フランスの「否(ノン)」の意味/ホーチミンをめぐる冗談/食卓の飾りつけ/

 

国際交流基金理事長 小倉和夫

「フランスの「否(ノン)」の意味」

5月末の人民投票で、フランス国民は、ヨーロッパ政治統合をさらに一歩進めるためのヨーロッパ憲法の草案に「否(ノン)」と云った。これでヨーロッパのさらなる統合への道は大きな挫折にぶつかった。

しかし、フランスは一体本当のところ何に対して「否(ノン)」と云ったのだろうか。今や25カ国に膨れ上った「ヨーロッパ共同体」に、政治的決定を委ねるよりも、やはり、「国」を大切にしたいという意思表示なのだろうか。

そうだとすると、これまでフランス人は、どうしてヨーロッパ統合の推進役だったのか、それがどうして急に反対派に回ったのかと反問せざるを得なくなる。

むしろ、フランスの「否(ノン)」はヨーロッパ統合をさらに進めること自体への「否(ノン)」ではなく、そのスピードとやり方、とりわけ憲法草案の裏に流れている理念(例えば自由競争、市場原理の貫徹、多数決制の導入など)に「待った」をかけたのかも知れない。

云いかえれば、人々は、長い間の夢であり目標であったヨーロッパ統合の「現実」に幻滅を感じ始めているのだ。今や25カ国に拡大されたヨーロッパは、いささか求心力を失い、しかも外国人労働者の激増や外国企業との競争の激化と云った厳しい現実に直面して、ヨーロッパ統合は、多くのヨーロッパ人にとって、夢や目標と云うよりも、むしろ、市民の生活に不安を与えるものに変質しつつあるのではないか。

今から100年ほど前、後のノーベル文学賞授賞作家アナトール・フランスは、「白き石の上にて」と題する小説の中で、西暦2270年の世界を想定し、飛行機が縦横に飛び交い、男も女もどちらか分らないような服装を着ている、ヨーロッパ合衆国が成立している様を描いている。ところが、この小説の最後では、このヨーロッパ合衆国憲法が制定された50年後に、ヨーロッパ連合は分裂の危機を迎えることになっている。

フランス人は、もしかするとアナトール・フランスの予言を感覚的に感じ取って、ヨーロッパ合衆国ができる前からそれに「否(ノン)」と云ったのかもしれない。

 

(2005年6月13日 信濃毎日新聞 夕刊掲載コラム「今日の視角」より)

「ホーチミンをめぐる冗談」

ベトナム統一の父といわれ、バックホー(ホーおじさん)と呼ばれて、ベトナム人の敬愛の的となってきた故ホーチ・ミン主席。一昔前まで、ホーチミンについての冗談や笑い話はおおっぴらにはしにくかったが、今や開放体制をとって十年以上経ったベトナムでは、「ホーおじさん」についての冗談も人々の口にのぼるようになった。冗談の一つに、終生独身を通したホーチミンは何故妻をめとらなかったかという質問に対する答えがある。

(伝統的社会主義者の答え)
ホーチミンの愛した妻は、祖国ベトナムに他ならなかった。

(資本主義社会の風潮につかった人々の答え)
ベトナムの女性は皆美しく、一人を選ぶには勿体なかったから。

(ポスト・モダンのフェミニストの答え)
ベトナム北部の恐妻の村として名高いハドンにホーチミンは何年か住んだことがあり、
結婚は女の尻 にしかれることになると思ったから。

これらの答えは、冗談にしてはできすぎていて、いずれも的を得ているようにも思える。
類似の冗談に、ホーチミンのかくし子といわれたM元共産党書記長についての質問と答えなるものがある。M氏は本当にホーチミンのかくし子なのかという問いに対してM氏自身はどう答えたかという設問である。

(M氏は真の社会主義者であり、模範解答をしたとする説によれば)
はい、私はホーチミン主席の子です。何故なら八五〇〇万のベトナム人全てにとってホーチミンは父親ですから。

(M氏は現代的感覚の持主として回答したとする説)
若し自分がホーチミンの血筋であるとしたらそんな光栄なことはない。しかし、ホーチミンの遺体は神聖な記念堂に安置され、もはやDNA鑑定は不可能であるから、私が是非を云っても証拠が出せない。

(M氏は日本的模範回答をしたとする説)
私の如き愚かなものが、かくも偉大なホー主席の子供であるはずがない。
こう見てくると、冗談のような質問に対する答えは、答える人の思想的背景を明らかにするものとも云えそうだ。

因みに、日本の著名人に、「貴方は実は・・・ではないか」と冗談半分に質問してみると、意外にその人の性格や考え方が分るのではあるまいか。

 

(2005年6月6日 信濃毎日新聞 夕刊掲載コラム「今日の視角」より)

「食卓の飾りつけ」

「きらめ煌きの食卓への誘い」と云う展覧会へ行った。フランスの「テーブル飾りつけ」の職人や芸術家たちが、その飾りつけを実際に展示して競演する会だ。

3、4メートル四方ほどの空間を割りあてられた20人ほどの飾りつけ師たちは、単にテーブルの上の皿や花 やグラスの置き方だけではなく、テーブルクロスや部屋全体の色調、さらにはテーブルと椅子と云った家具にも気を配らなければならない。一種の室内装飾の競演さながらであった。

バカラのグラスやシャンデリアが使われ、シャンペンやワインがふんだんにふるまわれた会場は、それだけでどこか洗練された、豪華な雰囲気をかもし出していた。

「ナジャの晩餐」「夢想」「真珠の雨」と云ったロマンティックな名前をつけられた「作品」(展示品)は、それぞれ個性豊かで、これほどの飾りつけなら、料理はそれほど美味でなくてもよいように思えるほどだった。

サクラの「赤い」花が咲き乱れる「赤い」森の中で、花びらとも蝶ともつかぬ赤いきれはしが空中に舞っている作品などを見ると、食卓と云っても、森の中のピクニックの情景、それも幻想の中のピクニックの情景のように思えた。

しかし、会場を一巡して、どこか強烈な違和感を覚えた。何故だろう。

そもそも食卓、とりわけ飾りつけた食卓とは、人を誘うもの、人をそこにひきつけ、とけこますものであるはずだ。ところが、ここで見られる食卓の芸術なるものは、飾りつける人の自己主張ばかりで、そこに招待される人々への優しさ、気配りが感じられない。食卓の飾りつけとは、そもそも誰のためのものだろうか。それは飾りつける本人の自己満足、自己主張のためではあるまい。それは、そこへ招かれる人々の心を癒し、豊かにするものであるべきだろう。日本の料亭の飾りつけには、いつも客への配慮が感じられる。招きと誘いの精神がある。ところが、このフランスの展示会には、そうした精神は感じられず、ただ、芸術家や職人の才能の「きらめ煌き」だけが露出していた。果してこれが食卓の飾りつけの精神なのだろうか。

 

(2005年5月30日 信濃毎日新聞 夕刊掲載コラム「今日の視角」より)

 

 

 

ページトップへ戻る