JFサポーターズクラブ 2009年3月のイベント報告

 

多文化共生社会を実現させる 日本とブラジルの架け橋に

 

JFサポーターズクラブイベントの写真1

講演をされる高野祥子さん

3月28日に、JFサポーターズクラブ3月のイベントを行ないました。講演してくださったのは、NPO法人大泉国際教育技術普及センターの理事長である高野祥子さんです。NPO法人大泉国際教育技術普及センターは、2008年度の国際交流基金地球市民賞受賞団体です。 講演をされる高野祥子さん

高野さんは、200枚近い写真を見せながら、少女期にブラジルに行ったときの様子、現地での生活やコミュニティの様子を紹介してくださいました。

高野さんがブラジルに移住された1958年は、ブラジルの人口は6千万人、今の3分の1で治安もとてもよかったそうです。移住してすぐにフリースクールのような学校に行かせてもらい、個人のレベルに合わせて基礎から言葉などを教えてもらったので、「恵まれた移民生活でした」と当時を振り返られます。20km離れた学校へ月曜に行き、土曜に帰る、という生活を5年間続け、移住して7年目にご結婚されました。

3人のお子さまを「「いかに日本人のように育てるか」ばかりを考えていたそうです。そのため、長女が7歳のときに、ご主人のお姉さまの住む埼玉の所沢で学ばせたり、ブラジルでも日本語学校のあるところへ引っ越したりしていました。ブラジルでも県人会のお祭やバザーなどに参加し、子どもたちも日本語学校へ通わせました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真2

赤いジャンパーは日本語検定2級の証

13歳で移住してから、日本に戻ったことはありませんでしたが、やはり戻ってみたいという気持ちがあり、出稼ぎブームが起こった1989年に軽い気持ちで出稼ぎにやってきたのが、群馬県の大泉町でした。ブラジルでは日本人の中でしか生活していなかったので、工場でパキスタン人やイラン人、バングラデシュ人と一緒に働くとわかって「外国人が嫌だ」と1日目は夫に訴えたそうです。 そんな高野さんでしたが、すぐに環境に慣れ、やがてポルトガル語の通訳として警察で手伝いなどをしていくうちに、日本語がわからないことで居場所のない子どもたちや労働者が大勢いることに気付きます。 そこで、高野さんは、ブラジル人の子どもたちのための日本語学校を始め、イラン人の生徒も受け入れたりと、大泉に住む外国人に深く関わっていきます。ブラジル人の子どもたちが学習の成果を発表する場がないからと、「ブラジル青少年フェスティバル」を開催し、地域の住民を次々と巻き込んでいきます。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真3

講演をされる高野祥子さん子どもたちのために、と訴える高野さん

印象深かったのは、「先輩から学ぶ日本語教室」の話でした。年の近い高校生くらいのお兄さん、お姉さんから学ぶことで、「私も先輩のようになりたい」と目標ができるし、子どもたちも教える側になることで、がらっと態度が変わるそうです。日本の学校をドロップアウトした子どもたちが、日本語を教える楽しさ、人の役に立つ嬉しさを知って、大学へ進学したり、教師の道を志したりと、嬉しい成果が出てきています。

現在、不況のあおりで解雇されるブラジル人や、学校の月謝が払えない親たちが出てきています。今年1月には800人のブラジル人がブラジルへ帰国、2月、3月もほぼ同じくらいの人数が帰国し、その95%が片道切符だそうです。

ブラジルから日本へ来て生活するのも大変ですが、帰国すればしたで、また環境の変化に適応するのは大変です。また日本に来ることもあるかもしれませんが、そうした変化の影響を一番受けるのは子どもたちです。「とにかく子どもたちを何とかしてあげたいのです」と思わず高野さんが涙ぐむ場面もありました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真4

交流会も盛り上がりました

ブラジル人、とくに子どもたちへの深い愛情に突き動かされ、活動の幅を広げ続ける高野さんの姿に、会場からもたくさんの質問がありました。交流会でも高野さんを囲み、話の輪が広がっていました。

少子高齢化の中で揺れ動く日本で、外国人労働者や移民の存在は決して遠い存在ではありません。皆が幸せに暮らせる社会の実現を目指して、学ぶこと、行動することはまだまだたくさんあるのだと気づかされました。

 

 

 

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