MIYAZAWA-SICKというプロジェクト

 

MIYAZAWA-SICKの公演の写真1

ステージを盛り上げる聴衆
パリ日本文化会館支援協会提供

この春、MIYAZAWA-SICKというバンドと一緒にヨーロッパを旅してきた。「MIYAZAWA-SICK」というのは、ロックバンドTHE BOOMのボーカル宮沢和史のソロプロジェクトで、この10年余り、宮沢が世界中を歩き回りながら、出会い、共鳴するアーティストたちと共に作り上げたユニットである。日本、ブラジル、キューバ、アルゼンチンと、ミュージシャンの国籍も違えば、音楽のジャンルも様々。銘々が自らのバンドや活動のホームグラウンドを持ち、そのなかで年に数回このプロジェクトのために結集し、内外のツアーに出かけている。常に旅するバンドなのだ。

今回の欧州ツアーを彼らに依頼したのは、このような彼らの活動のあり方をヨーロッパの人たちに知ってほしかったからだ。国や音楽のジャンルの境目を自由に行き来し、音楽という共通の言葉でつながっているアーティスト集団があるということ、そしてそのような彼らの作り出している新しい音楽を紹介したいと思った。さらに、今回訪れる街で、現地のアーティストを巻き込んで彼らと一緒に何かを作れないかと考えた。今回のプロジェクトが、それに関わるものにとって将来につながる何らかのきっかけになってほしい。これがこのプロジェクトの出発点だった。

準備期間は約半年。前半の数ヶ月は、コンサートの会場探しと、会場や現地の受入機関との条件交渉であっという間に過ぎていく。宮沢和史というミュージシャンやMIYAZAWA-SICKバンドは、南米ならまだしも、ヨーロッパの一般の人々には全くといっていいほど知名度がない。いずれの都市でも、こちら側の希望する会場規模と、現地の予想する集客見込みとの間に大きな隔たりがある。このような状況を打開したのが、宮沢和史の「島唄」の力と、各地の協力者たちの存在だった。

 

MIYAZAWA-SICKの公演の写真2

カチアとデュエット
パリ日本文化会館支援協会提供

出発3ヶ月前の10月、モスクワのパートナーからの推薦で、ロシア公演の共演者として、サンクトペテルブルクを拠点とするロックバンドNight Snipersが候補に挙がった。ディアナ・アルベニナというカリスマ的女性ボーカルが率いるバンドで、10代、20代の女性から熱狂的に支持されているという。ディアナは宮沢の数枚のCDを聴いて、是非共演してみたいと言い、急遽来日を決心。11月に宮沢と面会し、宮沢のライブを観る。その1ヶ月後、今度は宮沢がロシアに飛び、ディアナのライブを観て、完全に意気投合した彼らは、モスクワ公演での共演と、宮沢の「島唄」、ディアナの「コシカ」を相互にカバーすることを自分たちで決めた。1月には、ディアナの歌う「島唄」はロシアのラジオ・チャート4位になり、ディアナは出演するラジオやライブで、宮沢のこと、日本のことに必ず言及するようになる。

ポーランドの場合は、2年前のMIYAZAWA-SICKのワルシャワ公演を聴いていたトメック・マコビェツキというポップス・アイドルが「島唄」に惚れ込み、今まさに「島唄」をレコーディングしている最中だ、という情報が入っていた。パリにも、同じく「島唄」をカバーしているブラジル人ボサノバ歌手であるカチアがいた。共演者は「島唄」を媒介にして次々に決まった。

難関はブルガリアだった。会場は、日本政府が2004年にまとまった音響器材を寄贈した経緯のある、国立文化宮殿と決まっていた。問題は(このツアーの最大の懸案だったともいえる)、バルカン半島最大のこの巨大ホールにいかに集客できるかだった。ブルガリアにはMIYAZAWA-SICKどころか日本のロックも全く知られていない。

そこで、日本大使館の文化担当官のアイディアで、ブルガリアで50%以上の視聴率を誇る人気テレビ番組「スラヴィ・ショー」に働きかけることになった。彼女は、番組司会者のスラヴィ氏に宛てて、宮沢の活動と、代表曲の「島唄」に込められたメッセージについて手紙に綴った。

その手紙はスラヴィ氏の目に留まり、スラヴィ氏自らが「島唄」のプロモーターとなった。宮沢がスラヴィ・ショーに出演することは勿論のこと、スラヴィ氏は番組のなかで「島唄」の歌詞、沖縄という島について聴衆に語りかけた。さらに、「島唄」のブルガリア語版を知り合いの詩人に作らせ、それを自分の番組のバンドに演奏させた。キリル・マルチュコフというロックシンガーが共演することも急遽決まった。ブルガリアではビートルズにあたるロックの大御所キリルの共演パートナーとは一体どんな人物なのかーー。ブルガリアの多くのメディアがこのニュースに飛びついた。

欧州ツアーを行うにあたり、MIYAZAWA-SICKの事務所はブログを立ち上げた。同行スタッフが各地のライブレポートやミュージシャンの毎日を綴っていくのだが、この反響が予想以上だった。日本から宮沢の動向を見守るファンたちだけでなく、たまたまこのブログにたどり着いたという人も見ている。ブログは毎日更新されているので、一度訪れた人は再度見にくる。観客の熱狂的な反応を読んで感動した、という書き込みをする。その書き込みは、ツアー中のMIYAZAWA-SICKバンドのメンバーも読み、それにまた元気付けられたり刺激を受けたりする。こうして、このプロジェクト共有する新たなコミュニティが生まれた。

 

宮沢和史氏とトメック・マコビェツキ氏の写真

トメック・マコビェツキとのショット

音楽や演劇といった舞台芸術は、その場、その時間をアーティストと観客が共有し、感情のレベルでコミュニケートするものだ。したがって、現場に立ち会わない人にその感動を伝えることは難しいと思っていたのだが、今回のプロジェクトで考えが変わった。ライブの感動は、共感と想像力の力で、時と場所を越えて伝染していくのだ。

宮沢は、ヨーロッパ出発直前に作曲した「ひとつしかない地球」を、ツアーの日程の合間を縫い、共演したアーティスト達と一人ずつレコーディングしていった。各地の録音スタジオで、それぞれのパートをとりMP3ファイルに集積し、日本のスタジオでMIYAZAWA-SICKバンドの音と併せた。CD「コシカ/ひとつしかない地球」は、帰国2週間後には完成した。そしてその2ヶ月後には、ヨーロッパで共演した彼らが来日し、合同公演が実現した。

宮沢は「今度は僕らが彼らにお返しをする番だ」と言う。こうしてMIYAZAWA-SICKの旅の仲間たちはどんどん増え続け、彼らのなかでも私のなかでも旅は続いている。

 

 

 

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