海外の日本研究は、わたしたちを映し出す鏡

 

わたしたちは、「自分のことは自分が一番よく知っている」と思いがちですが、果たして本当にそうでしょうか?例えば、自分の健康について、自覚症状がなくとも、健康診断を受けると、思いも寄らぬ診断結果がでることがあります。また、家族や友人に指摘されて、初めて自分の行動を反省することもあります。

海外の日本研究にも同じことが言えると思います。「日本のことは我々日本人が一番よく知っている。外国人には日本のことはわからない」というような論調を時々耳にすることがありますが、果たして本当にそうでしょうか?日本人自身が日本のことを論じる場合、さまざまな利害が絡み、立場上言いたいことをいえないこともあります。海外の日本研究者は、こうした利害に影響されずに問題の核心をつくことができます。

ジャパンファウンデーションでは、2003年秋から2005年春にかけて、世界における日本研究の動向を把握するため、事務所所在国を中心に、17カ国で概況調査を実施しました。調査結果を見て、いずれの国の研究者も、研究資金不足などの困難を抱えながらも、単なる日本紹介に留まらず、自国や他国との比較研究や学際的研究なども交え、より深化した多様な研究を行っていることがわかりました。

例えばイタリアでは、高齢化と少子化が急速に進んでおり、福祉政策の見直しや年金制度の改革といった、わが国と共通の課題に直面しています。よってイタリアの政治学者や経済学者の中には、日本との比較研究を進めている者がいます。

フィリピンでは、「日本人と結婚したフィリピン人女性の問題」(文化人類学者)や「フィリピン国内の日本企業における労使関係」(社会学者)といったフィリピン人の視点からの研究が特徴的でした。

中国や韓国の日本史研究では、日本や米国の大学への留学経験者などが、そこで得た人脈や方法論を生かしながら、他の歴史専攻者とも協力するという傾向も見られます。二国間の歴史認識の感情的な問題を超えて、東アジア史、ひいては世界史の視点から、科学的態度を堅持しつつ日本史をとらえていこうとする姿勢も窺われます。例えば、中国では「明朝時代における中日関係史の研究」、韓国では「韓末改革派と日本」などが共同研究のテーマとして挙げられます。

最近の若い日本研究者の中には、先人がこれまで手をつけてこなかった新しい領域を開拓しようと意欲を見せる者もいます。例えば文学では、吉本ばなな・村上春樹などの現代作家について、従来のテキスト研究に留まらず、文学を一つの題材として扱う「カルチュラル・スタディーズ」としてとらえる傾向も見られます。また、文化人類学者などと共同で、アニメやマンガなどのポップカルチャーが自国の若者に受容される背景や、及ぼす影響について学際的に研究しようとの試みもなされています。

最近の日本経済の低迷と、中国経済の高度成長によって、特に欧米においては、日本への関心が薄れ、日本研究者が減少しているのではないかとの懸念が日本人の中にもあるようです。しかし、米国アジア学会(AAS)での発表数等を見ても、少なくとも人文系においては、過去10年間において、目立った減少傾向は見られません。一つの理由としては、特に歴史・文学などの研究においては、特定のテーマを深く掘り下げ、ライフワークとして極める傾向があるためと思われます。

一方、社会科学は現在の事象をテーマに取り上げることが多いため、比較的時代のトレンドに左右されます。”Foreign Affairs”や”Harvard Business Review”に掲載される論文・書評等のテーマを見ると、確かに90年代後半から中国に関するものが日本に関するものを相対的に上回る傾向にあります。

だからといって日本に関するテーマが著しく減少しているわけでもありません。中国の台頭によって、日本も含めた東アジア全体に関心が寄せられていると考えたほうがいいでしょう。また、従来の日本研究者が研究発表を意識的に継続し、日本研究のプレゼンスを保つ努力をしているとも考えられます。

過去に、海外の日本研究者の著書がきっかけとなって、日本国内に議論が沸きあがり自らを省みるケースも、これまで枚挙に遑(いとま)がありません。それは、いわゆる「外圧」とは全く性質の異なるものです。

すこし古いですが、最も代表的な例としては、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトによる日本人論『菊と刀』(1948)が挙げられるでしょう。彼女は、日本人の行動規範は「恥の文化」にあると指摘し、日本人が自ら日本文化論を展開する際のひとつのパラダイムとなりました。

また、韓国の李御寧は、著書『「縮み」指向の日本人』(1982)の中で、「日本人は小さなものに対して愛着を示す傾向がある」と、ベネディクトとはまた違ったユニークな視点から日本人論を展開しています。

最近では、文学の分野で、米国出身で作家としても活躍中のリービ英雄が、『英語で読む万葉集』(2004)の中で、世界的な古典文学にふさわしい万葉集の普遍的な魅力を、英語への翻訳という作業を通じて、私たちに再認識させてくれました。

経済の分野では、英国のビル・エモットが、いまだ日本人がバブル景気に浮かれ騒いでいた1990年に、『日はまた沈む』という著書を発表し、実質のない膨張した投機ブームは必ずはじけると予測しました。今読み返せば、あたりまえのことが書かれているのですが、当時、多くの日本人は、彼の主張に反感を抱き、来るべき現実を冷静かつ合理的に見据える能力に欠けていました。

日本が将来も世界から信頼されるためには、独り善がりの思い込みを是正し、自らを客観的に見る目を持つことが必要です。海外の日本研究者は、そうした客観的な視座を我々に提供してくれる、いわばわたしたちを映し出す鏡です。こうした点から考えると、海外の日本研究に対する支援は、海外に日本をよく知ってもらうことと同時に、日本を継続的かつ客観的に検査・診断してもらうための健康診断料とも言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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