国際交流の最前線は地域社会の中にある

 

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毎年9月11日がめぐってくるたびに、一人の青年のことを考える。モハメド・アタ。米国同時多発テロ事件の主犯とされる男だ。中東出身の彼は、元々あまり信仰心は強くない、物静かで礼儀正しい青年であったという。そんな彼がドイツ留学中、イスラム系移民に対する西洋社会の無理解と偏見に怒り、本国の腐敗した非民主的な世俗主義政権に絶望し、誇りと連帯を求めてモスクに出入りするようになるなかで、過激なイスラム原理主義にからめとられ、テロリストに変身をとげていく。9・11の悲劇は、いかにして多文化共生を実現していくか、世界に、そして日本に深刻な課題をつきつけている。

それぞれの国、地域において長年営々と築かれてきた地縁、血縁社会が、グローバリゼーションによって世界中で脆弱化している。急速な社会変容が進行する日本では、核家族制さえ危うくなっている。家族や地域社会から切り離されて、拠るべきものを失った個人は、アイデンティティー不安に揺れている。唯一、救いや一体感を与えてくれるのが宗教である。宗教を通じて過剰な社会連帯感が作り出され、その求心力を政治が利用するという構図が、原理主義や宗教ナショナリズムの正体である。これを克服するには、それぞれの地域社会において在住外国人や社会的弱者を含む共生の絆を再生していくことが求められている。

こうした世界のあり様を視野に入れながら、全国各地で国際交流・協力を実践する担い手170名が集まって、「国際交流・協力実践者全国会議」が8月27、28日に東京で開催され、「平和と共生の未来を担う私たち」という宣言を発表した。

国際交流・協力組織の細分化、専門化が進むなかで、地域、活動分野の違いをこえて、現場で奮闘する実践者たちが一同に結集したという点において、この会議はわが国の国際交流・協力の歴史上、重要な意義をもつ試みであった。民間有志の呼びかけに、国際協力機構、国際協力銀行、国際交流基金、自治体国際化協会の政府系国際交流4機関が呼応して、連携を図りながら、国際セクターとしての一体感を醸成していったことも画期的といってよい。

全国各地の担い手結集を求めた呼びかけ人たちの胸中には、「このままでは日本の国際交流・協力活動は先細りになる」という危機感があった。1980年代から90年代にかけて急増した国際交流・協力団体は、90年代中盤から頭打ち状態にあったが、ここ数年、とりわけ厳しさが増している。地方自治体によって出資・設立された国際交流団体の一部には、大幅予算・人員の縮減を迫られたり、統廃合が行なわれた例があり、それを補うはずのNGONPOの活動も十分とはいえない。このままではわが国の国際交流・協力活動全体が衰退するのではないかという懸念が生じているのである。

各地の国際交流・協力活動を再定義しなければならない背景には、グローバリゼーションに伴う日本社会の変容があるのは、冒頭で触れた。外国人の人口が1.5%を超え、国際結婚が20組に1組となった事実が示す通り、日本社会が多文化・多民族化する流れは急速に強まっている。採択された宣言文は、「今日の世界の趨勢から考えて、程度の差はあれ日本社会の多文化・多民族化が不可避であるならば、これを前向きにとらえ、市民の主体的な取り組みによって、困難を乗りこえ、地域のより良い未来を作るために積極的に活用していく、というプラス思考が必要」なのであり、「その牽引車たる役割が、地域の国際交流・協力活動には期待されている」と述べている。

不就学外国人児童への日本語教育、在住外国人に対する医療通訳派遣制度等、既に様々な取り組みが各地で始っている。在住外国人や学校教育の現場と連携しつつ、異文化に対する偏見から解放された次世代を育てていく「国際理解教育」も強化していく必要がある。
国際交流のフロンティアは、身近な地域社会のなかにあるのだ。

 

∵著者略歴
1959年、神戸生まれ。早稲田大学教育学部卒。国際交流基金ジャカルタ日本文化センター、ニューデリー事務所勤務等を経て、現在同基金企画評価課長。著書に『インドネシア 多民族国家の模索』(岩波新書)、『原理主義とは何か』(講談社現代新書)など。

 

 

 

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