JFサポーターズクラブ8月のイベント報告 メコン食べ物談義 森枝卓士氏講演会 2

 

メコン食べ物談義 森枝卓士氏講演会

 

8月19日に、JFサポーターズクラブ8月のイベントを行ないました。今回のイベントは日メコン交流年認定事業で、メコン地域の食べ物をテーマとしました。8月に発行した『をちこち』(特集:「メコンの暮らしから考える『人間と川』」)に寄稿していただいた写真家・ジャーナリストの森枝卓士さんに、メコン地域の食文化についてご講演いただきました。

今回のイベントは3部構成で、1部は『をちこち』の渡邊編集長より『をちこち』の編集秘話、2部は森枝さんの講演、3部は今回のイベントにちなんだベトナム料理を楽しみながらの交流会でした。

 

メコン食べ物談義の写真1

森枝さんの後方に写るのがメコン川

森枝卓士さんより、メコン食べ物談義

メコン地域の暮らしと食べ物

まず、メコン川の位置ですが、上はチベットの方から流れてきて、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、ベトナム、下流部はラオスのカンボジアの国境近くのコーンの滝のほうまで、縦に長く流れています。この写真は、ヒマラヤ山脈の標高3500m~4000mくらいの集落ですが、ここでは、食品の種類は10本の指で足りるくらいです。ヤクの乳、麦、野菜、唐辛子、にんにく、しょうがぐらいです。谷間でヤクを遊牧し、ミルクを絞って、バターを作ります。残ったホエイを温めて、イタリアのリコッタチーズと同じような作り方でチーズを作ります。遊牧民は、米は作らず、ほとんど麦とそばです。うどんのようなものも作って食べます。

 

メコン食べ物談義の写真2

市場の様子など、写真もたくさん見せていただきました

メコン川には、ナムグムダムという有名なダムがあります。1970年代に日本が援助してメコン川支流のナムグム川に建設したダムです。私は78年に大学を卒業したのですが、その頃、このナムグムダムの屋根が雨漏りするので、その修理に行ってくれないかという仕事の話が来ました。当時こんなところは観光では行けないし、普通はビザも出ませんから、いい機会かもしれないと思って行ったのが、東南アジアとの最初の関わりで、その屋根の修理の後で、帰らずにそのまま居ついて、カンボジアの戦争の取材などを始めました。そうこうしているうちに、ジャーナリズムなどと言っても、そこに住んでいる人たちが何を食べているのかも知らないようじゃだめなんじゃないかと思い、屋台の食事や現地の人の食べているものを調べたりしていくうちに、それが仕事になっ

 

メコン食べ物談義の写真3

講演をされる森枝さん

先ほど『をちこち』の表紙で鯰が出ていましたが、メコン川流域では、鯰はよく食べられています。また、これは市場の写真ですが、これを見ると、エビ、タガメ、蚕が隣り合わせに並べられています。これを見ると、エビも虫も同じようなもの、という感じですが、実際、ラオスでは虫はよく食べられています。これは雲南のあたりの写真ですが、このあたりに住んでいた少数民族が、メコン川沿いに下っていって、稲作を始め、集落を作り、それが国に発展していきます。メコン地域の人々を国で分類するのは非常に難しく、また、あまり意味のないことです。ラオスに住んでいる人々もタイ系の民族の一部だったりするなど、民族も多くの種類に分かれています。宗教で見てみると、ベトナムが日本と同じ大乗仏教で、中国から伝わったと考えられます。それ以外の国は小乗仏教で、南のスリランカから伝わったようです。

 

メコン食べ物談義の写真4

豊富な知識に会場は聞き入っていました

さて、メコン地域の米ですが、東南アジアの米というとすぐに細長いインディカ米を連想する人が多いのですが、インディカ米にもうるち米ともち米があり、ラオス、北タイ、ビルマ北部、東北タイではもち米がよく食べられています。これは、ビルマのシャン族の餅ですが、紅白の餅なんですね。紅い餅は赤米か豆を入れて色を付けているのですが、この紅白という発想も、日本によく似ていますね。日本に似た食べ物といえば、納豆もあります。雲南のシーサパンナと呼ばれる地域の中心の町で見つけました。この納豆は、チベット、ミャンマー、北タイあたりまであります。他に発酵食品といえば、インドネシアにテンペと呼ばれる大豆からできた食べ物があります。中国大陸には、味噌はありますが、納豆はありません。

