「アチェの子ども達と創る演劇ワークショップ」 ~きっかけから実現 そして未来へ~ (1)ワークショップ企画に至る経緯と実現への強い思い

「アチェの子ども達と創る演劇ワークショップ」~きっかけから実現 そして未来へ~

風の子劇団インドネシア・東ティモール公演の写真
風の子劇団インドネシア・東ティモール公演

このプロジェクト、「アチェの子ども達と創る演劇ワークショップ」の企画のきっかけは、ジャカルタ駐在の経験に遡ります。私は、2001年から2005年まで、JFのジャカルタ日本文化センターで働いていました。

私が駐在していた期間のインドネシアというのは、一方でスハルト政権が崩壊した後の、報道・表現の自由や民主かが進みながら、他方で、民族や宗教間の対立を背景とした地域紛争が深刻化し、また9.11米国同時多発テロの影響を受け、イスラム過激派によるテロが多発した時期でした。地域紛争についていえば、独立を求める武装派勢力と中央政府の抗争が泥沼化したアチェ、パプア。キリスト教徒とイスラム教徒との間での紛争が被害を生んだマルク州、中部スラウェシなど。

あるとき、2003年ごろだったでしょうか、インドネシアを代表する社会学者のひとり、イグナス・クレデン氏が私たちの事務所を訪れ、同氏が主導するマルク州での宗教間対話の話を聞く機会がありました。イグナス氏は、宗教指導者による政治対話を続けていて、これはある程度成功を収めているが、この間、暴力を間近で目撃した子ども、親や家族を殺された若い世代への精神的な影響力は計り知れない、考えるだけでも恐ろしいが、インドネシアではこの問題にまだ誰も取り組んでいない、と。

そのときはっと思い、確かに、いくら政治的努力で和平を達成しても、将来の平和を担う子どもや若い世代が、心の中に憎しみを抱えたままだと、暴力と憎悪の悪循環は断ち切れないだろうな、と思いました。また、インドネシアでは国軍の改革が課題になっていましたが、長期的に考えると、国軍だけではなくて、300の民族集団、200から400とも言われる数の言語を操る人々が暮らす多様性の象徴のようなインドネシアで、人々がいかに暴力に頼らずに利害の対立を調整していけるのだろうか、というのはとても大切なテーマなのではないかと。もちろん、これはインドネシアにとってだけではなく、世界にとって重要な課題かもしれませんが。

とにかく、その時の話がずっと私の心に残っていて、紛争下で暴力の恐怖にさらされた、あるいは、実際に暴力の被害に遭った子どもや若者がどうなっていくのか、という問題がずっと気になっていました。それで、イグナス氏が主宰するNGOCenter for East Indonesian Affairsのスタッフや、心理学者の友人と相談して、芸術や文化の力を使って、こうした子どもへのケアを行う事業ができないかと考えていましたが、結局その時にはいろいろな事情で実現できないまま。

また、ちょうど同じころ、JFが独立行政法人になったので、職員による新規企画募集(先駆的・創造的案件枠)がスタート。いつも新しい事業の企画を皆に吹聴して回るような、アイディアマンだった当時の所長や同僚と相談して、私は企画書をいくつか作って本部に送ったのですが、そのうち採用されたのが、「元紛争地における子供向け芸術事業」というもので、実際、これは、2005年3月にインドネシアの西ティモールと東ティモールでの劇団風の子の公演事業として実現しました。それまで、JFの公演事業は、ジャカルタやジョクジャカルタ等の大都市での実施がほどんどだったのですが、そうではなく、子供たちの情操教育に協力する形で、元紛争地域で日本の劇団公演を実施するというのが企画の趣旨。私自身は帰国日が迫っていたこともあり、事前調査にあたっただけで公演自体には立ち会えなかったのですが、実際、このプロジェクトは現地では大変な好評を博しました。

その後、私は2005年の春に帰国しました。それから数カ月が経った8月、前年末に未曽有の地震・津波により20万人以上の死者・行方不明者を出したインドネシアのアチェ州で、和平協定の締結が達成され、海外からの援助も殺到しました。日本でこのニュースを見ていて、復興が課題になってくるこのタイミングで何かやりたい、前々から考えていたような、紛争の被害者である子供の精神的なケア、しかも、紛争を生みだし継続させる憎悪の連鎖を断つための対話にもつながるような、教育的な効果もある、かつJFの独自性も打ち出せるようなプロジェクトを、と考えたわけです。

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