タネも仕掛けもない「インドの不思議」

 

校庭での歓迎式の準備の写真

校庭での歓迎式の準備

ビシュトさんは、事務所のインターネット接続や機械のトラブルを見てくれるコンピュータ・エンジニアである。インフラやハードに弱いインドのこと、ほぼ1日おきくらいに事務所に駆けつけ、事務所の職員と家族のように付き合い、面倒を見てくれる、言わば何でも屋さんのような人である。

年齢29歳、独身。この若さで自ら小さな会社を持つ青年経営者でもある。

そのビシュトさんから、故郷で学校を開校するという話を聞いた時は、英語を間違えて聞いているのかと思ってしまった。もちろん、途上国の山奥に学校を建てるという話は良く聞く話である。しかし彼には親から譲り受けた財産もない。一介の技師であり、しかもこの若さである。

ナイニタール湖でボート遊びの写真

ナイニタール湖でボート遊び
手前がビシュット氏

夏目漱石作品は、これまでにもいくつか英訳されているが、長編が中心で、しかも翻訳されてからだいぶ時間がたって絶版になってしまっているものもあ る。しかし、ロンドン滞在にまつわる短編だけを集めた本というものは、英訳はおろか日本語版ですらいまだかつて出版されたことがないという。翻訳者のダミ アン・フラナガン氏はそこに着目して翻訳を手がけられた。

フラナガン氏は、韓国のプサンからソウルへ向かう汽車の中で読んだ『倫敦塔』に感銘を受けて開眼し、以後漱石の再評価に情熱を傾けているイギリス 人の若手研究者だ。タイトルは、この短編集の趣旨にふさわしく、またフラナガン氏にとっても思い入れの深い作品『倫敦塔』の英題をそのまま用いて、 「Tower of London」となった。

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)も部分的に出版費用を助成したことから、出版を記念するフラナガン氏の講演会が、出版直後の1月末に 当ロンドン事務所で出版社との協力のもと開催された。当日は「木曜会」からも10数名が駆けつけてくださり(和服姿で雰囲気を盛り上げてくださった方 も!)、全部で90名以上の参加があった。ホールがさほど大きくない当事務所の主催イベントとしては大入りの部類に入る。フラナガン氏のお話は文句なしに 面白く、出席者の誰もが引き込まれていた。私も裏方の仕事を忘れてしばし聞き入ってしまったほど。

 

小学生と中学生のダンスの写真

小学生と中学生のダンス

彼の出身地はウッタランチャル州のアルモラ。7000メートル級の山々を持つヒマラヤ山脈の手前に位置する山奥の村である。しかし彼自身は子供の頃、親に連れられてデリーに出、以後デリーで教育を受けた。ビシュトさんいわく、「アルモラの子供達は皆優秀だ。能力的に都会の子に劣ることは何もない。ただ自信が足りないだけなんだ。気後れさえしなければ誰にも劣ることはない。」と目を輝かせて語る。自分自身は幸いデリーで教育を受けることができたが、それと同じ水準の教育をアルモラでも実現出来さえすれば……。それが彼を学校建設に駆り立てたのだ。

開校式には行けなかったが、事務所の職員の間でも話が盛り上がり、3連休を利用して家族も連れてアルモラに行くことになった。一行10人が2台の車に分かれ、途中2回の休憩を取りながら片道13時間のロングドライブ。その途中、踏切では大渋滞に会い、一方通行の橋では気も遠くなるようなトラックの長蛇の列に割り込み、町では牛や人力車や人を掻き分け、山道では足のすくむようなカーブを曲がる。アクロバティックな運転に体を緊張させながら、嫌というほど走り続けてようやくアルモラに到着した。そこは涼しく空気はおいしく、それまでの苦痛が一気に報われる。

翌日いよいよ学校を訪問する。その名もホーリー・エンジェル・パブリック・スクール(インドでパブリック・スクールはプライベート・スクールを意味する)。

アルモラには、見事な段々畑があるが、新しくできる学校も同様に急勾配を切り開いて建てるしかない。校庭を造るのも大変だ。そのため、土地造成も完全に終わっていないし、資金難もあって校舎も未だ1階しかできていない。

にも拘わらず、開校3ヶ月で既に250人の生徒が学んでいるという。同郷の仲間3人(それぞれ法律事務所職員、予備校職員、会社員)も協力して建てたが、中心人物はビシュトさんである。

もちろんアルモラにも学校はたくさんあり不足している訳ではない。だが、ビシュトさんの夢は、いわゆるデリー並みの質の高い教育を行い、そこを出れば、全インド、全世界に羽ばたいて活躍できる人材を育てることなのだ。そのために、先生は全員デリーから引っ張って来たそうである。英字新聞は半日遅れ、モバイルも通じない所で、コンピュータルームには10台のパソコンが並んでいた。ビシュトさん自身も時々そこで教えるそうだ。

ビシュトさんいわく、「今まで子供たちは、大人になったらここで職を探すかデリーにでも出て何か仕事を見つけるんだ、という風にしか考えていなかった。でも今では、この学校に来る子供達は、皆、医者になりたいとか、パイロットになりたいとか、科学者になりたいとか、持つ意識が今までとは全然違って来ているんだ」。

校長先生は、「最近では、親からの期待も想像以上に大きくなってきて大変責任を感じる」と嬉しそうに語った。

我々一同は学校行事として開かれた歓迎会に招かれ、そこでは生徒達が歌を唱ったり踊りを踊ってくれた。つい先日、日本の首相がインドを訪問した際に、デリー・パブリック・スクールを訪れ、そこの生徒たちから大歓迎を受けたが、アルモラの生徒のプレゼンテーションは、規模こそ小さいものの、デリーと比べて優るとも劣らないすばらしいものだった。大したものだ。

 

私がもう一つ感心したのは、通常大きなプロジェクトでは、お金を出す篤志家、集める人、学校を建てる人、経営を考える人が、皆別々に役割分担を行うものだが、ここでは、全部自分たち(しかも主にビシュトさんが一人)でいとも簡単にやってしまったことだ。常識で考えるとあまりにも大変なことなのに。これだけの規模とこれだけの高い水準を持つ学校を開きながら、それは「たいそうなプロジェクト」ではないのである。

これはインドの不思議である。しかしどうひっくり返しても、そこにはタネも仕掛けもない。

インドではノープロブラムという言葉が良く使われる。インドに赴任して来た日本人は、最初何かにつけてインド人が連発するこのノープロブラムという言葉に激怒さえする。「あなたがノープロブラムでも、私にとってはビッグプロブラムなんだ!」ということになる。しかし、よく注意して聞いていると、このノープロブラムという言葉には、「私は構いませんので、私からあなたに文句を言うことはありませんよ」と相手を安心させようとする配慮から発している場合もある。また、今回のように何かにチャレンジしようとする時、面倒な手続きや枝葉末節的な問題は一切捨てて、あえて問題として捉えず、自分が本当にやろうとすることだけに集中する。そういう意味があるように思えてならない。

ちなみに、インド人は日本人ほど見栄にこだわらないし、人からどう見られようと気にしないところがあるが、その分、世の中の常識に捕らわれないという利点もある。ノープロブラムと皆に言いながら常識を脱ぎ捨て、自分を励ましているうちに、いつの間にか実現してしまう。

実はこれこそがインドの不思議であり、インド人の生命力溢れる実力なのではないだろうか。

 

 

 

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