JFサポーターズクラブ1月のイベント 面白い日本の私 ロジャー・パルバース氏講演会 報告 2

 

面白い日本の私 ロジャー・パルバースさん講演会 報告1

 

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日本語が国際化した80年代

80年代になると、日本は大きく変わり、テレビに日本語を話す外国人がたくさん出てくるようになります。その当時のテレビでブームになったのは、G.B.Eです。G.B.Eとは、Gaijin(ガイジン)、Bushman(ブッシュマン)、Erimakitokage(エリマキトカゲ)です。この頃パルバースさんは日本語ができる外国人として、よくテレビに出ていました。

80年代頃から、政治家の発言が国際的に問題とされることが度々ありました。70年代までは、「日本語は日本人にしかわからない暗号」というようなコンセプトがあったと思いますが、「外に対して失礼なことも日本語でなら言ってもよい」、あるいは「日本語で言ってもわからないだろう」、という時代は終わったとパルバースさんは言います。80年代は国際化の時代と言われていますが、日本語が国際化した時代だとパルバースさんの目には映っているそうです。

 

5つの日本

パルバースさんは、大学ではヨーロッパやロシアについて学び、日本のことは全く知らなかった、そのことがよかったといいます。何も先入観のないところから日本を見て、日本を知ってゆくことができたからです。よく、日本は単一国家だという人がいますが、パルバースさんは5つの日本があると考えているそうです。

一つめは、沖縄。元々琉球王国は本州とは違う国でしたが、ここは本当に文化が違うと感じるそうです。さくらの花はないし、緑茶ではなくジャスミン茶をよく飲む。刺身にはにんにくをつけて食べる。さらに、沖縄の中でも文化はひとつではなく、パルバースさんはよく八重山諸島に行くそうですが、そこでは「今日、沖縄へ行くよ」というそうです。「自分たちの文化は沖縄ではなく、八重山だ」、というアイデンティティがあるということでした。

二つめは、九州です。大分の焼き物が好きで、買いに行ったりするのですが、日本よりも大陸の文化、韓国の文化が色濃いと感じることがよくあるそうです。

三つめは大和、すなわち奈良、京都です。これはやはり日本をシンボライズしている都で、独特の雰囲気、文化を持っています。

四つめは江戸の文化。粋な文化ですが、パルバースさんは、これを親子どんぶりのような文化だと思っているそうです。本来の日本文化がごはんで、そこに新しい文化がのっかっていて、つゆがしみこむように、新しい文化が古来の文化に浸透していく、そんな文化が江戸の文化ではないかと感じているということです。

最後は東北です。ギザギザの山、神秘的な雰囲気、東北もまぎれもなく独特の文化圏だと思っています。

 

多くの文化人との親交

こんな豊かな文化を持つ日本で、パルバースさんは多くの日本人との親交を持ってきました。大島渚、清川虹子、白石和子、岸田今日子、橋爪功、野坂昭如、つかこうへい、別役実、野田秀樹、唐十郎、渥美清、といった文化人とも知り合いました。

大島渚さんとは、1980年に会いました。大島さんがオーストラリアに仕事で来たときに、パルバースさんが通訳として同行したのです。そのとき、ちょうどメルボルンでパルバースさんの芝居を上演していて、大島さんはそれを観てくれました。この滞在のときに、移動中の飛行機の中で、大島さんから「読んでください」といって手渡されたのが、『戦場のメリークリスマス』の脚本でした。パルバースさんは一気に読み、飛行機の中で涙ぐんだそうです。

そして、82年の4月に、大島さんから手紙が来ました。まだEメールなどなかった時代です。その手紙には、「『戦場のメリークリスマス』の映画を撮るので、助監督をやってほしい」と書いてありました。パルバースさんは、信じられず、何度も何度もその手紙を読みました。本当にそんな素晴らしいことが書いてあるのかと、信じられない思いで、部屋でひとり手紙を繰り返し読んだそうです。

6月、7月と東京へ行って準備をし、8月に南太平洋のラロトンガという島に行って、6週間くらいかけて撮影をしました。大島さんは、啖呵をきることで有名で、怒る前に口元がぴくぴくと動く癖があり、パルバースさんはそれを見ると急いで逃げ出したそうです。怒られなかったのは、坂本龍一さんくらい。坂本さんは音楽家で役者ではないので、「怒られたら俺は帰るから、俺には怒らないんだ」と言っていたそうです。

パルバースさんが親交のある人たちの中でも、一番親しくしているのは、井上ひさしさんです。1974年に出会い、76年に井上さんをオーストラリアに呼んで、彼はキャンベラに5カ月住んでいました。76年にオーストラリアで行われたアデレード芸術祭で、井上さんは「日本人の笑い」という話をしました。日本人はいつも真面目な顔をしていて、笑わないんじゃないかと思われているが、ちゃんと日本人も笑う、日本にも笑いの文化があるんだという話でした。今、井上さんは肺がんと闘っていますが、昨年も2作芝居を発表し、変わらぬ意欲で仕事を続けています。早くよくなって、素晴らしい作品を発表し続けてほしいです。

 

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日本へのメッセージ

こんなふうに43年間、パルバースさんはたくさんの素晴らしい日本人と出会ってきて、自分は果報者だと思っているそうです。今の若者も大好きだし、「日本は元気がない」と今は言われていますが、必ず復活して元気になると信じています。昔は「富国強兵」でしたが、21世紀の日本は「富国強芸」で、芸術に力を入れることが国を豊かにする唯一の方法だと思っています。政治も経済も大切ですが、あらゆることの中心は文化です。

また、日本語も特別なものとするのではなく、もっともっと国際化して、たくさんの人が学べるようにすべきだともおっしゃいました。「日本人も外国人も、日本語は難しくて特別な言語だと思っているけれど、決してそんなことはなく、学びやすい言語です。言葉を学ぶことによって文化を知ることができる。日本語が世界に開かれることはすごく重要です」

日本人は外に眼を向けるばかりではなく、自分の素晴らしい文化、言語を見直し、自信を持つべきだという力強いメッセージで締めくくられました。

 

講演後の質疑応答では、「日本文化を守り、海外に伝えていく為に、若者は何をすればいいですか?」「伝統文化よりも、アニメやマンガが日本文化として人気を博しているが、それについてどう思われますか?」「日本の自然は来日した当時と今とではどう変わっていますか?」などの質問が活発に出て、それに対して丁寧にお答えいただきました。

最後の交流会では、飲み物とお菓子を楽しみながら、パルバースさんとお話したり、参加者同士歓談したりと、和やかな雰囲気でイベントを終えることができました。日本文化を見直し、日本人として伝統や文化を守り伝えていくことの大切さを感じた一日でした。

 

 

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