アフガニスタンより陶工来日 part 2 イスタリフの窯の復興は、アフガニスタンの文化伝統の復活の象徴でもある。

 

陶芸の店が立ち並ぶイスタリフの町の写真

陶芸の店が立ち並ぶイスタリフの町

山脈に囲まれた乾燥したショマリ平原にある集落のひとつ、イスタリフは、かつてはシャー(元国王)の避暑地として、そして、ぶどう畑の茂る観光地として栄えていた。800人近い商人が集まるバザールが栄え、地元の陶芸品はそこで売られていた。だが、その賑わいが消えた。1990年代後半にかけて北部同盟とタリバンの戦争の前線となり、町は完全に破壊されたからだ。住宅はもちろんのこと、窯元(ショップ)もすべて。住民は代々住み慣れた土地を追われ、カブールや隣国パキスタンへ避難せざるを得なかった。「内戦によって、存在していたものすべてをなくした」。イスタリフからきた陶工のひとりはこう表現した。

こうして同じ土地で300年近く続いてきた家業が中断。一行のひとり、アブドゥル・ワーセ氏は、内戦で町を追われ、カブール、そしてパキスタンへ逃れた。陶芸をすることもならず、5年間も皮革業で生計をたてるしかなかった。

「僕らにとっては、学校に行けなかったことが何よりも大きい……」。懇親会でひとりだけ三つ揃えのスーツを着ていた、大きな瞳で笑う表情が印象的なアブドゥル・マティーン氏は、内戦の影響を聞かれてこう答えた。歳を聞くと、20歳。イスタリフの期待される後継ぎのひとりだ。失われた貴重な時間を取り戻すように、エネルギーと好奇心あふれる姿で研修をうけていた。

2001年11月、米国軍のアフガニスタン攻撃の後、タリバン政権が崩壊。2002年に入ると、住民一家族、一家族が、故郷イスタリフに戻り始める。その直後から、国際協力NGOOxfamACTED, そしてArtist to Artisans (ATA) らの支援によって、町の復興が始まった。それにともない、当初3ヶ所しか動いていなかった窯元が徐々に復旧。マレク氏によると、今日までに、ほぼ戦前同様の45ヶ所の窯が稼動している。

「イスタリフにとって、窯の復興とは文化としての陶芸の復活、伝統の復活だ」。長年現地の人々との交流を続けている、日本・アフガニスタン協会理事長の松浪健四郎氏はこう語る。

「文化の復興は非常に重要。今回の来日で、私たちのそういう価値観を改めて実感した」と文化復興に携わるNPO、Polish Humanitarian Organizationのプログラムコーディネーター、サイッド・モジィブ・アーマッド氏も同意する。

 

イスタリフの陶芸店の写真

イスタリフの陶芸店

首都カブールは、すでに国際支援NGOの活動によって復興が進んでいるが、そこから北に40キロ先にあるイスタリフの町にはまだ電気さえも十分にかよっていない。外国人が泊まるようなホテルもない。それでも、窯元の復活とともに、通りに陶芸品を売る店も増えてきた。

陶芸という共通の文化をもつ日本とアフガニスタンの人的交流を深め、協力のネットワークを築く機会を提供する目的で実施されたこの事業の始まりは、2002年秋のアフガニスタン文化振興支援・文化交流事業調査ミッションにさかのぼる。その調査結果をもとに、「伝統的陶芸イスタリフ焼の復興と活性化」をめざして準備が進められた。

砥部の白潟氏が初めてイスタリフを訪れたのは、2003年秋、第2回調査のときだ。「同じ仕事をする職人の手だ」。氏は、90歳を超えたイスタリフ最長老の陶芸家を訪れ、握手をしようとしてこう言われた。伝統文化の継承者としての誇りを共有するかのように。その陶工は、白潟氏を含めた一行を、高地にある陶芸用粘土を発掘するところまでわざわざ徒歩で案内してくれた。

 

陶芸用粘土発掘地を案内するイスタリフ最長老の陶芸家と白潟氏の写真

左)陶芸用粘土発掘地を案内するイスタリフ最長老の陶芸家 右)白潟氏

「イスタリフと日本の文化交流は、これからが(本当の)始まり」。訪日研修はこの言葉でしめくくられた。

アーマッド氏は、帰国後は「今回学んだ技術をいかに活かせるか、陶工の話をまとめてレポートにしたい、イスタリフだけでなくアフガニスタン国内の陶芸の都市とも陶芸家ネットワークをつくりたい、さらにマーケティングについても考えていきたい」と語った。

もちろん、それは容易いことではないだろう。「何よりも悔しいのは、みんながいろいろ学んで帰るけれど、現地ではまだ道具も(我々のように)十分ではないんだ」。こう述べるのは白潟氏。日本では、ろくろは電動式が多く、上薬をつくる作業も機械化されているが、アフガニスタンではすべて手作業だ。

このような技術的な違いはあれ、本交流事業を通じ、アフガニスタンと日本の陶芸のプロは、陶芸への熱い思いが同じであること確認しあったようだ。氏は一番印象的だったことは、と尋ねられて、砥部の陶芸場に到着した陶工たちが、ろくろを前に座った瞬間、周りのことは何も目に入らないかのように夢中にろくろをさわり始めたことだったと答えた。「同業者だと実感した」。

氏は、陶芸の道に入って50年というベテラン陶芸家だ。作品は、国連欧州本部(ジュネーブ)ほか、カルザイアフガニスタン大統領の執務室にも飾られている。そのベテラン先生が、砥部では、若き陶工たちを叱咤激励し続けた。デザインの芸術性を高めるために、 「日々、目にするもの、自然、文様をスケッチする習慣をぜひつけてください。地元で作られる絨毯の文様などを(陶芸に)活かしてみたらどうか」など。そして最後に全員にむかって「陶工同士、お互いよい仕事をしましょう」とよびかけた。

今回訪日した陶工の大半が、アフガニスタンの伝統文化の今後の発展を託された20~30代。今回、鋭い視線で観察し、デッサンした成果は、いつか彼らの陶芸品に表れるだろう。そして、いつか、白潟氏が「盗まれた!」と微笑むような瞬間がくるかもしれない。

*当事業は、ジャパンファウンデーションと、ユネスコ・カブール事務所との共催です。

 

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