JFサポーターズクラブ1月のイベント 面白い日本の私 ロジャー・パルバース氏講演会 報告1

 

面白い日本の私 ロジャー・パルバースさん講演会 報告1

 

1月16日に行なわれた「JFサポーターズクラブ1月のイベント」は、ロジャー・パルバースさんの講演会でした。

パルバースさんの講演は、「2008年9月28日に、私はイギリス海岸にいました」、という言葉から始まりました。イギリス海岸というのは、イギリスの海岸のことではなく、宮沢賢治の出身地、岩手県花巻市にある海岸で、白い岩肌がドーバー海峡に似ていることから賢治が命名し、作品にも登場する場所です。

宮沢賢治が他界したのは1933年9月28日の午後1時半。ちょうど75年後、パルバースさんが花巻にいたことの感慨深さと、賢治へのリスペクトを述べてから、今日に至るまでの43年にわたる日本との関わりを振り返るお話が始まりました。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真1

ソビエト、ヨーロッパを経て日本へ

パルバースさんはニューヨーク生まれのロサンゼルス育ちで、ハーバード大学でロシア語をマスターし、1964年、初めての海外としてソビエトを訪れました。第二次世界大戦が終わってからまだ19年、人々の頭の中にもまだ戦争の記憶がありありと残っているような時代でした。その頃のソビエトには『真実』と『ニュース』という名の2つの新聞がありましたが、「『真実』にはニュースがない、『ニュース』には真実がない」などと言われていたそうです。

その後、ポーランドを訪れたパルバースさんは、スパイ事件に巻き込まれ、容疑をかけられてポーランドを出国しなければならなくなりました。呆然として、アメリカにも戻りたくなく、訪れたフランスで女性と恋に落ち、婚約までしましたが、彼女は別のアメリカ人の哲学者と結婚して、パルバースさんはふられてしまいます。「それ以来、哲学と哲学者が大嫌いになりました」という彼は、アメリカに一旦戻るのですが、ベトナム戦争が始まり、徴兵の気配も出てきたので、今度は日本に行くことにします。

日本のことは何も知らなかったパルバースさんは、1967年に片道の航空券とツーリストビザを手に羽田空港へ降り立ちました。もちろん日本語はできません。初日に泊まった目黒のホテルは流しも手摺もすべて低く、日本人の背は低いんだなぁと感じました。晩に駅前に出かけ、目に付いたおでんやの屋台に入ったので、パルバースさんが最初に覚えた日本語は「ちくわ」。次が「ロールキャベツ」「がんもどき」だったそうです。

 

JFサポーターズクラブイベントの写真2

宮沢賢治との出会い

それから、京都産業大学でロシア語とポーランド語を教えることになり、5年間京都に住みました。だんだん日本語もわかるようになってきて、日本の本を読みたいと思い、友人に「一番美しい日本語を書いているのは誰か」と聞いたら、「宮沢賢治だ」という答えが返ってきました。すぐに京都の丸善に行って、『ざしきぼっこのはなし』という短編を買って読み始めました。とても短い物語ですが、1ページを読むのに2時間くらいかかりました。「不思議な文章だな」と思い、翌年、賢治が生涯を過ごした岩手県の花巻を訪れます。

観光案内所で、賢治の生家の場所を聞き、訪れてみると『宮沢』と表札が出ています。誰かいるのだろうか、「ごめんください」と言ってみたら、出てきたのは当時68歳くらいだった、賢治の弟の清六さんだったそうです。「私はアメリカから来ました。宮沢賢治が大好きです」というと、清六さんはとても喜んでくれて、賢治ゆかりの場所をあちこち案内してくれました。

パルバースさんにとって、宮沢賢治の作品との出会いはとても大きく、これがなかったら作家にはなっていなかっただろうというほどのものだそうです。この後も何度も花巻を訪れ、清六さんとのお付き合いも2004年に清六さんが亡くなるまで続きました。

 

外国人が日本語を話すということ

この頃、日本語ができる外国人はまだとても少なく、日本人はそんな外国人と会う機会などほとんどなかったのです。パルバースさんが文房具屋で「ちょっとそこの赤いペンを見せてください」と日本語で言っても、「No, No English!」と言われてしまうほどでした。背が高い外国人の口から日本語が出るとは考えられなかったのでしょう。

また、70年代に乃木坂のフレンチレストランでフランス人の学者と待ち合わせをしたときのこと。相手は英語ができず、パルバースさんはフランス語ができないので、2人の共通語は日本語。「どうも、お待たせしました」「いえいえ、どうぞ、どうぞ。よろしくお願いします」と挨拶したとたん、レストランはしんと静まりかえりました。外国人2人が日本語で会話を始めたのがよっぽど異様な光景だったのでしょう。その後の話も、レストラン中が聞いているような感じだったそうです。

同じ頃、六本木の寿司屋にひとりで入って、カウンターで注文していると、パルバースさんが何か注文するたびに、椅子ひとつ空けて隣に座っている日本人の男性が「はぁ~っ」と感心しながら、何か熱心にノートに書き付けていたそうです。パルバースさんはつい調子にのって、珍しい寿司ばかり頼んでいましたが、あまりに熱心に書いているので、「何を書いているんですか?」と聞いてみました。すると、男性は「私は、寿司屋で外国人が何を食べるか研究しているんです。これが私の趣味です。で、あなたはデンマーク人だとわかりました」というので、ビックリして、「いや、残念ながら私はデンマーク人じゃありません」というと、「いや、そんなはずはない。今までウニを注文したのはデンマーク人だけだった」と言われたりと、そんなこともありました。

 

 

Page 1 / 2

 

 

ページトップへ戻る