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文化芸術交流 Arts and Cultural Exchange

文化・芸術を通した世界への貢献

双方向型、共同作業型の交流事業

日本と海外のアーティストとスタッフが長い時間をかけて共に1つの舞台公演や展覧会を作り上げる場を創出し、共同制作の成果である作品を国内外で紹介しています。このような共同制作は、美術館や博物館の学芸員、舞台芸術公演のプレゼンターやプロデューサー等の様々な分野で文化芸術活動を支える担い手たちを招へい・派遣し、国際シンポジウムや対話事業を継続的に実施することで、専門家同士のネットワーク作りや関係深化を行った結果として生まれてきたものです。

「Media/Art Kitchen」マニラ展での梅田哲也《Almost Forgot》の展示風景の写真
Media/Art Kitchen」マニラ展での梅田哲也《Almost Forgot》の展示風景

「MAU: J-ASEAN Dance Collaboration

日・ASEAN友好協力40周年を記念する公演事業の1つとして、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、日本の計5ヵ国の舞踊家と演奏家が参加してコラボレーションする「MAU:J-ASEAN Dance Collaboration」プロジェクトを企画・制作しました。演出・舞台構成は、歴史ある日本舞踊<宗家藤間流>八世宗家・藤間勘十郎氏が手がけ、舞台セット、楽曲、幕間の演出や立廻り場面など随所に歌舞伎の演出技法を駆使した舞台です。ASEANの参加者は、出身国における伝統舞踊の経験を有する若手中心の舞踊家・演奏家で、もちろん歌舞伎演出による舞台の経験はありません。ワークショップ(2013年6月、東京)、舞台セットを組んでの本格的なリハーサル(2013年8月、埼玉)を経て、公演ツアー初演の地となるインドネシアで行なわれた直前のリハーサル(2013年11月、ジャカルタ)で最終的に舞台が完成しました。

公演は、ジャカルタを皮切りに、マニラ、クアラルンプール、シンガポールの4都市を巡回し、訪れた多くの観客を魅了しました。

MAUプロジェクトは、ASEAN各国の歴史・文化を背景とする伝統舞踊と日本の歌舞伎舞踊が1つの舞台にあがり、それぞれの特徴を活かしながらも、公演全体としてはまさに歌舞伎公演と言える、他に類を見ないアジア舞踊のコラボレーション作品となりました。

「MAU: J-ASEAN Dance Collaboration」公演の写真

Media/Art Kitchen」展

日・ASEAN友好協力40周年を記念する美術事業として、日本と東南アジアの若手キュレーターとアーティストの協働作業によるメディア・アートをテーマとした展覧会「Media/Art Kitchen - Reality Distortion Field」を、2013年9月から2014年2月にかけて、ジャカルタ(インドネシア国立美術館、KINEFORUM)、クアラルンプール(Black Box,Map KL、Art Row, Publika)、マニラ(アヤラ美術館、98BCOLLABoratory、Green Papaya Art Projects、Benilde School of Design and Arts)、バンコク(バンコク芸術文化センター)の4都市で順次開催しました。7ヵ国から13人のキュレーターが参加し、日本及び東南アジア各都市でのリサーチと、東京での2回の企画会議を経て、今日のメディア・アートの在り方とそ の可能性をテーマにプロジェクトを構想しました。

本展は、展覧会、ワークショップ、ラボラトリーの3つのプログラムを柱に、各開催都市の現地事情を反映した内容で構成され、日本と東南アジアから参加したアーティストは約70人・組を数えました。各会場で展示された多くのインタラクティブな作品、またアーティストによるワークショップやトーク、ライブパフォーマンス等を通して、来場者は身近なメディアやテクノロジーが生み出す多様な表現を驚きと発見をもって楽しみました。また、参加したキュレーターたちは、4都市で展覧会を作り上げるプロセスそのものを重視し、インターネットを介した様々なコミュニケーション手段を駆使して議論と調整を重ね、各地でのプロジェクトの進捗が日々更新される特設ウェブサイトを運用しました。本事業で培われた日本と東南アジアのキュレーターやアーティストたちの協働の経験とネットワークは、この地域の芸術交流の基盤を築くという意味で、極めて意義あるものとなりました。

世界共通の課題への取組み

国境や言葉を越えた共感を生むことができる文化・芸術の力を活かし、世界と共に手を携えて、災害からの復興、平和構築、環境問題等のテーマに向き合うことを目指し、事業を実施しています。

