ムスリムの女たちのインド

 

インド北部の小さな農村のムスリム家庭で過ごした「彼らの優しさに包まれた日々」を
生き生きと描いた『ムスリムの女たちのインド』著者、写真家・柴原三貴子さんインタビュー

 

ムスリムの女性の写真1

アフロージュに髪を結ってもらうダーディー。フセイン家のあばあさんはいつも孫娘たちといっしょ。
(撮影:柴原三貴子) 

ムスリムの女性といえば自由がない、インドといえばカースト制で束縛されているというイメージがある。しかし、写真家・柴原三貴子(しばはらみきこ)さんが見た世界はそのどちらでもない。『ムスリムの女たちのインド』は、インド北部のムスリム家庭で過ごした「彼らの優しさに包まれた日々」を生き生きと描いている。

最初は「信じられない」と思っていた社会慣習が、日常生活を共にし社会のあり方を理解することによって、次第に自然に見えてきたという柴原さん。『ムスリムの女たちのインド』は、幸福感あふれるエピソードから、涙の止まらないエピソードまで、旅行者では知りえない村の生活を、色鮮やかな写真とともに紹介している。読者に「自由」や「幸せ」について改めて考えさせる著作でもある。

柴原さんにとってインドとは「いつも、山ほど起こる面倒なことやつらい出来事の後に、それを帳消しにして余りある、人間の強さやいとおしさ、美しい生活を見せてくれる」国。この本に出てくる話は、決してマクドゥミアという小さな村や、ムスリムの家庭に限られた話ではなくインド的でもあるという。

彼女が約1年を過ごしたウッタルブラデール州マクドゥミア村は、デリーからバスで20時間のところにある水道も電気もかよっていない住民約400人の農村だ。

(インタビュアーは、柴原さんの写真展(2001年4月、ラリット・カラ・アカデミー)を企画したジャパンファウンデーションの小川忠企画評価長(前ニューデリー事務所長)と前同事務所職員の佐藤幸治)。

 

ムスリムの女性の写真2

3年前、嫁ぎ先のしうちに耐えかねて実家に戻っていたころのナジマ。 まだ子供はいなかった。
(撮影:柴原三貴子)

司会) このエッセイ集で伝えたかったことを教えてください。

柴原) こういう考え方や価値観もあるのか、そういう価値観で生きている人がどこかにいるのだ、ということがわかってもらえれば、それだけでも書いてよかったと思います。私自身、今は日本に住んでいますが何かあると、「あ、彼女だったらどう考えるかな」、「あのおばさんだったら、こういうときどう言うかな」と思うようになりました。ですから、読んだ人が同調しないまでも、そういう考え方もあるのだな、と考えるようになってもらえれば嬉しいです。


あとは、インドの印象を少しでも変えたいですね。一冊ではどうにもならないですが、やはり、もうすこし普通の国のように気軽に行ってくれる国になれば。私も最初にインドに行ったときは、すごく違うなという印象があったのですが。

司会) どのような経緯でこの村に滞在することになったのですか。学生時代に2ヵ月間インドをひとり旅して。毎日雑踏にもまれながら、反省し、同時に世界の複雑さにも気づきはじめて。

柴原) そうなんです。結局旅行だけでは見えないことがあるに違いないと思い、もう一回、でも同じような旅行をするのではなく行ってみたいと思っていました。それで学生時代に働いていたインド料理レストランの同僚フセインさんに「故郷の村にこないか」と誘われたときに飛びつきました。彼は1ヶ月くらいで帰りましたが、わたしはそのまま残りました。いつまでもいてもいいよ、と言われて。

佐藤) すごいと思うのは、決して金持ちではない人たちがそれほど寛大だということですね。自分の親戚が連れてきた人を受け入れて寝る場所を提供する、とくに条件もつけずに。

柴原) (長期滞在する以前に短期で村を訪れたとき)「帰る」と話すと、「何で帰るの」と聞かれたほどです。「仕事をしないといけないし」と答えると、「仕事をするのは食べるためでしょ」、と。「自分で働いてお金もらわないとごはんも買えないし」と答えると、「じゃあ、ずっとここにいたらいいじゃない。この家の中には(三貴子が)一日三食食べる分は必ずある。帰って働くことないわよ」と言われて何と答えたらよいか、と思いました。理論的にはおばあちゃんが正しいのでしょう。食費を受け入れてくれれば私としては楽だったのですが、それをすると水臭いと思われてしまう。

 

乳飲み子の写真

昼寝中のお母さんを背にして安心しきっている、まだ乳飲み子のサイバー
(撮影:柴原三貴子)

