Soseki in London

 

ガウアー・ストリートの写真

漱石がロンドン到着直後に泊まった宿の
あったガウアー・ストリート

日本文学の父と呼ばれる夏目漱石と、シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルは、まったく同じ時期にロンドンで生きていた--。

この事実を知った読者は驚かれるであろうか。名探偵ホームズの名前は聞いたことがあるけれど、具体的にいつ頃書かれたものかと尋ねられると、首をひねってしまうという方が多いのではないかと思う。

実際、この話を日本人にすると、今のところ全員が「えっ!本当に?」と判で押したように期待どおりの反応をしてくれるので、自信を持ってお勧めできるつかみネタ(あるいはトリビア的雑学)である。

夏目漱石が文部省派遣留学生第1期生として英国に滞在したのは、1900~02年の2年間。それから1世紀以上を経て、近頃のロンドンでは漱石回 顧が静かなるトレンドとしてじわじわと浸透し始めているように感じる。そこで以下、「読書会」、出版事業、そして大使館での講演会など、一連の漱石ムーブ メントをレポートする。

その1 「倫敦木曜会」的漱石

「ネタ」「雑学」扱いでは東西の大文豪に失礼も甚だしいが、漱石とホームズの同時代性について知る機会を与えてくれたのは、ロンドンで出会った漱石作品の読書会である。

昨年10月、当地の日本語情報紙「ニュース・ダイジェスト」に目を通していると、たまたま目についた囲い込み記事『スペシャル・カルチャー講座  漱石のロンドンを読むⅡ』。大学生の頃、『我輩は猫である』を読み始めたもののどうも面白みがわからなくて途中でやめてしまい、以来漱石作品は何となくア レルギー気味で読んでいなかった。

そんな私でも、漱石がロンドンに留学していたことは知っていたし、やはりロンドンに住むようになった以上、一度はフォローしておくべき話題である ような気がしていた。そこへ偶然にもつかめた読書会の情報、しかもちょうど翌週から始まるというタイミングの良さ。昼の部の読書会は都合がつかないので、 夜の部の講演会へ参加してみた。

その回のテーマは『漱石とホームズのロンドン』だった。講師の多胡吉郎(たごきちろう)氏はイギリス在住の文筆家であり、とりわけイギリス滞在時代の漱石に造詣が深い。『吾輩はロンドンである』『スコットランドの漱石』という書も著されている。

講演会は、綿密な調査と準備をされた多胡氏が、軽妙なトークを交えながら、漱石の短編とホームズ作品の抜粋を用いて進められた。情報誌に書いてあったとおり、氏は「全く新しい視点から比較論を展開」され、漱石とホームズと、楽しみがダブルで味わえた。

多胡氏によると、ロンドン滞在中の漱石(当時は漱石を名乗る前のこと、本名の夏目金之助で生活していた)が、ドイルに会うことはおろか、シャー ロック・ホームズものを読んだ、という記録はどこにもないそうだ。しかし1900年の冒頭の数年間、ホームズシリーズは新聞に連載されており、たいそう巷 の人気を集めていたことから、金之助がその新聞を目にしたりお茶飲み話の中で聞いたということは十分考えられる、というのが多胡氏の推理である。

金之助はロンドン滞在の2年間で実に5回も住居を変えている。ホームズ作品にも登場するそれぞれの地域の記述は、当時金之助が見て感じていたであ ろう町並みに極めて近いに違いない。ホームズ作品の端々には、当時の社会状況-流行のものから、街の様子まで-が描かれている。金之助もそれらと同じこと を見聞したり体験していたことが、ロンドン滞在当時の日記や書簡を通じて明らかになる。ホームズ作品を読むことで、漱石のロンドン時代に対する理解が深ま る。一見異なる両者の同時代性を探ってゆくのは、なんとも面白い作業であった。

読書会は毎週木曜に開催されることから「倫敦木曜会」との名がついている。だいたいいつも20人前後の参加者があるようで、第1回から参加されている常連さんも多かった。

その2 『Tower of London』的漱石

今年1月、ロンドンで、漱石の短編集の英訳『Tower of London』が出版された。

『Tower of London』の表紙画像

Tower of London

夏目漱石作品は、これまでにもいくつか英訳されているが、長編が中心で、しかも翻訳されてからだいぶ時間がたって絶版になってしまっているものもあ る。しかし、ロンドン滞在にまつわる短編だけを集めた本というものは、英訳はおろか日本語版ですらいまだかつて出版されたことがないという。翻訳者のダミ アン・フラナガン氏はそこに着目して翻訳を手がけられた。

フラナガン氏は、韓国のプサンからソウルへ向かう汽車の中で読んだ『倫敦塔』に感銘を受けて開眼し、以後漱石の再評価に情熱を傾けているイギリス 人の若手研究者だ。タイトルは、この短編集の趣旨にふさわしく、またフラナガン氏にとっても思い入れの深い作品『倫敦塔』の英題をそのまま用いて、 「Tower of London」となった。

