高鳴れ、デリー・シンフォニーオーケストラ

 

デリー・シンフォニーオーケストラと聞いて皆さんはどんなオーケストラを想像されるだろうか。東京交響楽団のように、首都に根拠地を置いて活躍する近代的なオーケストラ。
否、否、ここはインドである。
インドにクラシック音楽は存在しない、と聞いて二度驚くことになる。

デリー・シンフォニーオーケストラは1964年に設立された、あらゆる職業を持ったプレーヤーからなるアマチュアの楽団である。これが現在インドに存在する唯一のシンフォニーオーケストラと聞いてもう一度驚かざるを得ない。楽団メンバーのある人達はムンバイ(ボンベイ)の映画産業で演奏している人もいれば、個人で教えている人もいるが、多くは別の職業を持って働いている人々である。だから機会ある度に、デリーだけでなくコルカタ(カルカッタ)やムンバイ(ボンベイ)などから集まって来る。残念ながらこの3年間程、定期演奏会も開かれていない。公衆の面前で演奏する機会にすら恵まれないのである。

このことは、インドに暮らす外国の人々にとっては、クラシック音楽を聴く機会が殆ど無いということを意味する。

インドは、この国を永く支配したイギリスからあれほど完璧なまでに英語を学び取り、社会に浸透させながら、クラシック音楽は草1本育たなかったと言ってよい。
それはピアノを取って見ればすぐ分かる。この国に住んでみると、先ず子供が習うためのピアノがない。コンノート・プレースにある2軒の楽器屋を訪ねると、これまた驚くばかりのピアノが並んでいて、おもちゃの卓上ピアノにも満たないような音を出している。何台か輸入物がリースされていて、使っていた外国人が帰国する度に、在留外国人の間で取り合いになる。
文化ホールや劇場にすらピアノは無いか、あってもせいぜい無難に聞ける程度のものである。つまり良いピアノは外国の大使館にしかない。
従ってピアノの先生も在住の外国人ということになる。何故か調律師だけはターバンを巻いたインド人が活躍しているところがインドらしい。

以上からも察しがつくと思うが、最近でこそ、少しずつキーボードなどが導入されているが、一般的には、インド人がピアノやバイオリンを習うことは無く、学校でも西洋音楽は教えられておらず、ピアノも楽譜も使われていないのである。
プロのシンフォニーオーケストラが無い訳である。

それではインドの音楽水準は如何にも低いのかと誤解されてしまうが、これは大変危険な考えで、大きな間違いである。
インドではインドの伝統音楽や古典音楽があまりにも強過ぎ、だからクラシック音楽など寄せ付けないと考えた方がよい。(因みにインドでは、自らの伝統的古典音楽をクラシック・ミュージックと呼んでいて最初外国人は混乱するのである)そして確かにインドの伝統音楽はそれ自体一つの宇宙のように巨大で奥深い。

例えばタブラーなどの太鼓のリズムを注意深く追ってみたことがあるだろうか。これは大変複雑なリズムを持っており、丁度ジャズのような裏打ちのリズムが出て来る。素人では途中から分からなくなってしまうが、それが長い間続いた後、最後にピタリと合うようになっていて、これは規則正しいリズムに基づいていたことが分かる。リズムの裏には非常に複雑な計算が働いているという。

あるいはシェーナイというインドの管楽器をご存知だろうか。これはオーボエと大変似た二枚リード楽器で、分かり易く言うとあのチャルメラのような音のするものである。しかし、これをビスミラー・カーンのような人間国宝級の奏者が演ずると、ベルリンフィルにいたローター・コッホ(玉を転がすような音色と評された)と間違うほどの音色になるから不思議である。

劇場やホールでは毎晩のように伝統の踊りや音楽が行われていて、人間国宝級のアーチストが出演しようがすべて無料である。舞踊や音楽に限らず芸術鑑賞にはお金がかからない。

さて、以上のようなインドの音楽事情を理解いただいた上で、デリー・シンフォニーオーケストラに戻らなければならない。このデリー・シンフォニーを福村芳一氏が指揮することになったからだ。福村氏と言えば世界をまたにかけて活躍する指揮者で、ベトナムでは戦火で消滅したオーケストラを復興させて注目を浴びている。
コンサートマスターとして、アメリカからはバイオリン奏者のポール・カールソン氏が招かれ、日本からは副指揮者でコントラバス奏者の久保田洋氏が助っ人として参加し、福村氏による8日間の厳しいトレーニングがデリーで始まった。福村氏のデリーシンフォニーに対する評価は、「能力は想像以上に高い、しかし仕事で練習に出られず、楽器には綿を詰めたりして日本では吹けないような代物で、なかなか思うように行かない。」憤懣やるかたない状況が続きながらも何とか最終日のコンサートに漕ぎ着けた。

