日本食紹介の新たな試み、「フィリピン全国弁当コンテスト」

フィリピン全国弁当コンテストの写真

いまや世界的に身近なものとなった日本料理。各地それぞれの嗜好に合った味付けや文化状況を反映したアレンジで、様々なバリエーションの日本食が試されている。ここフィリピンでも、“テンプラ”、“スシ”、“テリヤキ”は誰もが知っている日本語。巷には「TOKYO TOKYO」といった分かり易いものや、はては「太つた少年」などという怪しいネーミングの日本食ファースト・フード・チェーンから創作懐石料理を出す高級店まで、数え切れないほどの日本料理店があふれている。


最早“ブーム”と言うだけでは片付けられないジャパニーズフード。国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の機関誌『をちこち(遠近)』で、様々な角度から世界で愛される日本食を紹介・分析したのは2006年4月のことだった。日本政府もあらためてジャパン・ブランドとしての日本食の振興に取り組み始めている。そうしておそらく世界における今後の日本食は、洗練された味やオリジナルな味を追求することで発展する一方で、日本食を味わうユニークなスタイルやコンセプトといったものがますます多様化してゆくことだろう。

今回マニラ事務所では、日本食を紹介する新たなかたちのイベントとして「フィリピン全国弁当コンテスト」を実施した。当地でも日本のポピュラーカルチャーは絶大な人気があり、日本食もいわばそんなポピュラーカルチャーの代表選手。日本食を巡る様々な文化的要素の中でも大衆性に着目し、伝統的だけれど極めて日常的な文化である「弁当」に焦点を当て、多くの若い人たちを中心とした一般の方々にアピールするようなイベントを企画した。そして日本の誇る「駅弁」文化や、日本の今の現代感覚を生き生きと反映した「キャラ弁」を紹介するとともに、フィリピン人による独創的な弁当、各地のローカルな食材を使った弁当作りのコンテストを実施した。会場はマニラ首都圏のほぼ中央に位置して、日々大勢の買い物客を集めるシャングリラ・プラザ・モール。ハイエンドなお客さんが対象のちょっとお洒落なショッピングセンターで、2月23日と24日の2日間、関連のイベントとも合わせ推定でのべ1万人以上のお客様が来場した。

一説によれば弁当は、その起源を平安時代までさかのぼることができる立派な日本の伝統文化だ。冷たくてもおいしいご飯やおかずを用いて、携帯性に優れ、農作業や旅のお供として発達した。今回もまずはその携帯文化の粋とも言える日本の「駅弁」に焦点を当て、全国各地の3000を超えると推定される駅弁の中から、独創性とデザイン性に優れた50の駅弁を選び、パッケージや写真を展示して紹介をした。

駅弁展示風景の写真

駅弁展示風景

さらに日本から、“キャラ弁”やとてもキュートな“ファンシーお弁当”の作者で、毎日新作弁当を制作してWEBサイト(http://www.e-obento.com/)上に公開している宮澤真理さんを招待して、デモンストレーションを実施した。楽しく心のこもったお弁当作りに活用できるテクニックや、フィリピンで人気のある世界最小の猿“ターシャ”をモチーフとした新作キャラ弁を紹介。当地のクオリティー・ペーパーであるPhilippines Daily Inquirerでも大きく取り上げられて大反響だった。

メインイベントとなった「フィリピン全国弁当コンテスト」では、全国各地から寄せられた応募の中から予選審査を通過した8組の若きシェフたちが出場して腕を競った。ルソン島北部のビガン市、中部ビコール地方からはナーガ市やパナイ島のイロイロ市、南部ミンダナオ島からはカガヤン・デ・オロ市、そしてマニラ首都圏からは4組と、それぞれ各地を代表する大学や料理学校の学生が中心で、文字通りの全国大会となった。決戦大会となった当日はショッピングセンターの中央吹き抜けのスペースに特設舞台を設け、そこに『料理の鉄人』にならって公開キッチンを設営。1組各4人、1時間ずつ2回に分けて観衆の前で調理が行なわれた。

優勝したのはマニラにある大学の家政科に通うラレイン・リムさん。マンゴーなどフィリピンの新鮮な食材を使った寿司を中心に、日本の弁当のコンセプトをよく理解した携帯性に優れた作品だった。他にも各地の素材のバラエティが生かされたローカル色豊かなお弁当が並んだ。そして弁当箱もフィリピンらしくバナナや椰子の葉を使ったオリジナリティにあふれた作品だった。まさに“比魂和才”。日本の弁当という器にフィリピン各地の味と知恵を盛り付け、日比フュージョンの新しい弁当作品が誕生した。元来フィリピンはハロハロ文化、様々な文化の交じり合った“メスティーソ”文化の国。外国のものを吸収して消化する能力はなかなか優れたものを持っている。

今回の企画を通して、日本食はこれまでも、そしてこれからも、世界中で新たな解釈と試みに触発されて発展し、それぞれの土地のそれぞれの人々に愛され続けてゆくのだろうと確信した。

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