日中韓で作り上げる演劇「祝/言」

東日本大震災の傷跡も生々しい2012年、「3.11」とどう向き合ってゆくことができるかをテーマに、このプロジェクトはスタートしました。更に、東アジアで隣り合う国々である中国、韓国と共に、新しい文化芸術を共同制作することも第2の重要なテーマでした。これらの思いを青森県立美術館芸術総監督長谷川孝治氏を中心としたチームと共有し、その重いテーマに真正面から対峙し、新しい戯曲を書き上げることとなりました。

このプロジェクトには、被災した宮城、岩手、福島の演劇人・演奏家、そして、中国、韓国の演劇人・演奏家が参加しました。各地の調査及びプレイベントを経て、2年をかけた交流・共同制作の中でプロジェクトが形作られました。被災地からの参加者が震災の体験・記憶に真正面から取り組むこと、そして、中国・韓国からの参加者がこの難しいテーマの作品に関わることは、並大抵のことではない相当の勇気と覚悟、葛藤を伴う作業であったでしょう。しかし、それぞれが大きな葛藤を抱えつつ記憶・思いと向き合い、国を超えて体験を共有することで、強い共感や同胞意識、互いをリスペクトする精神が育まれ、説得力・訴求力に優れた作品が生まれました。

作品は、2013年から2014年にかけて3ヵ国の8都市(青森→仙台→大田→ソウル→全州→上海→東京→北京)で計25回公演を行い、4,500人を超える観客の深い共感を得ました。更に再演を強く望む現地の要望を受け、早くも2014年に北京で再演が決定しています。

演劇「祝/言」の写真

宮城−ニューオリンズ青少年ジャズ交流

2011年4月。東日本大震災の津波で楽器が流されてしまった気仙沼に、ジャズの故郷ニューオリンズから新しい楽器が届きました。2005年にハリケーン・カトリーナの被災者に義援金を送った日本のジャズファンへのプレゼント、まさに「ジャズの恩返し」です。遠く離れた宮城県とニューオリンズが、自然災害を機に思わぬ音楽の絆で結ばれ、互いの温かい思いやりへの感謝、そして復興への期待を共にしました。そしてここから、「宮城−ニューオリンズ青少年ジャズ交流」プロジェクトが生まれたのです。2012年秋にニューオリンズの若きジャズメンが宮城県石巻市、気仙沼市、仙台市を訪問。各地で同年代のジャズバンドと共演を行い、本場のジャズとエールを東北の被災地に届けました。

そして2013年夏。今度は宮城県気仙沼のジュニアジャズオーケストラ「ザ・スウィング・ドルフィンズ」のメンバーがジャズの聖地ニューオリンズを訪問しました。現地の中学や高校、ジャズの祭典「サッチモ祭」、ライブハウスでの公演及び交流会はどれも大盛況で、あふれる笑顔と質の高い演奏、そして心温まるメッセージに観客が沸きました。気仙沼の子供たちは地元テレビ局のモーニングショーでの生演奏後、すっかり有名人となり、通りすがりの人にハイタッチを求められるほどの人気ぶり。ニューオリンズ市議会議長からメンバー全員に感謝状が手渡される等、一躍ヒーロー、ヒロインとなりました。

宮城県でもニューオリンズでも、復興への道のりはまだ続いています。「新たなまちづくり」に取り掛かる時、社会の中心として力を発揮するのは若者です。ジャズを通じ、自らの夢や愛する故郷の未来を語り合いながら、交流が末永く続くことが期待されます。

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展

日本館は、田中功起氏による「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと−不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」展を開催しました(キュレーターは東京国立近代美術館美術課長の蔵屋美香氏)。

東日本大震災からの復興をテーマとした2012年のヴェネチア・ビエンナーレ建築展(伊東豊雄コミッショナー/金獅子賞受賞)の展示物を一部残した会場には、映像、写真、日常品、成果物が1つのインスタレーションとして配置されました。多数の人々が協働で作業(例えば、髪を切る、詩を作る等)を行なう様子をとらえた映像作品により、東日本大震災後の社会をどのように共同で作っていけるのかという問いが、見る人それぞれの中にゆっくりと浮かび上がる内容となりました。多くの来場者の共感を呼び、日本館は同美術展において初めて、「特別表彰」を受賞しました。

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の写真
撮影:木奥惠三