JFサポーターズクラブ2009年1月のイベント報告(関西)-2-

 

国際文化交流と災害復興 中国四川省大地震被災地における高校生交流報告を中心に 主催:国際交流基金、人と防災未来センター 協力:兵庫県立舞子高等学校

 

 

JFサポーターズクラブイベントの写真1

高校生ふたりからの報告

高校生の発表

ここからは、四川省に行って活動をした高校3年生の松尾さんと中川さんからの発表です。

中国四川省の大地震は2008年5月12日に発生、マグニチュード7.8を記録しました。最初に訪問した綿竹市は、10月時点でも瓦礫の山で、まだ遺体が取り出せないところもある状態でした。どうしてこんなに片付いていないのだろうと思いましたが、ここは復興せずに、地震の後を保存しておく場所になるそうです。それから、職業学校を訪問し、被災した生徒の経験を聞きました。

翌日は職業中学校を訪問し、瓦礫に埋まっていた男子生徒4名の話を聞きました。ひとりの生徒は瓦礫の中に8時間閉じ込められていたそうです。また、親が崩れた建物の下敷きになって、命は助かったけれど、障害が残った、という話も聞きました。日本から訪問し、初めて会った私たちにそのつらい経験を話してくれたことを受け止め、「日本であなたの話を必ず大勢の人に伝えます」と約束しました。

その後、生徒たちに防災教育や心理支援に関する話をして、交流会も行ないました。防災教育は、この後訪れた華陽中学校でも行ないました。ここは生徒数4000人という大きな学校で、その生徒たちがきちんとした姿勢で真剣に話を聞いてくれた様子は、日本の学生も見習うべき姿だと感じました。

生徒たちはとても明るく、笑顔も見え、一見元気そうに見えるのですが、諏訪先生が「夜眠れないことはあるか?窓の音におびえることはあるか?」と聞くと、やはり「そういうことがある、地震の記憶がよみがえる」、と答えていました。

ここの生徒たちとの交流で、神戸の被災された方が作った復興応援歌の「しあわせ運べるように」という歌の中国語CDをかけて一緒に歌いました。そのとき、今まで明るかった生徒たちの目に涙が浮かび、まだ心の傷が癒えていないんだな、と感じました。しかし、そういう姿を見て、初めて中国の生徒たちと一体になれたような感じがして、気持ちが伝わったと思いました。

次に、北川県のK村という人口727人の村を訪れたときの体験をお話します。ここは、働き手は出稼ぎに行っているため、子どもと老人が多い村です。地震が起きた時間はほとんどの人が屋外で農作業をしていたため、地震による死亡者はいませんでしたが、家屋が全壊、半壊する、水が枯れるなどの被害がありました。

ここで出会ったホウさんという50代の男性は4階建ての家に住んでいましたが、地震によって家が崩れ、かろうじて1階と2階だけ残りました。それでも、天井がひび割れて隙間から外が見えていたり、棒で天井を支えてなければならなかったりという状態だったので、「もうとても怖くて住めないだろうな」と思ったのですが、なんと政府から「この家は安全である」という許可が出されたため、この1階と2階はこのままでその上にまた家を再建していくというのです。中国政府の耐震に対する意識の甘さを感じました。

倒壊した家に対して、政府から2万元の支援が出るということでしたが、耐震の家を建てるには、20万元から30万元が必要です。ですから、実際は被災前と同じ家を建てている人も多いということでした。

また、家を建てるためのレンガも高いので、新品のものはあまり買えず、倒壊した家のレンガに付着しているセメントをはがして再利用します。私たちもこの作業をボランティアで手伝いましたが、なかなか難しく、セメントをはがすときに一緒にレンガが壊れてしまうこともありました。レンガの強度が強くない為、このレンガで家を建てても、また地震が来たら壊れてしまうのではないかと感じました。

K村では、村のみなさんにお昼ご飯をご馳走になるなど、たくさんの交流をすることができました。ホウさんは、地震が起こった後で村にボランティアに来た日本人全員の名前や写真を大切に持っていてくれました。私たちも写真と名前を残してきましたが、相手に感謝をもらえることの嬉しさを強く感じた経験でした。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真2

