JFサポーターズクラブ2009年1月のイベント報告(関西)-1-

 

国際文化交流と災害復興 中国四川省大地震被災地における高校生交流報告を中心に 主催:国際交流基金、人と防災未来センター 協力:兵庫県立舞子高等学校

 

1月のJFサポーターズクラブイベントは東京と神戸の2カ所で開催しました。神戸では、人と防災未来センターとの共催で、兵庫県立舞子高校の諏訪教諭と3年生の松尾美佳さん、中川夏姫さんをお迎えして、国際文化交流と災害復興をテーマに報告会を行ないました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真1

大勢の方にご参加いただきました

ハリケーン・カトリーナの被災経験から

最初に、ジャパンファウンデーションの行なっている国際交流、文化交流による災害復興の例として、坂戸勝参与からアメリカのニューオリンズ市で起きたハリケーン・カトリーナの例が話されました。坂戸参与は2005年から2007年まで外務省に出向し、ニューオリンズ総領事館に勤務していましたが、2005年8月にハリケーン・カトリーナの被害に遭い、被災した日本人の安否確認と保護活動を行ないました。

ハリケーン・カトリーナの上陸時の勢力は風速57m/秒、メキシコ湾沿岸部の高潮は最大9mだったそうです。ニューオリンズ市は数日前から退去勧告を出しており、上陸の前日には退去命令に変わりました。それでも、車がなくて退去できない人も多く、またハリケーンの脅威を知らなかった人も少なからずいて、そうした人たちが市内には大勢残っていました。カトリーナは猛威を奮い、市内の堤防は10数箇所で決壊。市の8割が冠水するほどの大きな洪水が起こりました。人々は舟で逃げて着のみ着のまま避難所に入りました。逃げ遅れた人々は屋根の上などに避難したりして助けを待ちました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真2

前半の坂戸参与による講演の様子

当時、総領事であった坂戸参与は、在留邦人の安否を確認しましたが、電話がなかなか繋がらない為、テレビ・ラジオ放送を通じて呼びかけを行ないました。同時に、州政府に邦人援助と遭難者の収容を要請しました。坂戸参与は、緊急事態下では人は強い仲間意識を持つものだと感じたそうです。救援を要請した日本人男性2名を探していたときに、たくさんのアメリカ人が「日本に行ったことがある」「漢字が少し書ける」などと話しかけてくれ、日ごろの交流が危機の際の絆だと強く感じたといいます。

災害の後、各国からたくさんの寄附が寄せられ、日本からも4000万ドルを超える寄附が送られたそうです。このような支援はカトリーナのときだけではなく、阪神・淡路大震災の時には米軍はテントを提供し、救援物資の輸送も行ないました。遡れば、1923年の関東大震災や1906年のサンフランシスコ大地震の時も相互支援が行われていました。

このハリケーン・カトリーナの後で、復興に震災後の神戸の経験が活かせるのではないかと、交流事業が始まりました。ニューオリンズと神戸では、これまでに3回の交流事業が行なわれていますが、これは、洪水の3カ月後にニューオリンズから派遣された記者が神戸の災害復興の様子を2回に分けて大きな記事として紹介し、それを読んだ市民が「神戸から学びたい」といって始まったものです。

行なわれた講演会や対話から、互いに異なる文化・社会から学びあい、よりよい社会運営の方法を発見するきっかけになりました。また違いを超えた絆(共同体意識)の形成に至りました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真3

舞子高等学校の諏訪教諭、
松尾さん、中川さん、(右から)

中国四川省の訪問交流事業

続いて、舞子高校環境防災科科長の諏訪清二教諭と3年生の松尾さん、中川さんの報告です。まず、諏訪教諭から、舞子高校の環境防災科についての説明がありました。

環境防災科は阪神・淡路大震災がきっかけで2002年4月にスタートした、日本で唯一の高校の防災学科です。防災は福祉、環境、国際、建築、土木、心理、経済、法律、行政など様々な領域と繋がっています。学校の授業だけではなく、外部講師を招いたり、校外学習を行なったり、震災メモリアル行事に参加したり、また、大学や小学校、中学校との連携にも取り組んでいます。

さらに、環境防災科ができた後に起こったほとんどの災害に支援をしています。2004年10月の台風23号、2007年3月の能登半島地震における災害現場での支援。新潟県中越地震などでの中長期の支援や交流。休日に街頭募金活動も行なっているそうです。神戸は震災の経験から、募金には非常に協力的な土地です。また、海外の被災地にも毎年行なっており、ネパール、スリランカ、インドネシアのバンダアチェなどで学校訪問などをしています。

諏訪教諭は、2008年10月に四川省を訪問したのは、被災地に対してとにかく「何とかしたい」と思ったからだといいます。「神戸の心を届けたい。そして、現地の体験や話を持ち帰って、日本の人たちに伝えたい」という思いからでした。

 

 

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