「ごくせん」流で行け:中東民主化と日本

 

ヤンクミの奮闘から、14世紀アラブの歴史家、イブン・ハルドゥーンを思い出した・・・

 

「ごくせん」が高視聴率で放送を終えた。ヒロインの歯切れ良い啖呵(たんか)が売りのこのドラマが扱っていたテーマは、案外重い。仲間由紀恵演じるヤンクミ先生が、問題児たちに熱っぽく語りかけていたのは、傷ついた誇りの回復である。既存の社会通念や人間関係が揺らぐ現代。生徒が生徒であること、教師が教師であることに自信をもてず不安を抱えて生きている。アイデンティティー危機の時代だ。そのなかで周囲に白眼視される問題児たちの誇りを回復させようと彼女は闘った。

ヤンクミの奮闘から、14世紀アラブの歴史家、イブン・ハルドゥーンを思い出した。彼は「文明」とは人間社会に不可欠な社会的結合原理であり、文明を文明たらしめる社会連帯意識を「アサビーヤ」と呼んだ。かつて中東の人々に安らぎと誇りを与えてきた伝統的な血縁、地縁アサビーヤが急速な近代化で脆弱化している。

伝統社会から放り出された不安な「個」の意識を宗教やナショナリズムの名のもとに回収する新しい現代のアサビーヤが登場している。自己尊厳が危機にさらされているゆえに、アルカイダのような、欧米、世俗主義に対する敵意を強調する「過剰アサビーヤ」が生まれるのである。中東でテロが頻発する根本問題として社会変動に伴う人々の誇りのあり様という側面を見落としてはならない。

傷ついた誇りをいかに回復させるか。相手に対する尊敬の念を欠いた一方的な経済援助や、「俺のやり方を学べ」式の押し付けの民主化は、中東の誇りを傷つけ、「過剰アサビーヤ」を生み出す。彼らの歴史や伝統からも謙虚に学ぶ、という相互理解の姿勢が必要だ。その過程で、彼らの歴史のなかにある平等性や民主性を見出し、尊重していくことが求められる。

今日、イスラム世界には、イスラムの教えのなかに人権、民主主義、男女同権の精神があり、その精神を現代に生かしていこうという「リベラル・イスラム」と呼ばれる人々が存在する。こうした考えが主流となって内部から民主化が進むことが望ましい。

ヤンクミは、任侠一家出身という人にいえない劣等感を抱えている。エリートではない彼女だからこそ、心の傷を抱えた若者と対話することができる。日本は西洋でないがゆえに、非西洋が近代化することの痛みを知るはずだ。だからこそ、欧米とは違った形で、伝統と現代の相克に悩む非西洋世界に伝えうる経験があるのではないだろうか。中東民主化に際して、日本は「ごくせん」アプローチでゆくべきだ。

 

(東京読売新聞 2005年4月8日付 夕刊「文化」より)

 

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