ムスリムの女たち

司会)この本には、滞在した家庭、その親戚、隣人も含めてさまざまなの女性が登場します。彼女たちに共通しているのは芯の強さという印象を持ちました。

柴原) そうですね、この人たちは覚悟をして生きているな、というかんじがしました。どういうことかというと、自分は単なる個人ではないという意識を持っている。自分は家族の一部であり、(成長したら)お嫁にいって別の家族の一部になるという覚悟をして生きているというような。だから、個人でどうこうとか、私はこれがいやだから、それはいや、という価値基準で生きているのではないように思えます。お父さんの考え方、お母さんの考え方、そして家族の総合的な考え方があってそのなかに自分がいるという考えです。

司会) 柴原さんが「本当に自分が結婚したいのかどうかもわからない」と言うと、近所の親しくしていたおばさんに「結婚はね、したいか、したくないかではなく、するものなのよ」とどなられましたね。


柴原) 私たちからすると、彼らは選択を与えられていないようにも見えます。決められた人と結婚して家族を作っていく選択しかないから束縛されている、と。そういう見方もできると思うですが、「では、生きていく中でそれ以上に大切なこと何かあるのか」と聞かれているように思うのです。

彼女が言いたかったのは、どんな苦労をしても、子どもを産んで育てることが生まれてきた意味だ、ということ。つまり次の世代を生む、それほど重要なことはない、そう言いたかったのだろうと思いました。「それをほっておいていいのか」と言われているようで考えさせられました。違う意見もあると思いますが、一緒に暮らしてみて大きな流れとしてそれは正しいと思いました。

佐藤) 覚悟というとさすがに強い言い方かもしれないが、広い意味で自分が先にたつ個人主義ではなく、コンセンサスのなかでものごとが決められていくことを受け入れていると言えるかもしれないですね。そのコンセンサスに従うことが、コミュニティー全体の平和や豊かさにつながるのかもしれない。

司会) さまざまなエピソードは、(インドの女性は)自由がなく抑圧されているというステレオタイプに対して、違った一面を伝えていますね。

柴原)  私も最初は、まさに「自由がない、ありえない」という思いでした。「この子が結婚相手だよ」と言われて夫婦になっていくことは、私のなかではとても信じられないと。でもだんだん、(本にも書いたように)結婚の契約の後に恋愛をスタートさせるしくみだということがわかってくると、それもナチュラルにみえてきてすてき、と思えます。

佐藤) 読んでいて印象的だったのは、柴原さんが、再婚した友達が新しい夫と食事を食べさせあってるシーンを見てしまったところ。インドに住んでいた僕もこんな光景は見たことなくて、このエピソードにとても心動かされました。自分たちで選びとった関係ではなくとも、ゆっくり時間をかけて信頼と愛情を豊かに育てていけるのだな、と。

「自由」の意味

佐藤) 「あり余る時間のなかで、村の女性たちとともに暮らし、彼女たちの言葉や生き方に触れながら、何度も自分の中の『自由の意味』を問い直していた」と書いていますね。

柴原) 結局、どこの世界にいっても、自由だけで生きてはいけない、みんながみんな思ったとおりにはいかないもの。そのなかで、私たちは生まれた社会、家族、コミュニティのなかでの自分の役割をみつけられたときに、初めてそのなかで自由もみつけられるのかなと思いました。

マクドゥミア村の女性たちは、自分の家族を育て、最終的に家族からもっとも尊敬されるおばあさんという地位にのぼりつめて、自由になっていく。孫に尊敬の眼でみられるおばあさんになっていきます。

バックパッカーから定点観測へ

小川) インドに対しては、ほかの国と比べても強い先入観を持っている人が多い。現代インドに対する報道が充分とはいえず、限られた情報しか持っていないから。まず思うのがカースト。そして、低カーストの女性は抑圧されて自由がない、ヒンドゥー教もイスラム教もは男尊女卑で自由がない、それだけでだいたい(インドを見る)フレームワークが決まってきてしまうところがある。

柴原さんのように、「ムスリムの女性」と同じ視点に立って、ひとつの村で定点観測をしてみたときに(初めて)自由の問題、人生観の問題を(外からとは)違った見方ができると言えるのでは。対話を試みることなく、観光客であれバックパッカーであれ、先入観をなぞるだけの旅では土地の人は「彼ら」のまま。その視点から見ている限り「自由」についても固定観念から離れられない。

司会) この村では、イスラム教徒とヒンドゥー教徒が共生しています。こうしたことも日本ではあまり知られていない……。

柴原) 村の中でそれぞれの役割(職業)があって共存しています。菜食のヒンドゥー教徒、豚以外の肉を食べるムスリム、豚を飼っている(カーストの違う)ヒンドゥー教徒が混ざって住んでいます。でもお互いの習慣に気を遣っています、肉は黒いビニール袋包まれて売られて中が見えないというように。


