外交は内政の鏡

 

いささか旧聞に属する話で恐縮だが、1999年12月、ドイツのヨシュカ・フィッシャー外相は、連邦議会の文化・メディア委員会で「対外文化政策―2000年構想」を説明した。そのなかで、「外国における文化事業は価値中立ではない。民主主義の促進、人権の実現(中略)については、明白な態度表明が必要」と述べた。この文化交流政策についての基本的な所信表明は、外相自ら認めるように、長らく維持されたドイツ文化交流政策の基本理念を一部修正するものであった。同年、雑誌「文化交流」のインタビューでも「文化交流は価値相対主義へ導くものであってはいけない。ドイツは、民主主義や人権などの中心的な価値を伝達する義務を負っている」と述べている。
 
ゲーテ・インスティトゥートの元事務総長ヨアヒム・ザトーリウスによると、それまでのドイツの文化交流政策の基本理念を作ったのは、1969年に発足した社会民主党・自由民主党連立政権で外務政務次官に就任した社会学者ラルフ・ダーレンドルフだという。その基本理念の中心は、文化の概念を「文明の現代的な問題」にまで拡大すること、「世界に開かれた相互理解」をめざすこと、自らを呈示するとともに相手からも受容される「共同作業」であること、という三点からなる。この「文化の価値中立」的な考え方は、長らくドイツの文化交流政策の基調を形づくるとともに、他国の文化交流政策の先例ともなった。
 
何がドイツの文化交流政策の理念修正をもたらしたのか、その背景を考えることは興味深い。民族紛争の多発が、民主主義と人権概念伝達の必要性への信念を深めた要因であったことは容易に想像できる。しかし、こうした変化は必ずしもドイツをとりまく外の状況から生まれたものではない。
 
1999年ドイツ在住の外国人は734万人、人口の8.9%に達した。10年前に比べ250万人、52%の急激な増加である。90年代にはバルカン半島とトルコからの移住者が目立っている。グローバリゼーションの一つの特徴がさまざまな文化をもつ人間の移動と混住と考えれば、ドイツはまさにその渦中にあると言える。外国人がこれだけ急激に増えると、外国人の移住の制限とドイツ社会への統合が大きな問題となる。

翌2000年、連邦議会のキリスト教民主同盟・同社会同盟統一会派の代表フリードリヒ・メルツが「ドイツ人と移住外国人の共生には、すべての人が共に受け容れる『主導文化』が必要」という発言を行ったことで、政界・言論界に大きな論争を巻き起こした。

「主導文化」という用語は、発案者であるシリア出身でゲッティンゲン大学教授のバッサム・ティビによると、共生の絆としての「民主主義・寛容・個人の人権に代表されるドイツ基本法の価値観と共通の言語」を意味していた。この限りでは「主導文化」に「文化」的意味合いは薄い。しかし、メルツ発言を契機に論争が広がったのは、「ドイツは(さまざまな文化が単に並存する)多文化社会ではない」と考えるキリスト教民主同盟の中に、在住外国人の統合について、「ドイツの社会的文化的環境への順応」、「ヨーロッパの啓蒙的伝統に裏打ちされたキリスト教的西洋的文化の価値体系の受容」を求める声があることも影響していた。

 ここに見られるのは、異なる文化をもつ多くの人々が共生する社会のなかで、国民統合の最大公約数的原理を、民主主義や人権などの「中心的価値」に求めようとする姿である。

世界に向けたドイツの文化交流政策の新たな理念は、内なる社会に向けた統合の原理でもあった。そしてその統合の軸としての「主導文化」(Leitkultur)は、グローバリゼーションの渦中にあって新たなアイデンティティを摸索するドイツの「悩める文化」(Leidkultur)でもある。

 

 

 

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