国際交流の仕事冥利 ~ 人を見つけ、人を結ぶ ~【1】

ウダイプールでの出会い
ある日、ニューデリーの事務所で仕事をしていると一本の電話がなった。ある日本の商社のニューデリー支店長からだった。基金と企業とのつながりは最近でこそ強化されつつあるが、こちらから企業にお願いすることはあっても企業側から何らかの話が入ってくることはそんなに多くはない。一体何だろうと思った。


多くの日本企業が海外における社会貢献の一環として、途上国の福祉や保健・衛生、文化・教育などの分野で様々な支援を行っている。この商社も例外ではなく毎年病院を建てたり、学校を造ったりするのに多額の寄付を行っている。話の内容は、今年是非インドに対しても支援の手を差し延べたいというものだった。しかも、これまで福祉事業の例は沢山あるが、インドは文化の宝庫であることから文化の分野で協力をしたい。ついては何か良い案件があれば教えて欲しいというものだった。

私の心は躍った。そんな話ならインドにはいくらでもある。特に文化の分野で協力してもらえるのであればこんな嬉しい話はない。是非お手伝いさせていただきますと言って電話を切った。

その2年ほど前、私はウダイプールのマハラジャからレセプションに招待され、こんな機会は二度とないだろうと思い、思い切って飛行機でウダイプールまで飛んだことがあった。このマハラジャ(ウダイプールでは正確にはマハラナと呼ばれる)は勿論私を個人的に知って招待した訳ではない。基金のニューデリー事務所長として招待したものだ。つまり役得である。

このマハラナは代々人民を保護し人民のために善政を行い、人々から厚い信頼と尊敬を受けていたことで有名だが、その伝統は今に受け継がれ、現在では財団を作って慈善事業を広範に行っている。今回のレセプションの目的も、国民の福祉のために貢献した個人を表彰するためのもので、カラム大統領も出席していた。また、ウダイプールの町自体が歴史的な遺産となっているが、財団はその町並みの保存事業も行っており、プロジェクトの第一段階が終了したので、それをお披露目するためのものでもあった。

私が氏に会ったのはそのレセプションの前日の夕食の時だった。日本人の癖で決められた時間通りに会場に行くと、そこはテーブルと椅子ばかり。一人ぽつんとしているとそこへ最初に現れたのがナヤク氏夫妻だった。未だ飲み物も食べ物も出て来ない中で町並み保存事業を巡って話がはずんだ。彼は簡単に言えば町並み保存や文化財保存のコンサルタントで、市当局などから委託を受けてインドの各地で様々な事業を指導している人だった。


私が電話をし、話をつないだのはこの人だった。ウダイプールで会って以来2年近くが経過し、あれ以来初めての連絡だった。案の定、彼からはアーメダバードで保存が必要となっている緊急な案件が3つも出てきた。ナヤク氏はその後、直接その商社にプロポーザルを提出し、目出度く本社の承認が下りた。正確な額は分からないが、恐らく1千万円位の事業だろう。私がやったと言える仕事はせいぜいこの時の電話一本だ。しかし、この一本の電話で資金を提供しようとする人と、資金を求める人がつながり、その結果重要な文化財が救われ町並みが保存される。私自身には町並み保存のデータもなければ専門知識もない。まして寄付できるこんな多額のお金の持ち合わせもない。しかし事業は実現するし両者からは大変喜んでもらえる。自分が自分の能力以上のことを達成したのだと思える瞬間である。

面白いのは、ウダイプールで会った時ナヤク氏が言った言葉で、彼は「自分はお金のことを心配したことはない、お金はいくらでも付いて来る。重要なのは熱意だ」と語っていたことである。勿論私は彼から頼まれて仲介をした訳でもなく、ちょっと不思議な気さえした。

クリヤッタムの演技の写真

見る者を圧倒するクリヤッタムの演技

クリヤッタムとの出会い
インドで二千年の歴史を持つというクリヤッタムの演技がインド工科大学で行われることになった。インド古典文化の花、サンスクリット文学は詩人・戯曲作家カーリダーサの活躍によって最盛期を迎えたのが4世紀から5世紀の頃である。クリヤッタムと言われる演劇は更にそれより古くからあったものだ。一体そんなに古い時代の演劇を、今の世に見ることができるということ自体大変な驚きであり、興味津々出かけていった。

果たして私は完全に圧倒されてしまった。クリシュナが産まれた時、この赤ん坊を殺すように言われた乳母が、一方で恐ろしい殺意を持ちながら、一方ではかわいくてとても殺すことなどできない愛情を抱き、心揺れ動くシーンだった。二つの感情の複雑な入り乱れと心の葛藤を、眼や顔の特殊な表現技法によって演技するもので、その緊張感は見ていて息をすることもできないほどだった。舞台には油に火を灯したランプが一つあるだけで、これが集中力を一層高めている。単純な太鼓による伴奏が付いているが、不思議なほど微妙に演技にマッチしていて驚くほどの効果を上げる。どんな複雑なマルチメディアにも引けを取らない力がある。私はこれこそ人類が求めるに値する芸術だと直感した。クリヤッタムは宗教的な儀式と結びついて発達しお寺の中だけで行われてきたもので、社会の移り変わりと共に次第に社会と隔絶し、新しい世代への継承がうまく行われず、最後の巨匠が高齢化して行く中で絶滅の危機に瀕していた。

それを救ったのがゴーパル・ヴェヌ氏だ。研究者として若い時からクリヤッタムに興味を持ったヴェヌ氏は、最後の巨匠に弟子入りして自らクリヤッタムを学び、学問的な記録保存を行う傍ら、巨匠にこの芸術の復活の重要性を説き、何度となく請願した結果、ついにこの門外不出の芸術を新しい世代に引き継ぐ許しを得たのだ。本来はカーストの異なる人々が習うことは許されなかった。

そしてそれからがまた苦労の連続だった。若い人を集め、お金を工面し、財産を投げ打って巨匠から新しい世代への演技の猛稽古が始まった。クリヤッタムの役者は自分の存在を神の存在に近づける絶ゆまぬ努力をしない限り、舞台の上で人を圧倒させるような超能力を発揮することはできない。役者たちは神にならなければならないのだ。しかしこうした努力が実を結び、カーリダーサの戯曲「シャクンタラー」がヴェヌ氏の手によってクリヤッタムで再現されるまでになった。また、幸いなことにクリヤッタムは2001年にユネスコの世界遺産(無形文化財)に登録された。(因みに国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、国際ワークショップの部分に助成金を出している)


この人類の遺産を復活させたヴェヌ氏の業績は一般にあまり知られていない。表に立つ巨匠の方に注目が集中するためだ。クリヤッタムも本来、日本の能や歌舞伎のようにもっと人々に評価されて然るべきものだ。そうしたことへの一種の歯がゆさがあり、また、クリヤッタムに対する敬意、ヴェヌ氏に対する感謝を何らかの形で示したいと思った私は、日本のある新聞社のアジア文化賞にヴェヌ氏を推薦し、同氏は首尾よく受賞の栄誉に浴した。

この時も私のしたことはほんの小さな作業に過ぎない。しかし同氏が日本の賞を受賞したことで、今後日本でももっともっとクリヤッタムが鑑賞され評価され、あるいは研究されるであろうと思うと限りない喜びである。

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