ロンドン同時テロに揺れる英国社会

 

名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授
オックスフォード大学医学史研究所客員研究員
福田眞人

 

2005年7月7日は、英国最初の過激派イスラム教徒(ムスリム)からの攻撃であった。
イラク戦争において当初からアメリカ合衆国と足並みを揃えてきた英国では、いずれ何らかのテロ攻撃に晒されることは想定されたことであった。何時どこでどのようにか、というのが最大の関心事だった。とはいえ、この事件は、英国情報部が、3週間前に、もうテロの危険はほとんどないということで、より安全になったという認識を示したばかりのところでおきた。

ではなぜ今回のような同時多発的なテロ活動が、ロンドン市街4ヵ所で行われたのか(死者は、7月20日現在で56名、行方不明者24名、負傷者700名)、またその第二弾(7月21日)が未遂であるとはいえ起こったのか。その背景と波紋をさぐってみよう。

2001年9月11日(木)に、アメリカで起こったハイジャックによる同時多発的テロ攻撃は、ニューヨークの世界貿易センタービルを完全に崩壊させて、世界を震撼させた。このテロ攻撃によって、世界のどの都市もが攻撃の対象になることが示された(死者2986人)。一般交通手段、つまりバス、地下鉄はロンドンの最大の標的であった。

今回のテロの背景にあるのは、アフガニスタン紛争、湾岸戦争、イラク戦争と続いた、イスラム教徒にとってはキリスト教徒の侵略とも取れる紛争・戦争の連続からくる強烈な危機意識であろう。イスラエルの強硬な抑圧政策も、大きな影を落としている。

英国は、植民地を多く持っていたという歴史的経緯から伝統的に多くの移民、政治的亡命者を受け入れてきた(カール・マルクスもその一人。)ムスリムが独自のエスニック・コミュニティを形成し、寺院(モスク)を造営している一方で、英国政府は初・中等教育で、個別に英語を教え、かつその食事にさえ最大限の配慮をし、排除ではなく共生への道を懸命に探ってきたとみてよいだろう。そこには他文化を容認する多(元)文化主義があった。労働力の不足を補う要素がなかったとは言えないが、それにしても、年間30万人の移民の流入は、とても日本人には想像できない数字である(その内、拒否されるのは1万5千人位)。

ロンドン同時テロの特徴は、まさにそうした移民の中の、経済的に比較的恵まれ、高等教育を受けた、犯罪歴の無い青年が、過激なイスラム聖職者の誘いに応じて、聖戦(ジハード)に参加しおもむろに死地に赴いたことである。 しかし実際には、イスラムの教えは暴力や他人への血の制裁を禁じているはずである。

事件後、ただちに英国政府関係者とイスラム教指導者が連帯して、ムスリムの若者たちに非暴力と英国社会での共生を教える手だてを講じるとしたのは、むべなることである(スペインの列車爆破直後には、スペインにおけるイスラムの宗教指導者の75%が行為を非難するファトゥア(*)を出した)。

事件を受けて、単にテロを企てた者ばかりでなく、テロを煽る者たちも罰せられる(教唆の罪)とする新しい対テロ法案が提出された。このことは、英国が伝統的に亡命者や移民の受入れに寛容だった国から、テロを実行したりそれを示唆、煽動したりすることへの厳しい締め付けを行う国へと転化しつつあることを示している。

また保守党があらたに打ち上げた移民制限への政策転換も、今後の政局の変化によっては可能な選択肢のひとつになったとみるべきであろう。これまで運転免許証などで代用されてきた身分証明書制度の導入もその一環だと考えてよいだろう。

メディアでは、移民制限とは別に、いかなる人間であれ英国国内法を遵守し、英国社会に同化・同調しない者には、この社会で生活する意義も権利もないという論調も少しずつ出つつある。

過激な行動を取ったのは、ムスリムのほんの一部だという論調が強いが、英国には160万人もののイスラム教徒がおり、しばしば自分の教義に固執し、近々は英国の国内法と矛盾する言動を繰り返してきたことが問題になっていた。あまつさえその中には、英国をイスラム国家化しようという意見さえあったのである。

ここ英国では、一般に第二次世界大戦以来の厳しい砲撃、爆撃に晒されながらの不撓不屈の精神は今も健在であると信じられている。英国メディアはIRAの爆弾テロ闘争にも耐えてきたロンドン市民の冷静な行動と意気軒昂を広く伝えていたが、現実の現場では恐怖のためのパニックがあったという証言もある。一方、現場を除けば、大方の国民の反応は、まったくなんという残念な事態が起こったのだろうというおとなしいものだった。事件後すぐに全国一斉に追悼の黙祷が行われたのが印象深かった。

今後、過激な思想家、行動家が厳しい取締を受けることは明白であろう。だが、これまでに築き上げられた過激な組織や集会は、その盲信性のゆえに今後の取り扱いが困難である。

英国社会は、一方で穏健、中庸でありながら、他方で過激な動きが少なくない。極右の外国人無差別攻撃、動物虐待防止活動家(アニマル・アクティビスト)の活動が過激化し、実験動物の輸送会社の社員の家、車と言ったものまで攻撃の対象にしていることなどが上げられる。サッカーの試合におけるフーリガンや、性犯罪の多さも英国の社会を蝕む病巣のひとつであるとされる。こうした犯罪の予防、摘発に適しているというので、この国では全国で428万台にものぼる監視カメラが日常的に作動しており、圧倒的な監視社会でもあるのだ。これらが、今回のテロ犯の同定に役立ったことは皮肉なことではある。

結局、今回の多発テロは、中庸と寛容で知られる英国で、徐々にイスラム過激分子が社会の中で特殊な核を成し、法秩序事態に脅威を与えるに至ったことを示した。アメリカが人種の坩堝(るつぼ)でなくサラダ・ボールに過ぎないとされた時、英国は何にたとえられるのか?次善策を練る英国にはまだ健康な民主主義の可能性が感じられるが、内包した価値観の差異による分裂にはなかなか適当な処方箋が見つかるまい。ムスリムの間では、イスラムと民主主義は相容れないという意見が強い。

それゆえに、人々が「ロンドニスタン」と揶揄的に呼ぶロンドンから、まだテロの危険は去っていない。

*イスラムの師が出す命令書

 

 

 

ページトップへ戻る