文化交流の評価 / 「誇り」を育てる

文化交流の評価

国際交流基金において私が担当する業務のうち最も重要なものが、国際文化交流事業の評価を統括することである。芸術、学術、日本語教育など文化交流の評価というのは一筋縄ではいかない。まず事業目的、目標が明確であることが評価の前提となるが、誰の目にも明確であるよう目的、目標を数値設定し、その結果を判定すればそれでよし、ということにはならない。また事業実施直後に出てきた成果のみで、事業全般を判断してよいのかと自問することも多い。時を経て熟成することで、その価値が輝き始める文化交流もある。夏目漱石の留学が代表的な例だ。

漱石は明治33年、文部省の命を受けて英国に留学するが、一見その結果は惨憺たるものだった。大学の聴講はわずか数ヶ月で投げ出し、彼はごく限られた知人を除いて英国社会との交友を厭い、下宿の一室に引きこもってしまう。漱石自身、「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり」と回顧している。今日の留学事業の評価基準に照らせば、完全な失敗ケースと判定されるだろう。

しかし、である。こうした身を引き裂かれるような留学体験があったからこそ、後年漱石は鋭い文明批評を孕んだ文学的創造を為しえたのではないだろうか。我々は今、彼の小説、評論を近代日本の知的遺産として享受している。漱石を国費留学させたのは無駄ではなかったのだ。
(公明新聞12月23日 コラム「にしひがし」掲載)

「誇り」を育てる

2002年から学校教育に「総合的な学習の時間」が本格導入され、そのなかで国際理解が重要な学習課題となっている。とはいえ国際理解とは何か充分なコンセンサスがあるとはいえず、国際理解教育=英語能力の向上、と短絡的にとらえられている傾向がある。

今なぜ国際理解教育が必要なのだろうか。第15期中央教育審議会答申は、「異なる文化を持った人々と共生する資質や能力の育成を図ること、日本人としての自己の確立を図ること、外国語能力の基礎や表現力等のコミュニケーション能力の育成を図ること」の3点を掲げている。異文化を理解する能力とは、どうやったら身につくのだろうか。国際理解のために日本人としての自己を確立するとはどういうことだろうか。

教育学者スーザン・ファウンテンは「自分に価値を認め、他人のそれも正しく評価できる子供は、差別や不平等を黙って受け入れることが少なく、不正に立ち向かっていく」と自尊心の重要性を指摘している。自分のことをかけがえない存在として価値を認め、自尊心が強いほど、他者に対して優しくなれ、他文化に対しても寛大になれるというのである。他文化への嫌悪や排除によって感じる刹那的な優越感は、本当の自尊心ではないのだ。

フランスで吹き荒れている若者たちの暴動も、「誇り」の問題が深くからんでいるような気がしてならない。若者の「誇り」をいかに育てていくか、各国で国際理解、異文化理解のあり方が問われている。
(公明新聞11月25日 コラム「にしひがし」掲載)


著者が2006年2月16日(木)にNGOPPOと宗教を結ぶ市民フォーラム『こころの開発・宗教・地球市民』にて講師を務めます。詳細はこちらへ。



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