アフガニスタンより陶工来日 part1 内戦による破壊を乗り越え、復興しつつある 陶芸の町イスタリフから訪日した若い陶工が、 2週間にわたり日本の「やきもの」文化を学んだ。

 

窯元を訪れる一行の写真

窯元を訪れる一行(愛媛県砥部にて)

白い刺繍が施された帽子をかぶった若い男性が食い入るように一点を見つめている。太い筆のような眉。鷲のような眼。その鋭いまなざしの先にあるのは、ろくろを回しているごつい手だ。(写真右下)

この男性はジャパンファウデーションの招きで、陶芸の町イスタリフから訪日したメンバーのひとり、ジャウィド・アーマッド氏。一行15人は、7月中旬、瀬戸、常滑、砥部、小鹿田(おんた)など日本各地の陶芸で知られる町を訪れ、日本の「やきもの」文化を学んだ。

イスタリフの陶芸品は、鮮やかな青や緑の色が魅力的だ。だが、地元の粘土には鉛分が多く、陶器はややもろい。また、陶芸の技術、皿の模様(絵つけ)やデザインには発展の余地が十分にある。陶工一行は、日本の陶工から、粘土から空気を抜く技術、皿のデザイン、絵つけなど幅広く陶芸技術を学んだ。

 

アブドゥル・マティーン氏とジャウィド・アーマッド氏の写真

アブドゥル・マティーン氏(左)とジャウィド・アーマッド氏(右)(愛媛県砥部の窯元にて)

「いくら見ていても、疲れないほど楽しかった。日本の環境をうらやましくも思った。日本は非常に先進国だが、(同時に)やきもの文化を大きく育て大切にしてきたことをすばらしいと思う」。訪日研修を終えた一行の報告会に出席した、マレク・モハマド氏はこう述べた。

さらに、陶工たちは「日本で学んだ技術を活かし、国の産業を発展させたい」と口々に語った。やや仰々しく聞こえるせりふだが、彼らに限っては実際にそうなると期待できる。何しろイスタリフで稼動している窯元の実に1/3近い13家族の跡取りたちが今回来日したのだ。(イスタリフでは陶芸は家業となっている)

 

白潟八洲彦氏の写真

白潟八洲彦氏

ブでは、音楽や歌によって得られる恍惚、陶酔の状態を「タラブ」と言う言葉で表現します。聴衆にタラブを与えられる歌手こそが、最高の歌手であると考えられています。言葉がわからなくても、聴衆を魅了してしまうブシュナーク氏。アラブの至宝といわれる秘密はここにあるのでしょう。

ラスト近くを飾ったのは、日本の歌『ふるさと』と『さくらさくら』。ところどころに日本語を織り込んだ歌詞は、おそらくブシュナーク氏の即興なのでしょう。日本のメロディーを自分の歌にしてしまうところが、さすがです。カーヌーンで演奏された『さくらさくら』は、日本の琴を思わせるような美しい響き。それでいて、異国情緒があふれています。地中海に面したチュニジアで、遠い昔、東洋と西洋が出会っていたことに思いをはせながら、陶酔に浸った至福のコンサートでした。

この事業のコーディネーターのひとりが砥部焼の大家である白潟八洲彦(しらかたやすひこ)氏。上述の「手」の主だ。「職人芸は、習うものじゃない。盗むもの」と語る白潟氏は、陶工ひとりひとりにデッサンブックを配った。陶工たちは、お茶の用意ができた、と呼ばれてもスケッチをやめなかったというほど、各地の窯元で熱心にデッサンを続けた。

「日本に来られて嬉しい。感謝します。」帰国を前にした懇親会で、13人の陶工たちは幾度となく繰り返した。この表面的には、平凡なあいさつの言葉。しかしその「嬉しい」という言葉のかげには、今回の交流事業に参加し日本に来ることなど想像もできないほどの逆境を乗り越えたという事実がある。

 

Page 1 / 2

 

 

ページトップへ戻る