アフガニスタンから陶工来日 part 3 −アフガニスタン イスタリフ焼き陶工の訪日研修に同行して−

この夏、私は人生で初めてアフガニスタンの人々と出逢う機会に恵まれた。アフガニスタン陶工訪日研修の担当になったためだ。彼らに出会う前は、今までまったく縁のなかったイスラム教徒、近代化の進むカブールとは違い、女性は表に出てこない保守的な地の人々、そんな地からやってくる男性ばかりのグループは、女性担当者の私を快く受け入れてくれるのだろうか、膨らみかける不安でいっぱいだった。

しかし、そんな不安は吹き飛んでしまうような人懐っこい笑顔に私は出逢うことができた。「サラマレコム!」(アフガニスタンの公用語=ダリ語で“こんにちは”の意)、中には日本語で「こんにちは!」と挨拶してくれる彼らに私の緊張は出会った瞬間に和らいだ。

アフガニスタン陶工訪日研修の写真1

陶芸の里を訪問

訪日したのは、情報文化観光省の行政官1名、NPO(Polish Humanitarian Organization)のスタッフ1名、そしてイスタリフ焼きの陶工の13名。7月11日~22日までの12日間、日本のやきものの伝統や技術を学び、やきものという共通の文化に携わる人々との交流を深めた。

一行15人は、最先端の機械や道具を取り入れている多治見(岐阜県)、瀬戸、常滑(愛知県)から、イスタリフと同じく300年余の歴史を持ち、機械に頼らず人力と自然の力のみで、10軒の窯元が伝統を守りながら作陶を続ける小鹿田(おんた)の里(大分県)や、白磁や青白磁の美しい磁器の産地の砥部(愛媛県)まで、日本中を視察した。

本プロジェクトは、ジャパンファウンデーション(JF)が3年に亘り温めてきた企画だ。2003年、イスタリフを訪れた調査団が持ち帰った土や釉薬(ゆうやく。うわぐすりともいう)の分析結果は、今回、訪日した陶工に伝えられた。

「教わるという態度ではなく、彼らに自発的に学び取ってほしい。彼らと一緒に作業しながらイスタリフ焼きの今後を考えたい」という同調査団の一人、砥部の伝統工芸士、白潟八洲彦氏が中心となりプログラムが作られ、岐阜県恵那市の陶芸家、永岡泰則氏やその他多くの陶芸家や地元の人々の協力を得て本プロジェクトが実現した。

様々な顔

アフガニスタン陶工訪日研修の写真2
砥部焼き作り。初めての電動ろくろ。

この12日間で、私は彼らの様々な“顔”を目にした。彫りの深い丹精な彼等の顔はそれだけで絵になる。そこに様々な表情が加わり魅力を増す。ろくろを回したり、絵付けを施す人々の手元や、作品を食い入る様に見つめる真剣な表情、緑や水の溢れる豊かな自然や、発展した都市の様子を目にし驚きと好奇心に満ちた表情、小学校訪問時に子供達に見せた柔らかな父親の表情、すべり台、すいか割り、花火など、童心に帰って遊ぶ無邪気な子供の様な表情、ふと気付けば、私は何度も何度もカメラのシャッターを切っていた。

しかし私が一番目を奪われた“顔”は、彼らが日本で初めて土を触った時、ろくろを回した時の顔だ。一点を見つめる真剣なそして生き生きとした表情。長旅や慣れない気候、食事に疲れが見えていた彼らに、一気にパワーがみなぎるのを感じた。白潟氏もこの時の表情を見て「やはり職人だ」と思ったという。

時折見せた誇らしげな顔も忘れられない顔の一つだ。多治見の幸兵衛窯(こうべえがま)のギャラリーにイスタリフ焼きが展示されているのを見つけた時、そして砥部の交流会や東京の研修報告会で展示された自分たちの作品に、人々が関心を示し手にする姿を目にした時の、喜びと自信に満ちた表情。先祖代々伝えられ、今自分たちが守っていこうとするイスタリフ焼きに対する自信は、こうした小さな誇りを感じる瞬間瞬間の積み重ねで育っていくのだと感じた。

一方、研修をとても楽しんでいた彼らの時折見せる哀しげな顔、そして自国や家族の現状に思いを巡らせてぽつぽつと語る言葉には胸が痛んだ。

「日本は平和で気候も良く食べ物もおいしいし、安心して眠ることができる」と嬉しそうに語る人。小学校を訪問した時に、自分の子供の事を思い「こんな立派な学校に通わせてあげられないし、満足な食べ物も食べさせてあげられない」と喉が詰って食事ができなかった人。「また今度使うんだ」と苦労して作った折り紙の作品を、すぐに畳み直してしまう人。日本で、このような言葉を聞いたこともないし、私自身「安心して眠ることができる」という感想等持ったこともない。

教育を受けられなかったことへの悔しさや、学びたいという情熱もひしひしと感じた。視察先でメモを取る友人の姿を見て、自分は書きたくても書けないと悔し涙を流す人。間違いだらけではあるものの、自分なりに字を書こうとする人。教えてあげた日本語や英語を、何度も何度も口にして覚えようとする人。勉強したかったのに、意に反し教育を受ける機会に恵まれてこなかった彼らの状況を哀しく思った。同時に自分がいかに恵まれた環境にいるかを改めて実感した。

