自分たちの文化のない国 ~ Dramalab “Notes on Life & Love & Painting”

「Notes on Life & Love & Painting」の公演写真1
Notes on Life & Love & Painting
(c 日馬プレス・本吉泰介)

劇団Dramalabの公演、「Notes on Life & Love & Painting」を観にいってきました。この連載の第1回目に取り上げた「Election Day」と同様、Huzir Sulaimanの戯曲をKrishen Jitが演出した作品です。最近はすっかり作品を発表しなくなっているHuzirですが、彼の旧作がKrishenによる新しい解釈とともに紹介されるのはうれしいことです。

Notes」は、主人公にインタビューする女性レポーターに答えるという形式で、全編主演のZahim Albakriのモノローグで進行します。成功した弁護士であった彼は、物質的に満ち足りた成功を送っていました。しかし、空き巣に持ち物の一切合財を持っていかれたことを契機に画家に転向します。持ち物を全て失ったことにより、物に縛られない自由を獲得したわけです。彼は自分の芸術について語り、社会について語り、愛について語ります。舞台上に広げられた白いキャンバスには、Mac Chanによる照明が様々な色彩を描いていきます。

この作品は、1999年にHuzir自身の演出で初演されましたが、そのときにはZahimが実際に舞台上で絵筆を取り、作品を仕上げるという趣向が凝らされていました。Krishenは、それを照明で表現することでZahimが観客に向かって語りかけることを可能にし、初演では録音で流されていた女性インタビュアーの台詞もカットすることでより凝集感のある舞台を作っていました。個人的にはHuzir演出の面白さも捨てがたいと思いましたが。

「Notes on Life & Love & Painting」の公演写真2
Notes on Life & Love & Painting
(c 日馬プレス・本吉泰介)

実は、「Notes」は個人的に非常に思い出深い作品です。99年にマレーシアにやってきて、最初に見た演劇がこの作品だったからです。到着して数週間、まだ右も左も分からない中で観た「Notes」は、マレーシア人のアイデンティティについて、強烈なメッセージを突きつけてよこしたのでした。

劇中、主人公は言います。「I am a derivative artist, it is because Malaysia is a derivative country」。マレーシア文化のほとんど全ては輸入品だ。中国人は中国から来たし、インド人はインドから来た。マレー人は・・・彼らがやってきたところから来た。マレー語はサンスクリット語、アラビア語、そして英語の単語であふれかえっているし、政治や法律はイギリスのコピーだ。特産のゴムの木だってブラジルから持ち込まれたものじゃないか・・・。

マレーシアは何を生み出したのか?マレーシア人とは「何者でもない人」なのか?Huzirはこの作品で答えを提示しようとはしていません。しかし、斜に構えて偽悪的に語り続けながらも、自らが拠って立つ基盤がはっきりしないもどかしさ、焦燥感がにじみ出ているように感じたのでした。

Krishen Jitの写真
Krishen Jit
(c 日馬プレス・本吉泰介)

改めてこの作品を観て、あるビデオインスタレーション作品を思い出しました。Wong Hoy Cheongというアーティストによる「RE:Looking」という作品です。マレーシアがヨーロッパを植民地化していたらどうだっただろう、という秀逸な発想によるこの作品は2003年6月のヴェニス・ビエンナーレで発表され、反響を呼びました。植民地化によって「ごちゃ混ぜ」にされたマレーシアの状況を逆説的に描き出したこの作品の根底に流れている「もどかしさ」は、「Notes」と共通のものなのではないかという気がします。「RE:Looking」は、2005年1月まで国立美術館で開かれているWong Hoy Cheongのソロ展示会で見ることができます。こちらにもお出かけになってみてはいかがでしょうか。

(コラム「劇場に出かけてみませんか」『日馬プレス』第287号 12月1日より)

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