柔道を通じた国際交流

 

山下教授の写真

東海大学教授山下泰裕(柔道八段)
9月に中東文化交流・対話ミッションのメンバーの一員としてヨルダン・イランを訪問した山下教授のスピーチです。

 

昨年5月、小泉総理がロシアのサンクトペテルブルクの建都300周年記念式典に参加されました。このときロシアのプーチン大統領と首脳会談が行われました。プーチン大統領は大の柔道家です。同大統領は、あるインタビューにおいて、柔道と出会ったことが人生の転機となり、考え方や人生観、人との接し方が変わり、今の自分が作られたと語っています。この記念式典に出席した世界首脳の中で、プーチン大統領と首脳会談を行ったのは、アメリカのブッシュ大統領と小泉総理の二人だけでしたが、そのことにも柔道が深く関わっています。この記念式典の前年、小泉総理とプーチン大統領が初めて会談した際、両国の長年の懸案である領土問題の話なども絡み、両者間に気まずい雰囲気が流れてしまったそうです。そこで、プーチン大統領が柔道家であったことから、翌年の記念式典の際に、私が小泉総理と一緒に訪露し、柔道場にプーチン大統領を訪ね、その二階で日露首脳会談が開催されたのです。

プーチン大統領は柔道で使われている礼や引き分けが日本語であることから、日本文化に興味を持たれたそうです。柔道を通して、ロシア大統領が日本に興味を持ち、日本文化に理解を示して好意を持つことは、日本人のみならず、今後の日露両国にとって極めて意味があります。そして、私はロシアだけではなく、このように柔道を通じて世界の国々にお役に立てないかと、考えています。

私が柔道を始めたのは小学4年生の時です。当時は暴れん坊で、私が学校にいるからと、登校拒否を起こす子供までいるほどでした。私の行く末を案じた両親が、柔道で鍛え直してもらおうと、近くの柔道場に入門させたのが、私が柔道と出会ったきっかけです。ただ、小学生時代は遊びの延長で、柔道を始めたからといって私の行動に変化は見られませんでした。その後、柔道の強い中学に入学し、そこで白石先生とう素晴らしい柔道の恩師を出会ったから私は徐々に変わり始めました。白石先生は、柔道の試合で勝つための技術、体力、戦術に加え、柔道の道、人間形成の話を生徒達に何度も話されました。その教えを素直に聞く中で、先生の教えが頭の天辺から体全体に染み渡るように、私自身が変わっていったのです。この原体験が、今の私の活動に大きな影響を与えています。

例えば先生は、「柔道のチャンピオンを目指して頑張るのは、すばらしいことだが、みんなにはもっと大事なことがある。それは柔道のチャンピオンになるだけではなく、社会に出て活躍できる、役に立つ人間、社会の勝利者である人生のチャンピオンになることだ。そのためにも柔道だけでなく、しっかりと勉強し、柔道を通して人間を磨いてほしい」という言葉をかけてくれました。他にも沢山の教えを頂きましたが、先生の教えを聞く中で、私自身が少しずつ変わっていったのです。

中学2年生の時の作文「将来の夢」で、私は「大好きな柔道で一生懸命頑張りオリンピックに出場し、メインポールの日の丸を仰ぎ見ながら、国歌を聴き、現役を終わった後も、柔道の素晴らしさを世界の人々に広げられる仕事がしたい」と書きました。そして、20年前の1984年のロサンゼルスオリンピックで、その夢を実現しました。表彰台の一番高い所に上がった時には「私は世界で一番幸せな男だ」と、心からそう思いました。

しかし、私は現役選手として、全日本チームのコーチ、監督として、世界の頂点を目指す過程において、日本の柔道界に一つの大きな疑問を持ち始めていました。それは人を育てる、人を育む人間教育であるべきはずの柔道が、現実には勝ち負けにこだわって、柔道人のマナーが悪くなってきていることでした。大半の柔道人は「柔道は人づくりだ」と言いますが、私が見る限り、とてもそのような競技には見えませんでした。
この5!)10年間程、私は柔道の仲間あるいは大先輩に対し「今の柔道は、あまりにも勝ち負けにこだわりすぎて、一番大事なものを忘れているようにみえる」と訴え続けました。柔道の創設者、嘉納治五郎先生が柔道を創った目的は、柔道の修業を通じて心身を磨き高めて世を補益する、社会の役に立つ人間を育てていこうというものです。

私の好きな言葉の一つに「伝統とは形を継承することではなく、その精神、魂を継承することである」があります。私達は嘉納先生が創られた柔道を、本当に継承してきただろうか。目に見える部分だけを求め魂を忘れていないだろうか。そのように思えたのです。

2001年、日本柔道界に、柔道ルネサンス活動と言われる新しい動きが起きました。これは柔道の創設者の理想の原点にもう一度立ち返り、柔道を通した人づくり、人間教育を、もっと大事にしていこうという活動で、まずは柔道人の人間性、モラルの向上を目指しています。何でもそうですが、下から物事を変えていくには多くの時間がかかりますが、上が変われば簡単なことでもあります。私の役割は、「今の選手は・・」と嘆くのではなく、今の柔道選手や柔道を習っている子供達のマナーが低いのも若い指導者のせいであり、若い指導者が悪いのは、私ども年配の指導者のせいなのだとの認識を、少しでも多くの柔道関係者の方々に持ってもらうことです。私ども高段者の指導者の意識が変わらない限り何も変わりません。今の選手の問題ではなく、私達自身の問題なのです。このような認識から、様々なボランティア活動に参画したり、障害を持った人達との交流などの活動を積極的に展開しています。私はこの活動に、3!)5年位である程度の目途をつけ、その成果を今後は柔道だけではなく、他の武道やスポーツにも広げていきたいと考えています。