米は、蒸篭で蒸して、ラープと呼ばれるおかずなどと一緒に手でつまんで食べるのが一般的ですが、竹筒に入れて火の脇において米を炊き、竹の風味をつけて食べたりもします。これが、南の方に行くと、ココナッツミルクで炊いて甘くしたり、小豆を入れたりします。もうひとつ、日本に似た食べ物で、海苔があります。これは、川海苔です。川でとった海苔をスープに入れたり、揚げたりして食べます。ラオスでは、日本のように薄くしてゴマをつけた海苔がビールのおつまみで出てきたこともありました。

 

日本では珍しい蓮の実のチェー 捉えた変わった表紙の写真

日本では珍しい蓮の実のチェー
捉えた変わった表紙

スシについて

さて、東南アジアには、スシもあります。スシは、昔の日本語の「酸し(=すっぱい)」から名づけられたといわれています。タイ語でスシのことを「プラ・ソーム」といいますが、これは直訳すると「魚・すっぱい」という意味で、まさに同じ意味です。スシは鮓という漢字が使われていましたが、元は塩辛の意味であった鮨が混乱して伝わって使われるようになり、今に至ります。寿司は当て字です。

 

北部ハノイの名物料理、魚のターメリック炒めの写真

北部ハノイの名物料理、魚のターメリック炒め

スシは、干物や燻製と同じ保存食のひとつとして、魚を米・麹・塩で漬け込んだことから始まりました。米・麹・塩をまぶして空気に触れないようにすると乳酸発酵が起こります。元はヨーグルトでつけたような味だったと思われます。

スシが生まれる条件として、水田と漁業が発達したところ、魚がある期間にまとめてとれるところ、塩が大量にとれるところ、というのが挙げられます。元々、東南アジアでは水田に魚を放して飼っていました。これを、水田の水を抜くときに一気に捕るため、魚がまとめて捕れ、これを保存するためにスシが考案されました。つまり、スシの起源は東南アジアの内陸だった、というのが元民俗博物館館長の石毛直道さんの説です。東南アジアの内陸はかつて海の底だったため、地層の中に塩が大量に含まれています。塩の産業も盛んで、私も目にしたことがあります。そういうわけで、東南アジアから始まったスシが、大規模に作るようになって、海の魚も使い始め、中国南部に伝わって、日本に伝えられたのではないか、と考えられています。

 

交流会の様子の写真

交流会の様子

中国の山東省で6世紀に書かれたといわれる「斉民要術」という書物に、ナレズシが出てきます。また、肉を塩漬けにした保存食も登場しますが、これは現在でもあります。稲作は、単に稲作だけで伝わったのではなく、魚を食べる文化とセットで伝わったと考えられます。東南アジアでは、魚を食べる文化が強く残り、中国では田んぼのあぜ道に大豆を植える習慣があったため、稲作と大豆がセットで東アジアに伝わったと見られています。

さて、こうして伝わったスシですが、15・16世紀に大きく変化したと考えられます。今のスシは酢飯の上に刺身をのせ、醤油と山葵で食べますが、酢は元々、レモンやゆずの絞り汁から作っていました。日本では室町時代から調味料として用いられ、江戸時代初期に生産量が増大しました。江戸時代初期には、醤油も産業化されました。山葵は日本が発祥のものです。平安時代から使われており、江戸時代から栽培されるようになりました。こうして、江戸時代末期に大体今のスシの形になりました。当時のスシは今より一回り大きかったといわれています。

スシの話が多くなりましたが、日本と東南アジアの食文化のつながりを知っていくと、面白い事実が見えてくるのではないでしょうか。

 

講演の後の質疑応答でも、会場からの質問に丁寧に答えていただき、森枝さんの豊富な知識に参加者は聞き入っていました。終了後の交流会では、アジア料理研究家の島田孝子さんに作っていただいたベトナム料理、焼きナスの挽き肉のせ、魚のターメリック炒め、蓮の実のチェーと蓮茶を楽しみました。焼きナスは南部ホーチミンの家庭料理、魚のターメリック炒めは北部ハノイの名物料理、ベトナムスィーツで有名なチェーにベトナムならではの蓮の実を入れたもの、と、なかなか日本では食べられない本場の味は大好評でした。

 

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