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)も部分的に出版費用を助成したことから、出版を記念するフラナガン氏の講演会が、出版直後の1月末に 当ロンドン事務所で出版社との協力のもと開催された。当日は「木曜会」からも10数名が駆けつけてくださり(和服姿で雰囲気を盛り上げてくださった方 も!)、全部で90名以上の参加があった。ホールがさほど大きくない当事務所の主催イベントとしては大入りの部類に入る。フラナガン氏のお話は文句なしに 面白く、出席者の誰もが引き込まれていた。私も裏方の仕事を忘れてしばし聞き入ってしまったほど。

 

フラナガン氏 出版記念講演の写真

フラナガン氏 出版記念講演

ロンドンの静かに広がりつつある漱石ブームを裏付けるかのように、講演会終了後、出版社が当日限定の割引価格で販売した『Tower of London』は完売してしまった。さらに、フラナガン氏にサインを求めたり質問するための人が長蛇の列をなして待っており、列がなくなるまで相当な時間 がかかった。

氏は、2003年に、『日本人が知らない夏目漱石』という日本語の本を出版されたことで日本でも脚光を浴びた。このずっしりと難解な論文のごとき書籍を、氏は直接日本語で書かれている。

また、「漱石はトルストイやドストエフスキー並みの世界の文豪として評価されるべきである」と語り、そんな漱石を「西洋」に紹介したいというフラナガン氏の熱意に打たれた日本の企業経営者が、影のパトロンとして彼の一連の翻訳活動を支援しているという。

後日フラナガン氏はBBCラジオにも出演されたようだ。また、全国紙や図書専門誌に書評が出るなど、じわじわと反響がでている。なかでも、全国紙 サンデー・テレグラフの記事の評が、文学を含めた日本文化の海外発信に携わるものにとって印象的だったので、ここで勝手に翻訳して引用したい。

《・・・この本は全編にわたって詳細で情熱的な解説がつけられている。読者の理解を促す上では効果的な戦略であるが、果たして、同時に読者を増や す戦略として有効かどうかは疑問だ。それよりも必要なのは、漱石の主だった作品を集めて、新しく英語で紹介しなおすことである。その方が、フラナガン氏が 目指すように世界的文豪という評価が漱石に与えられることにつながるのではないか。》

これはつまり、良質の作品に英語でアクセスできるならば、たとえ解説がなくともイギリスの読者はついてくるものなのだという示唆であろう。

その3 「日本大使館講演会」的漱石

去る3月に在英日本大使館主催で「ロンドンの夏目漱石と日本近代文学」と題する講演会が行われた。私はこの講演会を、一連の漱石ムーブメントの第1章のフィナーレを彩るイベントとして(勝手に)位置づけている。

この講演会の口火も多胡氏が切った。漱石と東西の文化人との精神的交わりについて話され、とくに、ピアニストのグレン・グールドの晩年の愛読書は『草枕』だったというエピソードが印象的だった。

続いて神戸女学院大学の平井雅子教授は、正岡子規、とりわけ病床に伏してからの彼の作品について、漱石との交友関係を交えながら話された。(平井 氏によれば)子規と漱石は大学の同級生であり、子規は「木屑録」にて漱石を『初めての本当の友人』と言い、漱石の「倫敦消息」は、子規に宛てられた手紙を 「ホトトギス」に掲載したことで世に出た作品である。

子規は漱石の帰国を待たずに亡くなってしまったが、彼が長生きをして、英国経験を持ち帰った漱石と再び交流していたら、双方の創作に刺激を与え、今日私たちが手にする彼らの本には異なる作品が載っていたかもしれない・・・そんな気がした。

最後に登場したのはリーズ大学のマーク・ウィリアムズ教授。お話しは正直なところ難解だったが(マイクの音が悪くてよく聞き取れなかった、という ことにしておこう)、日本近代文学の作品においてはしばしば、登場人物と作家本人との共通性、あるいは登場人物への作家自身の投影が見出せる、という論点 を具体例をあげながら説明された。

こうして、図らずもこの半年ほどの間に、私は漱石とロンドンについて思いを巡らす習慣が身についていた。ロンドンにある多くの石やレンガ造りの建物も、公園も、地下鉄ですら、漱石がいた100年前から存在している。

ガウアー・ストリート(漱石がロンドン到着直後に泊まった宿のあった通り。事務所から歩いて約5分のところにある)、ヴィクトリア駅やカーライル 博物館付近を歩いて、あるいはバターシー公園からテムズ川と向こう岸のチェルシー地区を見て、「漱石もここを歩いたのかな」「漱石もこの光景を見たかし ら」と考える。(写真あり)すると、熱烈なファンでもなく、ただ英国の在留邦人を経験しているということくらいしか漱石と共通点のない私が、時空を超えた 不思議な連帯感を彼と共有しているように感じられ、そしてその連帯感は、同じ境遇の存在を見つけた安らぎと、異国で味わう孤独感からくる哀愁と、それでも この地で生きてゆく決心とが混じりあったような、簡単には表現しがたい感情を私にもたらすのである。

さきほど、3月の講演会は第1章のフィナーレだと書いた。今春以降、『Tower of London』の出版社は『坊ちゃん』と『門』の翻訳も出版する予定である。第2章、3章と、これからも漱石ムーブメントが盛り上がり、続いていくよう、応援したい。

 

 

 

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