『アフガン零年』 (2003年カンヌ国際映画祭カメラドール特別賞受賞) シディク・バルマク監督来日インタビュー

 

シディク・バルマク監督の写真1

タリバン政権下の残酷な現実を、ひとりの少女の体験を通じて描いた映画「アフガン零年」から2年。8月末にジャパンファウンデーションの招きで来日した監督に、アフガニスタンのその後の状況、日本への期待、そして次の作品について伺いました。

希望を込めて撮影した「アフガン零年」のラストシーン(主人公の少女が自由の象徴である虹をくぐりぬける)を、現実とは違いすぎると、あえてカットしたバルマク監督。果たして、その後の現実は、監督の希望にどれほど近づいたのでしょうか。

残念ながら、インタビューでもっとも多く聞かれたのは、unfortunatelyという言葉でした。思うように復興が進まない現状への憤りを時折見せながら「どうかアフガニスタンの現実を見てください。どうか助けてください」と訴えました。

『アフガン零年』以降

残念ながら、現在のアフガニスタンは多くの問題に直面しています。女性の社会参加や、国民の教育、健康の問題に加え、政治、経済、文化全体に関わる「制度」が問題です。残念ながら、国際社会に復興支援を仰いだこの3年で、国際社会は、アフガニスタンにとって有益となる国としての制度、政治的構造を作ってきてはいません。

アメリカの友人はアメリカ的な、フランスの友人はフランス的な、日本人の友人は日本的な制度がよいと思っています。私自身は、各国の制度を参考にしながら、我々にあった制度を見出すべきだと思っています。

女性が学校、大学に行けるようになり、仕事をしたければできるようにもなりましたが、それはカブールといった大都市だけで、カブールはアフガニスタンではありません。カブールの周辺地域や別の地域に行けば、多くの女性が物乞いをし、希望も仕事もなく、ただただ食べ物を求めています。

(職につけない男性は多く)経済状況は悪くなる一方で、こうした人たちが、簡単にアルカイダやタリバンに誘惑されてしまいます。金が欲しくて。家族を養っていかなくてはならないから。国際社会には、このような状況、この現状をどうしたらよいかということを考えてもらいたいです。「よし、アフガニスタンを民主主義国家にしよう」といいます。民主国家――これは単なる言葉ではなく、ひとつの文化、ひとつの活動です。それが実現するには基盤が必要なのです。

アフガニスタンは80億ドルもの援助をいただきました。大金です。けれども、アフガニスタンには、決して(大きな)変化は見られない。道は悪く、破壊された建物だらけで、状況はいまだ最悪です。水の供給施設もなく、大都市でさえ、電気も通っていません。教育制度もできていない。学校といっても建物はなく、私の娘はテントの下で勉強しています。現政権を改革し、政治をやるのにふさわしい人たちを見つけねばなりません。

議会は、こうした状況のすべてを変えられるほど力を持っていません。国際社会は、わが国に変化を迫るべきです。そして少なくとも、国としての基盤づくりを支援し、援助資金がうまく使われるよう、いくべきところにお金がいくよう圧力をかけてほしいと思います。映画業界はその援助のなかから1ドルももらえませんでした。アフガニスタン映画協会(Afghan Film Institution)という政府関係機関もありますが、支援はしてもらえませんでした。

アフガニスタンには、自分自身の国の将来に希望を持っていない人がたくさんいます。内外のアフガニスタン人自身、権力者も含めて、この国が存在すべきだと思っていない人たちが多くいます。日和見主義的な人たち、自分たちだけが豊かになればいいという人たちが多いのです。

だから私の思いは、楽観的でもあり悲観的でもあります。国際社会がアフガニスタンに入り、復興支援を行っているという意味では楽観的です。一方、アフガニスタンの人々が、国をうまく司っていけるかを考えると悲観的になります。

まず権力者が、政治問題にうまく対処できていません。国の将来について、計画も戦略も持っていません。これは長年の内戦の副産物かもしれませんが、ある種の無秩序状態(アナーキー)です。民主主義者だと主張する人たちが、民主主義を破壊しています。民族間の権力闘争、殺人があり、どの民族が悪いというのでなく、誰もが(悪いの)です。著名な大学を出たインテリもいますが、偏狭な考えをもっています。世界どころか、アフガニスタン全体さえみていません。

何かしようという人たちは、本当にわずかしかいないのです。しかもこうした人たちが、何か協力して動こうとしているわけではありません。

その何かをしようとしている人たちですが、例えば映画界では、カブール大学がひとつの例です。私たちは、本来はひとつの戦略のもとで、すべてのアフガニスタン人を思いやっていかなければならない。しかし、残念ですが、アフガニスタンは前途多難です。この状況を何とかしたいのですが。