佐藤) 柴原さんが言葉を覚えて村に入ったことは(受け入れられるという点で)大きかったと思いますが、彼らを被写体として写真を撮り続ける、それはどういう関係があったからできたのですか。

柴原) 一生懸命だったのは、できるだけカメラを意識しなくなるところまでもっていくということです。相手に構えらえられたら終りなので。カメラが近くにあってあたりまえ、「この人いつもカメラを持っている」と思ってもらう。そうなると、みんな気にしなくなり、シャッター音がしても振り向きもしなくなってきます。そこまで時間を費やして、私のカメラがあることをみんながまったく意識しなくなってきてようやくチャンスがきました。

佐藤) つまり、彼らが意識しなくなるところまで、共に同じ釜のメシ食って同じ思いを共有して、というところがないとこのような同じ目線からの写真は撮れてこないのでしょうね。

司会) もしカメラマンでなく、エッセイを書きたいから滞在させてほしいと言ったら、こうした話を書けなかったかもしれない?

柴原) カメラがあったから、入りやすかった面もあったかもしれないですね。カメラを持っていなくても、連れていってくれたとは思いますが。インタビュアーとしていけば、あの質問も聞けたな、というところはあったので葛藤もありました。ただ、私が聞きたいと思う気持ちを汲みとってくれて、何か言おうとして口ごもると、それを察知して話してもらったこともあります。

「ありがとう」

司会) 印象的なエピソードのひとつに「ありがとう」があります。都市部では気軽に「サンキュー」とお礼を言うことができるが、村ではまだ「ありがとう」や「ごめんなさい」は神に対してだけ使う言葉という感覚が残っていると書いています。

柴原) 村では、近所の人や親族の力を借りなくては暮らしていけないことを実感することが多くて、「あげる人・してあげる人」がときには「もらう人・してもらう人」となる生活が当然。いちいちお礼をしたり恐縮したりする必要がない、そこには、「またあしたは私がお世話になるかもしれない」という気持ちがあると思います。

佐藤) 僕もインドで一番びっくりしたことはそれで、ありがとうと言われないことでした。僕のヒンディー語の先生に言わせると「水臭い」と。お互いに常に依存している関係があって、お互いに信頼があるときに、何かしてもらったお礼に「ありがとう」という言葉を返してしまったら、それはその言葉でもって関係を切るというニュアンスをもってしまう。だからそこは何も言わずに、将来の行為によって代償する。

それから、インド人は何か問題が起きた時にすぐ「No problem」と言って場を収めようとします。往々にして「You are the problem」と言いたくなるケースが多いのですが、生活しているとその裏に「そんな大きなことじゃないからくよくよしないで、気にしないで」と思いがあると気づいて、気持ちが楽になる経験を何度もしてきました。

小川) 旅行記を読むと、面白おかしく「インド人は謝らない」、「No problemばかり言う」ということがいっぱい書かれています。事実としてはその通りで、体験談としてはそうですが、ではそれが深い意味でどうなのかというと、ふたりが言うように社会のあり方が反映されているのですよ。

多文化共生社会

小川) この村のように、人間がお互い頼りあい、助けあって生きているところでは、「自己」と「社会」は安定した関係にありますが、近年問題になっているように、都会などで個人が地域社会や血縁社会から切り離されて、自分とは何なのだろう、と不安を感じているときに、ヒンドゥーらしさ、イスラムらしさを過剰に訴えて政治的目的を達成するために個人を糾合しようとする人たちがでてきてしまう。結局、ヒンドゥーナショナリズムやイスラム原理主義に身をゆだねる青年たちには、自分の居場所を見出せない、自分が誰からも認めてもらってない、というような誇りの欠乏感があるわけですよ。

同時多発テロ事件以後の英国において、我々が寛容でありすぎたから、過激な思想を持った人が入ってきて、国内に潜伏してるという趣旨のことを言う人々が増えているそうです。今、世界的に(異文化に対して)寛容とは逆の思想が強くなっている。こうした世界のありようを鑑みるに、多様な民族が地球上で共生していくためには、「誇りの不均衡」ともいうべき状況を、他者と同じ目線に立とうと努力すること、他者と対話を積み重ねることによって克服していく。そういう営為が求められているのだと思います。

司会) その意味でも『ムスリムの女たちのインド』は時を得ていますね。違った考え方に触れ、同調はできないかもしれないけれど、そういう生き方もあるということを知るという意味で。

◆柴原三貴子さん著書(文/写真)
「ムスリムの女たちのインド」
  出版社名:木犀社
  発行年月:2005年07月
  価格:2,415円(税込)

 

 

 

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