかったんです。インドネシアに行き、その国の文化や宗教、生活習慣に触れたことで初めて、日本以外の国について知ることの大切さを実感しました。“日本語パートナーズ”は先生のアシスタントとして生徒に教える立場ではあるけれど、自分も生徒たちから学べます。お互いに相手の国を知り、それは同時に、自分たちの国について考える機会にもなる。

しかも私たちNP経験者は、帰国後もSNSなどで先生や生徒、現地の人たちとつながっていられるし、派遣中に得た情報を日本の人々に発信することもできます。“日本語パートナーズ”って、東南アジアの国々と日本の架け橋になれる存在だと思うんです」

高松さんが派遣されたモジョケルトのような、海外の観光客があまり訪れない地方の市や町ではなおのこと、“日本語パートナーズ”の存在意義は大きいのではないだろうか。

「モジョケルトは畑と田んぼに囲まれたようなところなので、初めて日本人を見たという生徒や街の人たちがたくさんいました。でも、日本語に興味を持っている子は意外と多いんです。私という日本人と会ったことで日本に関心を持ち始め、日本語を頑張って勉強するようになった子もいます。生徒が日本や他の国に目を向けるきっかけを作ることができたのかもしれません。NPがアジアの教育家現場に行く意味、私は大きいと思います」

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高松夢さんの写真
Profile
高松 夢(たかまつ ゆめ)/1993年、栃木県生まれ。2016年、聖徳大学人文学部日本文化学科を卒業。2016年8月~2017年3月、国際交流基金アジアセンターの“日本語パートナーズ”プログラムでインドネシアにて活動。帰国後の5月より、インドネシア専門の旅行会社に勤務。

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