12月1日、サイ国際センターのホールは、デリーで本当に久しぶりにシンフォニーが聞けると聞いて楽しみにして来たインドの人々と在留外国人で満席となった。曲目はすべてモーツアルト。管楽器のメンバーが十分集まらなかったため、弦楽曲が主体だ。

いよいよ第一曲目が始まる。ディヴェルティメント第1番。最初の1小節が鳴り始めただけでモーツアルトとすぐ分かる、あの独特のみずみずしい、宮廷の優雅なメロディーが一瞬に広がって行く。「さすがデリーシンフォニーだ」と言いたいところだが、これは、「さすがモーツアルトだ」の方が正しいかも知れない。福村氏のコントロールの効いた、すばらしい演奏になった。兎に角、私にとってもインド人が西洋クラシックをどんな顔をして演奏し、どんな音を出すのか初めての体験で興味津津だった。

第二曲目はバイオリン協奏曲第3番。ここはカールソン氏がソロを演奏して、第二楽章のアダージオでは、ゆったりと流れる音楽が次第に高みを上りながらオーケストラと一体化し心地よい演奏となった。このコンサートの最も美しかった部分ではないだろうか。
そしてフィナーレは交響曲第40番。第一楽章はあの有名なメロディーで始まる。クラシックをあまり聴かない人でも知っている主題だ。しかし暫くしてちょっとしたハプニングが起こる。第二バイオリンがこぞって早く出てしまったからである。このまま行くと危険なことが起こるかも知れない。これがオーケストラ全体に広がると停止せざるを得なくなるからだ。しかし、その後繰り返される第一バイオリンの主題を聞いてすぐに元に戻った。

第二楽章、第三楽章を聴きながら私はだんだんと不安になっていった。デリーシンフォニーは福村氏の指揮を得て良い音楽を作っているが、所々アマチュアの影を隠せない部分を抱えているからだ。日本の名もない中学校のブラスバンドと変わりない水準とも言える一面を持っている。
そして、それにも増して、第四楽章にはあの有名なオーケストラ泣かせのパートが出てくるからだ。それは評論家をして、「このカオスのようなパートを難なく演奏できるオーケストラは世界に未だかつて殆どない」とまで言わしめた。
私はジョージ・セルの指揮するクリーブランド管弦楽団の交響曲40番を良く聴くが、第一楽章から第三楽章までどんなに澄んだ演奏をしようが、確かに最後の楽章はそれまでの音とちょっと違い、濁ったように聞こえることがある。それほどの難曲を何故福村氏は選んだのか。デリーシンフォニーはそれほど高い技量を持っているのだろうか。そんなことを考えている間に第三楽章が終わった。

短い休止。緊張が走り、固唾を呑んで、第四楽章が始まった。そこからは不思議な体験だった。世界の最高級のオーケストラが挑み、最高の技術でもって乗り越えようとする演奏家、それをどこまでも拒み、壁を一層高くする作曲家モーツアルト。
しかしデリーシンフォニーにはそんな高級な技術は持ち合わせていない。デリーシンフォニーのプレーヤーは、一人一人が思い荷物を背負って一生懸命に峠を上って行く隊列のようだ。途中で落伍しかける者もいる。しかし福村氏はそれを丁寧に後ろから押し、前から引っ張り一人一人手を取って壁を越えさせて行く。この曲は面白くできていて、冒頭から最後まで、同じ短い一つの主題が全ての楽器の上に順番に出てくるように書かれている。それが現れるたびに、福村氏は何度も支援の手を差し伸べるのである。そこには何の淀みも濁りも感じられない。

なるほどと思った。高い技術をもって挑めば挑むほどモーツアルトは一層壁を高くして拒む。しかしこの曲を乗り越えるには技術を要しない方法もあったのだ。技術をひけらかすことなく、ありのままひたむきに登ってもいいのではないか。そしてひたむきな努力からは明らかに感動が生まれる。

多くを期待して来た聴衆には不満もあったかも知れない。しかしインドのこのような環境の中で、インド人によるクラシック音楽を実現できたこと自体大変な偉業ではないか。福村氏には頭が下がる思いである。外国のどの指揮者もこのような難業はやりたがらないであろう。デリーシンフォニーも福村氏から多くのことを学んだに違いない。インドの西洋音楽界に一石を投じることはできたのではないだろうか。

 

 

 

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