イスタリフ焼きの未来

印象的なエピソードがある。陶工達は白潟氏に会うなり、「砥部のろくろは右回りか、左回りか」と尋ねた。来日後、最初の訪問地で見た電動ろくろの回転方向が、イスタリフで使っている蹴りろくろ(イスタリフでは伝統的に電力に頼らず、足で蹴って回すろくろを使用している)とは逆回転だったため、作品づくりを予定していた砥部のろくろが気にかかって仕方なかったのだという。白潟氏が、電動ろくろは右回りにも左回りにも調節できると伝えると、ほっとした嬉しそうな表情を見せた。

「アフガニスタンと日本に、焼きものという共通点があることが嬉しかった」と語った陶工たちだが、共通点以上に違いを感じる事も多かったに違いない。

しかし、違いに遭遇すると、彼らは新しい事を受け入れようとする柔軟性やチャレンジ精神を見せた。陶芸の訓練校の存在を知ると「自分達もこういう所で学びたかった。戦争などしなければよかった」と語った人もいれば、女性の活躍する姿をカメラに収めながら「イスタリフの人々に見せるんだ」と微笑む人もいた。瀬戸や常滑で見た作品を、砥部ですぐに真似て作った人もいれば、「イスタリフに戻ったら日本で見た様な窯を作ってみたい」と語った人もいた。

鮮やかな青や緑が特徴のイスタリフ焼きは、白潟氏曰く「世界一効率の良い焼き方」を可能にする窯やろくろの技術など、優れた点が多い。しかし、硬度が低く割れやすい、釉薬は鉛分を多く含むため日用食器には向かない、売り物としては未熟さの残る絵付けやデザインなど、改善が必要とされる点も多くある。土の発掘から陶土や釉薬作り、ろくろ回しと全工程を各窯元が人力で行う為、体への負担も大きい。

そんな彼らの現状を考えればあまりに楽観的すぎるのかもしれない。しかし、彼らならば、伝統を守りつつ新しく良いものを取り入れていくことだろうと頼もしく思った。
イスタリフ焼きの明るい未来を想像せずにはいられない。

江藤セデカ氏(カブール出身/イーグル・アフガン復興教会理事長)からのコメント

最後に、通訳兼エスコートとして同行頂いた江藤セデカ氏のコメントを紹介したい。

「イスタリフからやって来た陶芸職人達は、今回の来日・研修で技術を習得すると同時にアフガニスタンと日本の違いに驚き、様々な感動を体験しました。日本文化や最先端の技術に触れて、目を輝かせて興味を示していたことが印象的でした。

彼らにとっては驚きの連続でした。移動中のバスの車窓から見える森林や果樹園に感銘を受け、母国には少なくなってしまった緑の美しさに目を奪われていました。生産性を維持させている日本の林業の技術、狭い日本の土地利用、都市計画、高層ビル、高速道路など、彼らにとっては始めて目にする物ばかりで、一日一日が大いなる発見、感動の毎日であったに違いありません」。

「(今回の体験の)一つ一つが彼らの人生、また帰国後に彼らとかかわる人々にとり、非常に有意義になった事はいうまでもありません。イスタリフでは、女性は家にこもった状態で絵付けのみに従事していますが、日本で数多くの女性が工場などで活躍している姿を見て、アフガニスタンでの女性の役割が見直されるかもしれません。

小鹿田焼きの里では、何百年も受け継がれている伝統的な手法、技術を守ってきている職人を目にし、感激しました。日本では、アフガニスタンにはない新しい設備などにも触れたのですが、将来そのような技術革新を取り入れていく可能性を考えると同時に、機械なくしてもイスタリフ焼を発展、伝統を継承させていく重要性も認識しました。日本で学んだ知識、技術を作品制作に取り入れ、今後もアフガニスタンで素晴らしい作品を作り続けてくれるでしょう。」

(※)同じく通訳兼エスコートとして同行頂いたファルク・アーセフィ氏の記事も、2005年10月発行の『遠近第7号』に掲載予定。

追記

アフガニスタン陶工訪日研修の写真3
楽器・歌・踊りの披露

今回の研修を通じて学んだイスラム教徒の(方たちの)習慣は、私にとって新鮮なものだった。飲酒を禁じられている彼らは、お茶だけで延々と宴会を催す。しかもお茶には大量の砂糖を入れて。始めは宿からコーヒー用のスティックシュガーを貰ったのだが、あまりに大量に使ってしまうため、しまいには調理用の砂糖を大きなどんぶりに盛ってもらう始末。こうやって好きなだけ砂糖を使えるという事は、彼らにとっては非常に贅沢なことだという。

大の大人の男同士が手をつないで歩く姿にも、初めはとても驚いた。しかしスキンシップを非常に大切にするアフガニスタンでは普通の習慣だという。白潟氏も写真撮影の時に隣に立った人に手を握られて初めは驚いたそうだ。

人前で楽しそうに歌ったり踊りを舞う姿も、想像していなかった彼らの一面だった。私の目には、彼らの全身に喜びが漲っているように見え、ほんの数年前までは戦乱が続いていた状況を思わずにはいられなかった。歌もとても上手いが、楽器と呼ぶのだろうか?髪櫛にラップを巻いた非常にシンプルな道具で、笛のように多彩な音を繰出すのにも驚いた。立派な楽器や設備がなくても、これだけ素敵な音楽を奏で出せるとは。彼らは陶工だけでなく音楽家の顔も持っていた。

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