青木先生とその夢 中国の視覚障害者たちが夢を描けるようになるために・・・

 

天津市視覚障害者日本語訓練学校での授業の写真

天津市視覚障害者日本語訓練学校での授業の様子。

私が初めて青木先生の存在を知ったのは2004年5月。偶然目にした朝日新聞の記事がきっかけでした。全盲という障害を持ちながらも、単身中国天津市に日本語学校を設立し、現地の視覚障害者たちに日本語を教えているということを知り、心に強い衝撃が走りました。ちょうど1年半に渡る世界一周の旅を終え、まだ次の進路を決めかねていた私は何かに突き動かされるようにその翌月には中国の青木先生を訪ねに行ってしまったのです。

 

突然の来訪者である私を青木先生は温かく迎えてくれ、授業の見学や学生たちと一緒に食事を共にする機会を用意してくれました。天津市視覚障害者日本語訓練学校はアパートの一室を使ったもので、20平米ほどの部屋が食堂兼教室。黒板ならぬ冷蔵庫を背に、手にした点字の教科書に指を走らせながら、テンポよく授業を進めていく青木先生の姿が印象的でした。

 

「私が中国に初めて来たのが1993年。最初は視覚障害者の外国人留学生を受け入れてくれる大学もなかったんですよ。でも日本で個人レッスンをしてくれた李爽さんの紹介で天津外国語学院に入学できたんです。その後、中国語の弁論大会で優勝してから、だんだん周囲からも認められるようになった気がします。」
青木先生は今までのことを振り返って、こう語っておられました。

青木陽子先生の写真

青木陽子先生

青木先生の熱意に影響されて、李爽さんの両親である李勝彦、傳春霞夫妻が天津での日本語学校作りを手伝うようになり、1995年に天津市視覚障害者日本語訓練学校が設立されました。

 

「中国に暮らすほとんどの視覚障害者は将来の夢を描けるような状況にありません。彼らにとっての選択肢は按摩士になるか、音楽などの分野に活路を見出すかその二つくらいしかなかったんです。私は彼らが夢を持てるようになるための手助けがしたいんです。」
青木先生はそんな願いを語っておられました。

 

私は3年間日本語教師をしていたこともあり、天津で何か自分も青木先生のサポートをすることが出来るのでは…と漠然と思っていたのですが、実際には何一つ彼女の力になることは出来ませんでした。中国に踏みとどまってボランティアで日本語を教えることも、資金的にサポートすることも出来ず、青木先生の言う「中国の視覚障害者が夢を描けるようになるための手伝い」に手を貸すことなく、ただ無力感を抱いたまま帰国の途についたのでした。

 

それからちょうど1年後の2005年5月。数奇な縁から国際交流基金に新設された21世紀日中特別事業業務室で働くことになりました。そこで最初に担当したのが天津市視覚障害者日本語訓練学校から青木先生と4人の視覚障害を持つ学生たちを日本に招く仕事でした。「有縁千里来相逢、無縁対面不相識」(縁があれば例え千里離れていても巡り会うが、縁がなければ目の前にいても知り合うことはない。)こうしてまた青木先生と4人の学生たちの夢の実現へのお手伝いをさせてもらうことになったのです。

 

劉宝萍さんの写真

盲導犬を初体験する劉宝萍さん

2005年10月1日。青木先生、李勝彦校長に引率された4人の視覚障害を持つ学生が初来日。その日から11日間に渡って、京都、大阪、東京、群馬、岩手など日本各地を見学しました。初めて触れた盲導犬、視覚障害者同士が行うバレーボールや卓球、バリアフリーの交通機関、露天風呂での入浴体験、教科書を点訳している日本人ボランティアとの交流会・・・体全体で日本を感じて6人の一行は帰国の途につきました。

 

「4人の学生たち全員が中国で日本語を教えています。彼らにはただ言葉を教えるだけではなく、実際に体験した日本の姿を授業の中で他の人たちにも伝えてほしいんです」

 

そういった青木先生の期待通り・・・帰国した彼らは授業のみならず、現地の新聞やラジオでも日本の視覚障害者対策やバリアフリーの現状を語ったり、勤務先の日系デパートの中に点字案内板や点字商品目録を設置するように提案したり、日本での研修で得たものをフィードバックしています。

 

訪日研修に参加した全盲の劉宝萍さん(22)は帰国後、一番印象的だった神戸の「しあわせの村」での体験を熱く家族に語りました。

 

美しい自然に囲まれた環境に作られたバリアフリーの障害者や高齢者の自立を支援する総合福祉ゾーン。大人も子供も、お年寄りも障害者も誰もが楽しく過ごせる場所。そんな施設を中国にも作りたい。劉さんの熱意が会社を経営する父親の心を動かし、なんと8400坪にも上る広大な土地を購入させたのです。
現在、青木先生と劉さんはその夢を支援してくれる仲間を探しています。あなたも一緒に中国に幸せの村を築いてみませんか?

 

◆青木陽子先生
1961年、さいたま市生まれ。予防接種後の高熱で6歳の時に失明。筑波大学付属盲学校、南山大学を経て、米国ニューヨーク州立大学バッファロー校修士課程とペンシルバニア大学の博士課程を修了。93年に天津外国語学院に入学、95年に天津市視覚障害者日本語訓練学校を設立。中国政府から教育文化に貢献した外国人に贈られる「中国友誼賞」(01年)を、日本では「毎日国際交流賞」(04年)を受賞している。
∴青木先生の日本での連絡先「アジア視覚障害者教育協会」
〒337-0033さいたま市見沼区御蔵1538-3
TEL 048-683-2588

 

 

 

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