諏訪教諭の講演

諏訪教諭より、訪問で感じたこと

ここからは、諏訪教諭からの報告です。
四川省で感じたのは、政府の迅速な対応がなされていたことです。避難所の設備や、屋根の色を変えるなどしてわかりやすくした仮設住宅、そこには心のケアもできる医師が常駐し、コンビニもある。阪神のときよりよい状況ではないかと感じたほどです。

一方で、被災地の中心から離れていけばいくほど、温度差を感じました。例えば、実際に生徒や教師が被災した学校は防災教育にも関心を示してくれましたが、直接被災体験のない学校では、私たちの訪問に防災教育というよりも日本人との国際交流を求めていました。これは仕方のないことで、阪神でも感じたことです。

そもそも、中国では防災教育というものがほとんど意識されていません。これは阪神・淡路大震災前の兵庫県、そして現在の日本の多くの地域にもいえることです。それから、地震に対する科学的知識が不足しています。

400人の学校の先生を対象にセミナーをやったときですが、「南極や北極の氷が溶けると地震が起きるのか」「日本は石油を掘っているから地震が起きるのか」という質問が出たのです。また、中国政府が「もう今後1000年は地震がこない」、と言っているとも聞きました。他のところで起こるかもしれないが、少なくとももう四川では起こらないだろうと信じている人がたくさんいるのです。

ですから、今後、防災教育、そして、被災後の心理教育をセットでやっていきたいと思いました。もちろんこれは四川のみならず、日本でも、他の国でも必要なことだと思います。

日本は災害大国ですが、防災大国ではないと私は考えています。ですから、「教えてあげる」ではなく、失敗例を持っていって語らうことができます。いろいろな国がそれぞれの経験を持ち寄り集まって語らう場がもっと必要なのではないかと思います。そこから学ぶことも非常に多いはずです。例えば、四川で起こった学校の倒壊は、日本でも十分に起こりえることです。四川の教訓を日本中に発信したいと思います。

また、中国でも、先ほどのニューオリンズの例でも、貧しい人がより多くの被害に遭う、という現実があります。中国では都市と農村の所得格差が3.3倍といわれますが、その格差を埋めること、すなわち国の弱さを克服することが結果的に被害を減らすことにつながると思っています。

 

今後への提案

今回の訪問活動を経て、今後やっていきたいと思うことをいくつか提案します。まず、被災地を結ぶ交流活動です。四川、アチェ、スリランカ、ニューオリンズ、神戸などの被災地だから分かり合えることを共有する、そしてそこに「これから被災地になる可能性がある地域」「これから被災者になる可能性がある人」も参加する、あるいはそういった地域へ発信するという活動が必要だと思います。

それから、先ほども申し上げたとおり防災教育と心のケアをセットにした教育内容を提案していきたいと思います。

あとは、今回高校生、大学生が四川を訪れたように、若者が被災地を訪れて交流することはやはりインパクトがあります。若者ががんばることは大人にもインパクトを与えますから、これを神戸だけでなく、日本全体に広げていきたいです。

さらに、アメリカでやっているような復興セミナーをもっと広くやっていけないかと思います。今述べたような課題、その他専門家から指摘されてきた課題を復興にどう活かしていくかをともに学びあうような形式でできないかと考えています。もちろん、神戸と四川だけでなく、インド、トルコ、パキスタン、インドネシアなど他の地震被災地とも一緒にできれば望ましいです。内容としては、「農村・山村部の耐震補強」「コミュニティエンパワーメント」「防災教育」「心理教育」などが考えられます。

最後に、芸術交流の重要性についてです。今回「しあわせ運べるように」という歌を中国語で歌って交流し、また、絵画教室「アトリエ太陽の子」の子どもたちが描いてくれた絵や神戸学院大学の学生が折った千羽鶴を持っていって送ったりしましたが、絵や歌や千羽鶴には、言葉を超えた交流を可能にする力がありました。こうした芸術によるメッセージの交換は今後も続けていきたいと思います。また、今日の会場である「人と防災未来センター」のような博物館を作って震災を風化させない努力も必要だと思います。

 

 

Page 1 / 2 / 3

 

ページトップへ戻る