このように私は、選手としての活躍後、監督として、また日本柔道界をより良くするために活動してきましたが、2年程前から、私を取り巻く環境が変わってきました。昨年9月、国際柔道連盟の教育コーチング理事に選出されたのです。この理事選挙のキャンペーンの過程において私が強く感じたことがあります。それは、これまでも日本柔道界には国際的に活躍されてきた方々が多数おられるのに、世界からの情報が柔道の母国である日本に殆ど入ってきていないということでした。また、日本柔道界は世界の柔道の発展をあまり考えていない、自国のことばかり考えていると外国からは見られていたのです。日本は良いことを多く行っている割には、世界から信用されていないとういうことも分かってきました。それどころか、社会の変化に合わせて世界の柔道界がいくら新しい提案をしても、日本は全て反対に回って自らの伝統を守ることだけに固執し、世界の柔道の発展などには興味がないのではないかと、不信感を抱かれてしまっていたのです。

私は理事として任期4年を日本の柔道のためよりも、世界の柔道のために一生懸命汗をかこうと決意しました。その結果、四年後に「世界の柔道発展のためには、柔道が生まれ育った日本が、やはり世界柔道の中心にいないといけない」となるように世界の見方を変えさせたい、私はそのような気持ちで活動をしています。

教育コーチング理事就任に当たり、私は自らの抱負として三つの公約を国際柔道連盟総会においてお話しました。一つは、柔道がオリンピックスポーツとして理解されるように努めること、二つ目に柔道が多くの国に普及、発展するように努めること、そして三つ目が柔道の教育的価値を認識してもらい、それを高めることです。これらをふまえた上で、今年1月にはアテネで教育コーチング会議とセミナーを開催し、4月にはニューカレドニア島でもセミナーを開催しました。世界の国々のコーチたちと意見交換をしながら、柔道がたくさんの人にとって楽しく、やりたいと思えるスポーツであるよう、普及と発展に努めるのが私の役割です。

昨年、チュニジアでのサッカー試合に同行取材した日本人記者の記事の中に、チュニジアでの通訳者の話が紹介されていました。チュニジアには日本語の通訳は二人しかおらず、彼が日本語通訳になったきっかけは柔道だったということです。ロシアのプーチン大統領と同じですが、柔道の言葉から日本語、そして日本文化に興味を持ち始めて、日本語通訳者までになったそうです。そしてチュニジアでの試合を終えた日本チームに同行するため記者が空港で飛行機に乗ろうとした時に、後ろを振り返ると、その通訳の方が深々とお辞儀をしている姿を見つけ、目頭が熱くなったと書かれていました。
イスラムの国ではアッラーの神以外には頭を下げないと聞きました。しかし、柔道では何よりも相手に対する敬意、尊敬が大事なのです。それを表すのが日本では礼であり、真剣に柔道を学んでいる人はそのことを理解しているのです。1月のアテネでのセミナーにおいて、相手を尊敬する、礼法の大事さを説いたのはイランの柔道連盟会長でした。

このように柔道が世界に広がっていくことは、ただ技術だけの問題ではなく、柔道の教育的な価値、柔道の心が世界に広がり、日本の理解が進むことにもつながっていくのです。この3月にもイラク復興支援の一環として、私の提案で外務省と全日本柔道連とが協力してイラクに柔道着と畳を寄贈しました。これまでの日本の支援は、モノを贈ることが重視されていましたが、モノの寄贈だけでは全く変わりません。外務省には「全柔連と協力してモノの中に魂を入れていきましょう。そうすることが日本への感謝だけにとどまらず、日本への理解にもつながっていくのです」と説明しています。

私は欲張りな人間で、人生を5、6回生きたいと思っています。1回目の人生は柔道選手としての人生でした。2回目の人生は柔道指導者としての人生でした。そして今、第2の人生から第3の人生に移行していると思います。第4、第5の人生はまだ描けていませんが、最後の夢ははっきりしています。私には尊敬する偉大な方が二人おられます。一人は柔道の創始者、嘉納先生、もう一人は私の柔道の恩師であり、国際柔道連盟会長も務められた松前重義先生です。嘉納先生とは年代が違いますからお会いしたことはありませんが、私の最後の夢はこの世での役割を終えた後、来世でお二人とお会いすることです。

嘉納先生が、「おまえが山下か。日本の柔道は頑張ったな。よく私の精神を理解して頑張ってくれた」と迎えて下さる。松前先生が「ご苦労さん。私の見た目に狂いはなかった。期待した通りの活躍をしてくれた」と、私を導いて下さる。これが私の人生最後の夢です。

私の目指しているものは、大き過ぎるかもしれません。でもお二人の遺志を継ぎ、20年、30年後の日本のために、日本の柔道を通して世界に種をまいていきたい。途中で倒れるかもしれませんが、私の後には若い有為な真の柔道家がたくさん育ってきています。
最近、非常に気に入った言葉を見つけました。「一人では何もできない。しかし、一人から始めなければ何もできない。」多くの人たちと力を合わせ、世界の柔道の発展のために全力を尽くしていきたいと思います。

 

 

 

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