私は、若い世代の人たちが恐怖を感じなくてよい時代に生きてほしいと切に願っています。今の状況から抜け出せるという望みを持てる人たちもいる一方、望みをもてない人たちもいる。だからこそ、アルカイダやタリバンに、数百ドルというお金で誘惑されてしまうということもおきてしまうのでしょう。

彼らに仕事があれば、例えば大型プロジェクトがあってアフガニスタン人が仕事につければ、それはテロと闘うこと、アルカイダと闘うということでもあるのです。

ただ気になるのが、例えば、アメリカの大手企業がカブールやカンダハール中南部地域で行っているような大型プロジェクトなどのケースです。彼らは、貧しいアフガニスタン人を雇う代わりに、例えば、トルコ企業にこのプロジェクトを委託し、その結果トルコ人労働者がたくさんやってきます。こうした場合、結局アフガニスタン人に恩恵はいきません。

そのほかにも問題はあります。カブールは最近少し変わってきましたが、それは国際社会の援助や寄付のおかげではありません。麻薬の金で、道路ができ高層の建物ができたのです。

日本の大使館がアフガニスタンで行っていることにはたいへん感謝しています。懸命な努力をしていただいています。(国際社会がアフガニスタンに何かできるとしたら)まず今言ったような、アフガニスタンの現実を見てください。というのも、ともすれば、そんな現状を語るにふさわしくない人が(今のアフガニスタンについて)語っているからです。

都市部だけでなく、都市から離れている地域も見てください。そして、どうか、政治関係者に圧力をかけてください。現在の状況を変えろと。「そんなことをする立場にはありません。アドバイスをさせていただくだけです」とおっしゃるでしょう。しかしアドバイスだけでは世の中変わらないときもあります。圧力をかけなくては。時には、強く主張しなくては。そうしなければ、変化は起きないからです。

国際社会は、アフガニスタン人よりも外国から来た支配者を信頼することもあります。確かにアフガニスタンには軍事的支配者(warlords)もいます。しかし、ロシアやソビエト連邦、タリバンと戦った人の中にも非常におもしろい人たちがいます。国民の支持もある彼らは、国にとっての優先順位、国内状況をよくわかっています。

一方、外から来た人は、国内で何がおきているか理解できていません。理解するには時間がかかります。アメリカやヨーロッパから戻ってきたアフガニスタン人は、よい考えをもっているかもしれないですが、例えば、アフガニスタンのことよりも、ワシントンに住む自分たち自身の家族のことを思っているのです。彼らの生活は別世界にあり、アフガニスタンには一時的にいるだけなのです。

 

シディク・バルマク監督の写真2

日本への期待

ですから、どうかアフガニスタンを助けてください。今こそ、復興を成功させ、よい例を示すときです。国際社会が何かしようとするなら、アフガニスタンのような悲惨な地域で、生活改善されるよう何かすべきです。我々は民主的社会を作れるというよい例を、他国ー中央アジア、イラン、ビルマ等――へ示さなくてはなりません。それができなければ、今後、誰にも、国連、アメリカ、西洋社会、日本にも信用してもらえなくなるでしょう。

アフガニスタンが日本から学べることはいろいろあります。日本の復興経験は我々の参考になるはずです。日本は天然資源を持たない国ですが、人的資源があるから豊かになりました。アフガニスタンに石油はないですが天然資源はあります。それなのに残念ながら、発展がありません。日本の発展をみると、わが国も前進しなければならないと思います。それは我々自身の責任です。

その意味で、今回のジャパンファウンデーションのお招きは、アフガニスタン人が日本について新たに知り、国の将来について考えるいいきっかけになると思います。

特に若い世代は、戦うこと、銃の使い方しか知らない。ほかに選択肢はなかったのです。ですから今こそ、銃を手放し平和を実現する時です。

復興支援の方法として、例えば、特に都市ではなく遠隔地域に住む純粋な(pure)人たちにドキュメンタリーを見せるというのはどうでしょうか。日本がいかに戦後立ち直ったか、いかに自分たちでイニチアチブをとり、自分たちのために国の再建をしたか、いかにして家を作り、農業をし、養鶏を始め、小さな工場を作り再建をめざしたか、示してほしいです。アフガニスタンが復興するには、貧しい人々(の成功)が必要なのです。彼らにどのように再建をしたらいいか教えるというところから始めましょう。ビデオが無理なら、少なくとも写真を見せたり、講演をして伝えてほしいです。

アフガニスタンでは、日本製品がいたるところで見られます。だから昔の世代も今の世代も、日本(の発展)を信じているのです。都市部よりもまず農村から変わってゆくべきだと思います。同時に、アフガニスタンの教師に、いかにして子供たちを教育していくか、ということも教えてもらえたら有難いです。

