私もJFSCメンバーです 麿 赤兒 氏(まろ あかじ) −1−

麿 赤兒 氏(まろ あかじ) -1-


麿赤兒氏の写真1
撮影:荒木経惟

「大駱駝艦(だいらくだかん)」は1972年の結成以来、日本を代表する舞踏カンパニーとして日本の舞踏界をリードしてきました。舞踏に興味のない方でも、白塗り、剃髪に象徴されるこのグループの写真を、どこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。

この大駱駝艦の主宰者であり、若手を育てつつ、現在も第一線で活躍を続けておられる麿赤兒さんにお話をうかがいました


麿赤兒氏の写真2

吉祥寺にあるスタジオ『壺中天』でお目にかかった麿さん。白塗りではない素顔。(あたりまえですね。いつも白塗りだとどうやって皮膚呼吸するんでしょう。)ブラックで統一したファッションにマルチカラーのマフラーがおしゃれです。タバコを持つ手の指先にも、神経が行き届いています。

麿さんの舞台を見たことがない人を代表して、素朴な質問から始めました。

「麿さんの舞台は『演劇と舞踏との融合』といわれているようですが、どういう意味でしょう?バレエみたいにストーリーがあるのでしょうか?」

「ストーリーと言うものはない。迷宮みたいなもんですな。どこからでも迷い込める。そして見る人に何かを体験してもらうものです。私の舞台は、儀式性や物語があるようでない。踊りでもなく、演劇でもなく、儀式でもない。つまりボーダーを取り払ったものです。」
と謎めいた答えをする麿さん。

ボーダーを取り払ったもの。実際に舞台を見たことのない者には想像もつきませんが、麿さんの青年時代をたどることにより、何か見えてくるかもしれません。

「大駱駝艦」誕生まで

麿赤兒氏の写真3
撮影:荒木経惟

麿さんは
「立っていること自体に物語がある。生きているということ、存在しているということがすでに表現である。」とおっしゃいます。
何気ない日常の一瞬を切り取ったジョージ・シーガルの彫刻、無音も音という武満徹の音楽に通じるものがあり、「静止も踊りである」というのが麿さんの持論。

彼は自分の踊りの原動力となっているものを「天賦典式」と呼んでいます。

「天賦典式、この世に生まれ入ったことこそ 大いなる才能とする」(麿 赤兒 語録より)

海外の観客を魅了

麿さんの舞台からは、人間のエネルギーや、命の根源のようなものが、時には力強く、時にはしみじみと伝わってきます。これは日本人だけでなく、海外の芸術家の心もとらえました。

はじめての海外公演は1982年。アメリカン・ダンスフェスティバルのプレジデントが来日して、大駱駝艦の公演に感動し、アメリカでのフェスティバルに参加するよう招いてくれました。毎月の定例公演を見に来ていたフランスの参事官は、アビニョン・フェスティバルへの参加を打診してきました。

このようなフェスティバルに日本から出かけることができた背景には、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の助成がありました。当時麿さんは39歳。日本を海外に持っていくんだという気概でこの公演に臨み、そのときの緊張感、高揚感は「まるで戦に行くぞというような気分」だったといいます。

彼の舞踏は海外の観客に鮮烈なインパクトを与え、以後海外での活動の場をますます広げています。




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