「僕は三味線をやるために生まれてきた・・・」

 

上妻宏光グループ欧州5カ国ツアー公演の写真1

オープニングイベントで演奏する上妻宏光氏
(写真提供:Julian Ortega氏、在バルセロナ総領事館)

今春、欧州5カ国ツアーを終えた、三味線奏者上妻(あがつま)宏光氏へのインタビュー

 

今年1月、上妻(あがつま)宏光グループは、日本EU市民交流年記念事業の一環で、ジャパンファウンデーション主催欧州5カ国ツアー(スペイン、ポルトガル、フランス、ルクセンブルク、ベルギー)を行いました。

2月には新アルバム「永遠の詩」をリリースし、~伝統と革新 ―そして伝承へー ~というタイトルで全国ツアーを開始した上妻氏に、先の欧州ツアーや三味線の新たな可能性についてお話を伺いました。

 

上妻宏光グループ欧州5カ国ツアー公演の写真2

上妻宏光氏
(写真提供:カサ・アジア、在バルセロナ総領事館)

欧州ツアー

――今回の欧州でのコンサートは、どのような気持ちで臨みましたか?何を伝えようという思いで?

自分の(音楽の)再確認という面もありますが 海外の人の真似できないものをまず演奏したいという気持ちがありました。前回の欧州ツアーでは古典だけだったのですが、今回は民謡古典に加え、古典を自分なりに解釈して作曲したものも演奏しました。 

古典のものだけをやる場面も必要だと思いますが、現代の風をいれることで新たな関心をよぶこともできます。現代に生きている人たちにもなじんでもらえるようなサウンドがあるということ、新旧のものがあるということ、この楽器でいろいろ表現できるんですよ、ということを知ってもらいたかったので、コンサートでは新旧のものを織り交ぜて、構成は古典から自分のオリジナル曲をまぜて演奏しました。その意味で、やりたかったことはやれたと思います。

――具体的には?
 
日本独特の間というものが民謡にはあります。(それを伝えるような)古典のソロの演奏から、太鼓と三味線のかけあい、バトルですが、そういう人間のぶつかりあいを見せ、新しいものでいうと、ピアノも混ぜてクラシック調の楽曲もやりました。さらに和太鼓、民謡歌手の方もいれて演奏しました。

アプローチ的には日本よりのサウンドにしましたが、所々ジャズっぽくスローにしたり、従来の三味線を見ていた人は、三味線でもブルースやジャズクラシックな感じの演奏ができるのだ、というそんな新鮮さを感じてもらえたと思います。

――お客さんの反応はいかがでしたか

ヨーロッパではクラシックがある程度根づいている面があるからでしょうか、アコースティックな音楽に対しても、聞く耳を持つ方が多かったです。コンサートのあとの感想を聞いていると、日本の音楽に対しての関心の深さを感じました。

歌舞伎や古典では、ある程度音の使い方は限られています。一方、ジャズのコード進行でやっていくと、古典でないような音を使い演奏しなくてはいけない部分もでてきます。だから、三味線でこういう演奏もできるのか、という自由度や新鮮さについてよく言われました。

新しい音というか新しいスタイルをみるということで驚きがありますが、それは自分たちがやってるものは、海外に多くは出ていってないからということがあります。最初の驚き、それは本当の意味で音楽を理解してくれているのか、というのとはちょっと違うところもありますから、めざすのはその先です。

今回、驚くだけでなく、もっと(三味線について)知りたいという方も多かったです。海外の方は、三味線に対して固定概念がない。初めて津軽三味線を見て、日本海を思い浮かべる人はいないでしょう。その意味で、よりストレートにうけいれてもらえる、ニュートラルにうけてもらえるという面もあったと思います。

――お客さんは三味線のどのようなところに関心をもっていましたか?  

楽器の生い立ちや昔はどういう場所で演奏されたのか、など聞かれました。お客さんはテクニック、奏法にもすごく興味をもっていました。リズムのなまり方やアクセントには独特のものがあるので、どうやってなまりをとっているのだろう思うのでしょう。三味線の場合、撥をこう(ひねって)やることによってのタイムラグがあり、力の入れ具合とか移動の「間」など独特のものがあります。

――とくに印象的な出来事は?

フラメンコとの共演が実現しました。ギターの人とカホンという楽器とフラメンコダンサー。曲は自分の曲を数曲と向こうのフラメンコの楽曲数曲と6曲くらいを、1時間くらい打ち合わせしてライブをしました。

向こうの方には、日本のそういう楽器で、フラメンコと合わせられるということが驚きだったようです。あとフラメンコのギターの奏法のアタック、パーカション的な「ワー」というニュアンスが、わりと三味線の撥にすごく似ていることもですね。 

踊りの場合は、あるステップを踏んだら止まる、といったように決めるけれど、それまではフリーです。三味線も、スタイルはわりとフリーで、即興という部分で似ているな、というのを感じました。知ってはいましたが、実際にやってみないとだめですね。

――即興で、踊りに合わせたのですか?

 
合わせましたよ(笑)!どこでというのは打ち合わせしていなかったから、どこで止まるかわからなくて。いい経験ですよ、得たものは大きいですね。

――観衆の反応は?

えらく熱狂的でしたよ。ぶっつけ本番でけっこう怖かったですけど、その緊張感がまた心地よかったです。これは国と国というより、音楽と音楽、人と人との(コミュニケーション)です。言葉じゃなくて、本能というか感性であわせる……なんともいえない楽しい経験でした。

――今回のツアーを通じ何を感じましたか、何を得ましたか?