こんな悪いイメージをお話して申し訳ないです。でもこれが現実なのです。私はカブールに住んでいます。今は安全です。ご存知のように国際部隊がいますから。けれども最近では住居への略奪が頻繁におきています。なぜか。彼らはとても貧しい。自分と子どもたちのためにお金が必要です。私の知っている大尉は、自殺したいと思った。しかしそう思った翌日には、商店の略奪に走りました。そして警察に逮捕され、その模様がテレビで、あたかも彼が大泥棒のように映していました。しかし彼は子どものために何かしなくてはならなかった。初めてしたことだった。まるでイタリア映画のクラシック、『自転車泥棒』です。あそこにでてくる泥棒は、皆とても貧しい。何かしなければならなかった。ほかにしようがなかったのです。

アフガン子ども教育運動について

私の関わっているアフガン子ども教育運動というプログラム(Afghan Children Education Movement)は、モフセン・マフマルパフという、私の親しい友人でもあり先生でもあるイタリアの有名な映画監督の提唱で生まれました。このACEMは、タリバンが崩壊する前に、『カンダハール』を制作中に作りました。そして2003年、私は彼にアフガニスタンでの活動を任されました。大阪にも支部があり、支援金を募っています。この2年で、数々の学校にいすなどの設備を提供しました。またマフバルパフ監督は大量のコンピュータ、自転車、子供たちの学習教材を購入し、またストリートチルドレンのための大型施設を、カブールやその他の地域に作りました。

ここでは子どもたちに絵も教えています。彼らの撮った写真や絵はとてもよくできています。先般、宝塚市(兵庫)で展覧会を開きました。私も見てきましたがとても面白かったです。そのほか、ショート映画を作らせる準備もしています。カメラの使い方や映画の作りかたをみせたりして。彼らの中に才能ある子どもがいるかもしれません。図書館なども作りました。

しかしこうした活動には限界があります。限られた人の寄付にたよっていますので。またこの資金をカブールやその他の地域で分けあっているので使えるお金も限られます。それでもこの3年で、さまざまな場所で75ものプロジェクトを行いました。心臓病の子どもの治療も行いました

アフガニスタンの7割くらいの母親や子供たちが精神的に病んでいます。精神科医に診てもらう必要があるほどです。少女や母親たちはいっそう深刻な場合があります。みんな、内戦やタリバンの犠牲者です。それでも徐々に立ち直りつつあります。熱心に学校にも行き始める子どもでてきています。これはいい変化といえるでしょう。

タリバン時代の前、1987年以前には子供を学校にやらない人たちがいましたが、今では、誰もが、遠隔地域の人たちも、伝統的しきたりを守っている家族さえも、教育の重要性をわかっています。とくに貧しい家庭では、子供たちの教育をうけることこそ、よい仕事につける道と思っています。

訪日を終えて

今回の訪日では、映画に関することだけでなく、日本の面白いものをいろいろと吸収しようと思っていました。先日、俳句を読んでいたらーー私の母語ファーシ語、ダリ語に訳されているものですがーー両国の間には、よい点や共通点が数多くあることに気づきました。ローマから中東へ、中東からイラン、アフガニスタン、中央アジア、中国そして日本へと続くシルクロードは、単に貿易のためだけに使われたのではなく、「心(heart)」をつなぎ文化をつないだのです。大仏は、預言者として、ひとつの思想として、私たちを繋いでいると思います。今回京都や奈良でいろいろな寺に行きましたが、「ここに繋がりがある」と思いました。

残念ながら、私たちはその象徴ともいえる仏像を失いましたが、その思想はみんなの心に残っています。また、日本の友人たちがバーミヤンの仏像の再建について考えてくれているのをたいへん嬉しく思っています。これは平和を尊ぶアフガニスタンの国としての魂を取り戻すという点でも重要です。少しでも早くあの巨大な仏像が見られればと思います。

日本の友人が、子どもたちのために学校を作るプロジェクトを進めているということも聞きました。日本人はアフガニスタンで数々のよい援助活動を行っています。優先順位を理解して。政府だけでなくNGOもです。支援国のなかでも、日本とドイツはとくに真剣に行っていると思います。

次の作品は

私の次の作品は、いかに人間的であるべきか(“about how you should be human”)、いかに言葉を知らない者同士が、お互いをみつけられるかというのがテーマです。非常に異なった人間が、最終的にはひとつのルーツから生まれているものであること、同じ父と母から生まれたという話です。宗教的な話ではありませんが、そこには、「人間」という宗教が見られます。

それは誤解に関係する話でもありますが、笑えるようなシーンもあります。アフガニスタンや世界の人がそれを見て、微笑み、そして何かを感じてもらえれば嬉しいです。


<インタビュー/桶谷省吾・柏木明子>

 

 

 

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