感動の記憶が残る日韓交流を

小林所長とソウル日本文化センターのライブラリーの写真
小林所長とソウル日本文化センターのライブラリー


私は一般公募で国際交流基金ソウル日本文化センター所長に選任され、2006年5月に着任しました。

私と韓国との関わりは、1970年代後半の丸紅ソウル支店勤務から数えて30年近くになります。これまで商社・日本貿易振興会(JETRO)ソウルセンター・日韓経済協会・KOTRA(大韓貿易投資振興公社)東京貿易館に身をおき、常に貿易・投資という経済活動に携わってきました。今回4度目となる韓国駐在では、今までとは全く違った分野で、人々との新しい出会いや交流現場での感動に接し、一層のやりがいと責任を感じています。

2006年日韓交流の現場で体験したこと~「感動」の重要性

そこで2006年の交流事業の中から私の「心に響いた」経験を一部ご紹介したいと思います。ものごとの「記録」は、前例・反省への改善点・次回へのアドバイスなどとして勿論重要です。しかしながら、交流のような行事に参加した当事者の「記憶」は、こういった記録より、更に重要だと実感しています。そしてその記憶を生み出す原動力は何と言っても、心に響く「感動」であると思います。こうした感動は一回限りのものではなく、参加した人々の心にいつかまた蘇るものと私は信じているからです。


鬼島太鼓のメンバーの写真
蔚山ジャパン・ウイークで息の合った
演奏を披露する鬼島太鼓のメンバー

鬼島太鼓(きじまだいこ)公演

10月末から1週間、蔚山・光州を回る日程で、日本のアマチュア太鼓チーム「鬼島太鼓」を韓国に招きました。鬼島太鼓は、スキー場で有名な長野県下高井郡木島平村を拠点に活動するグループで、小学生から高校生までの女子で構成されています。人口僅か5,000人の小さな村が生み出した和太鼓グループは、8月に行なわれた第5回東京国際和太鼓コンテスト「組太鼓部門・一般の部」において並み居る成人チームを抑え、最優秀賞を獲得しました。今回来韓したのは、このうち女子中学生・高校生の9名。来韓の当日は夜中の3時に木島平村を出発し、新潟・仁川・金浦を経由、長旅をものともせず蔚山に到着しました。蔚山では市立文化芸術会館でのジャパン・ウィークのフィナーレなど3公演、光州でも市立文化芸術会館において光州市立国劇団との競演を含め3公演をお願いしました。全員が中高生、しかも女子ばかりということで、私はいささか心配していましたが公演が始まると一度に吹っ飛んでしまい杞憂に終わりました。

蔚山ロッテ百貨店前や光州ビエンナーレ会場内広場など、野外でのいわば「ストリート」公演を含め、観衆の反応は素晴らしいものがありました。太鼓の音に合わせて手拍子などで応える韓国の聴衆。演奏する側と聴く側に双方向のコミュニケーションが生まれ、会場が一体となる盛り上がりを見せました。来韓前、韓国の印象をおぼろげに「ちょっと怖い国」と話していた出演者の中高生ですが、彼女らにとっても、大きな感動と記憶に残る交流の実現となりました。


『海女のリャンさん』 上映会の写真

映画『海女のリャンさん』

これに先立つ10月の初めには『海女のリャンさん』という映画の5夜連続上映会を、済州道で開催(済州特別自治道運営本部との共同主催)しました。この作品は、済州道の海女出身で現在大阪に住む90歳の在日朝鮮人ハルモ二(お婆さん)を描いた映画です。歴史的な運命に翻弄され、我が子が北朝鮮、韓国、日本の3カ国に離散してしまった悲劇の半生を追いかけたドキュメンタリーは、見る人の心を締め付けます。

主人公の出身地、済州道での上映会ということもあり、また共催の特別自治道関係者の広報のお蔭で、連日立ち見の人垣が出来るほどの盛況でした。
私が初日挨拶に立った「海女博物館」では、上映が終わったあと、知り合いの特別自治道女性対策特別補佐官を含め、涙の感動が広がりました。今は亡き在日韓国人映画監督の遺志を引き継いで、日本人監督がリレー制作したこの映画は、基金が韓国での上映権を得て韓国語の字幕スーパーを付けています。
この映画は、ソウルでも駐韓日本大使館公報文化院(安国洞)の協力を得て、連続上映会を実現することが出来ました。

喜多俊之教授のワークショップ

少し遡って6月のことになりますが、ソウル日本文化センターでは世界的な工業デザイナーである大阪芸術大学の喜多俊之教授をソウル・弘益大学校美術大学に招き、講演会と6日間のワークショップを実施しました。
喜多先生の作品は、ハンブルグ美術工芸博物館、ニューヨーク近代美術館、パリ・ポンピドーセンターなどでパーマネント・コレクションに選定されています。また喜多先生は、「インテリアに進化したデザイン」というコンセプトで、液晶テレビAQUOSのデザインを担当したことでも知られています。
ちょうどサッカーW杯ドイツ大会の開催時期と重なり、特に初日の講演会当日は早朝4時から韓国vsフランス戦が行われたため、学生の入りを心配しました。しかしこれも私の杞憂に終わりました。私も挨拶で「サッカー観戦で寝不足でしょうが・・・」と切り出しましたが、学生を中心とした大勢の方々が喜多先生の話を聴きに熱心に詰め掛けて下さり、ホッとすると同時に関心の高さを嬉しく感じました。

ワークショップのテーマは「独創的な椅子のデザイン」。学生達は喜多先生の直接指導で図面を引き、5分の1模型を制作するというものでした。
私はワークショップの最終日に、再び大学を訪れました。相変わらずW杯の真っ最中でしたが、このワークショップでのベスト3作品を、日本の家具メーカーに実寸で制作させるという喜多先生の「仕掛け」もあり、学生達は皆真剣そのもので、最後まで提案・議論を繰り返していました。
喜多先生も「日本の学生に無い独創性が発揮され、予想を上回る発想の豊かさだ。彼らのアイデアを具体化するため、メーカーでの実寸制作をベスト5作品にまで拡大することにした。」と、成果を感動的に語ってくれました。
ワークショップで生まれた椅子の模型は後日、各自設計コンセプトのコメントとともに、ソウル日本文化センターのホールで展示されました。この展示会のために来館した弘益大学校の担当教官や、制作を行った学生達とも再会することが出来ました。


私は着任以来、ソウル日本文化センターの3つのキーワード、即ちソウル首都圏に偏らない【地方交流】の強化、両国次世代を担う【青少年交流】の重点化、正確で良質な【情報交流】の活性化、を繰り返し掲げて来ました。
2007年も、韓国における日韓相互理解の更なる促進、オール・ジャパンとしての日本のイメージ向上のため、そして『感動の残る日韓交流』を更に拡大するため、全力を尽くしていきたいと考えています。




ページトップへ戻る