改めて日本文化のよさを知りましたし、生活に密着した民族のカラーは大切だなと思いました。日本はすごく欧米化していますがすばらしいものがある。海外に出ればその良さ悪さがわかるので、改めてもっと日本文化を知りたいなと思うようになりましたね。 

――音楽的には?

やはり共演したフラメンコの拍数、アクセントのつけ方やとり方ですね。すこし日本の民謡っぽいところもあります。それがうまく自分の作った曲のなかでフレーズに活かせたら面白いかなと思います。このフレーズがきたら、小節も関係なく全員バンドの人間が止まるとか、そんな新しいことを考えるきっかけを得ました。

 

上妻宏光グループ欧州5カ国ツアー公演の写真3

上妻宏光氏
(写真提供:カサ・アジア、在バルセロナ総領事館)

上妻氏と津軽三味線

――津軽三味線への思いについてきかせてください。エレキ三味線をやる一方で、津軽三味線全国大会で2年連続優勝するなど、伝統的な音楽も追求しました。

その年のエントリーのなかで一番というだけですが、意地でもとろうと練習しました。

ぼくとしては日本というものをベーシックに持ち、その上に海外のものを付け加えていくスタイルで海外でも活躍したい。日本というものをベーシックなスタイルとして持っていれば、海外の物まねにならずに足元がしっかりしていると、海外で見られるだろうと思います。

17歳とときからエレキ三味線を使い始めました。そんな楽器を作ること自体、邪道だといわれていたころです。今は邦楽ブームのようなものがありますが、ぼくが活動始めたころは こういう活動することじたいがタブーというか難しい世界だったですね。民謡の世界、そこでは食べていけないな、という覚悟で活動していました。当時はそういう楽器使っている人も、そういう活動している人もいませんでした。家元とのつながり、横のつながりのある世界ですから。
 
――どのような気持ちで?

今の風を入れなければ、文化とか音楽というものはダメなのではないかという思いがありました。歌舞伎や狂言や能でも、その時代のはやりのものをとりいれた面はあったのです。やはり新しいものを取り入れ、今の人たちが今を感じるから楽しんでもらえる面があると思います。民謡自体も、それが作られた当時の日本人が作業や仕事をしていて出てきたリズムやメロディーを取り入れています。

これまで、民謡を聞いて勉強してきたこと、いろいろな音楽を聴いて感じたものをミックスすることで、自分のスタイルができてくると思っています。音楽は、どこかで、ある程度進化というか成長しないと。それがあるからこそ、従来あった原点というか、昔の音楽のすごさもわかるでしょうし、より今それが生かされるようになります。

また新しいことをするから、違いがわかるんです。たとえばひとつのものだけをみていると、たいしたことないと思うかもしれない。でも、比較するものがあると、違いがわかってきます。新しいことをやることで、誰かが批判する。だから民謡の原点のほうがいいだろう、という人もいます。ちゃらちゃらロックみたいなものを弾いて何が三味線だ、という人もいるかもしれません。守る人間も必要です。

でもある程度、伝統というか形をある程度壊しながら創っていくことで生まれるものもあります。そうすることで(津軽三味線の)世界を広げてゆくことができます。だからこそ「型」があって型破り。「型」をやらないうちに、型破りにはなれない。あとは追求だと、深さだと思います。ぼくの場合は(伝統を守るだけでなく)広げる立場だと思います。

今の日本で、人間らしさとか日本人らしさとか、そういうものをあまり意識しなくなってしまっています。ぼくはこれから若い人にできるだけ自分なりの表現法で音楽を伝えていって、日本のよさを残していきたいな、と思います。

なんと言われても、音楽って基本的には自由、楽しむものだと思います。いかに自分の感性、今の感性をベーシックなものに入れていくことで広がりが全然違います。現にそれがきっかけで、三味線というものを知る人が少なからず何人かいるわけです。だからそうやって、徐々に意識を変えていって、実際に三味線習う人がどんどん増えてきたら……と思いますね。

今でいう、(ヤンキースの)松井さん、イチローさん、本当の意味での開拓者でいうなら野茂さんだと思いますが、初めてやる人間のつらさというのはあります。やはり最初にない道を作ろうとしたら、大きい石とかよけいなものを全部どけないといけない。どけたうえでそこにアスファルトをはって車が通れるわけですから。

今の時代、ある程度道はできてきました。ぼくらが10代のころは、ずっと石をどかしながら、こっちの道じゃだめだ、あっちへ行こうと、石をひとつひとつ動かしていこうとやってきました。

一回やるごとに失敗して、またひとつ成功が生まれてそれが積み重なって、ある程度のかたちができてきました。ぼくひとりが開拓したわけではないですが。津軽三味線の木乃下(真市)さんや浪曲の国元(武春)さんも、以前から取り組まれています。

――津軽三味線を続けてゆく、その楽しさをどこに感じますか?

僕は三味線をやるために生まれてきたと思っています、なぜかというと、周波数を聞いていていまだにあきないということなんです。その波長、音色、音の波形というものが自分にあっています。だから雑音がなく、耳に入ってくる。いわばステレオ音できれいに音がはいってくるのです。  

ぼくにとって三味線は人生のパートナー、自分を表現できる体の一部です。世界の人たちとコミュニケーションする手段、世界と僕をつなぐ接点なのです。

 

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