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第19回東京国際映画祭 アジアの風「マレーシア映画新潮」

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、第19回東京国際映画祭(2006年10月21日(土)〜29日(日)) アジアの風部門で行なわれる特集「マレーシア映画新潮」に共催します。

本特集は、新しい世代の台頭がめざましいマレーシア映画に焦点を当て、2005年の同映画祭最優秀アジア映画賞を受賞した『細い目』のヤスミン・アハマド監督の全4作をはじめ、ワールド・プレミアを含むニューウェイブ作品9本を一挙上映します。
監督も多数来日して上映後のティーチインを行なうほか、2回のシンポジウムにも登壇して、マレーシア映画の“いま”を熱く語ります。ご期待ください。

会期

2006年10月21日(土)〜29日(日)

会場

TOHOシネマズ六本木ヒルズアクセスマップ

作品

『ラブン』『細い目』『ガブラ』『マクシン』『Rain Dogs』『鳥屋』『愛は一切に勝つ』『グッバイ・ボーイズ』『私たちがまた恋に落ちる前に』
*作品の情報は東京国際映画祭の「アジアの風」Webページをご覧ください。

シンポジウム

(1)マレーシア映画新潮の全貌
10月24日(火) 16:20〜17:10
パネリスト:
ベルナール・チャウリー監督(『グッバイ・ボーイズ』)
クー・エンヨウ監督(『鳥屋』)
タン・チュイムイ監督(『愛は一切に勝つ』)
ピート・テオ(『ガブラ』音楽、『Rain Dogs』出演)、ほか
(2)ヤスミン・ワールド解読
10月26日(木) 16:00〜16:50
パネリスト:
ヤスミン・アハマド監督(『ラブン』『細い目』『ガブラ』『マクシン』)
ホー・ユーハン(『Rain Dogs』監督、『ラブン』『マクシン』出演)、ほか

※チケット、会場、作品、ゲスト等に関するお問合せは下記までお願いいたします。
東京国際映画祭事務局
Tel. 03-5777-8600(7:00〜23:00)



マレーシア映画新潮の概要について

クアラルンプール日本文化センター
久貝 京子


悲しいかな、東南アジア諸国の中でも、割と印象の薄いこのマレーシアが、近頃その映画に関しては世界で少し名が知られるようになってきた。ここ数年、インディペンデント系の作品を中心に、海外の国際映画祭で上映、さらには受賞する機会がぐんと増えてきたのである。今、世界では、マレーシア映画がにわかに注目を集めているのだ。
2006年の東京国際映画祭「アジアの風」部門では、ヤスミン・アハマッドの特集をはじめ、計9本のマレーシア映画が一挙に上映される。しかしこのように彼らの作品を纏めて映画館で観ることは、残念ながら今のところ、マレーシア国内ではまず不可能なことである。

マレーシアでは映画は娯楽の要の一つ。最近では国内各地にシネマコンプレックスも登場し、主にハリウッド映画、香港アクション映画、インド映画などが上映されている。もちろん、そのような映画館で商業公開されるマレーシア映画もあるが、それはマレーシア映画というよりはマレー映画と呼ぶべきものであり、主にマレー系のスタッフにより、マレー系のキャストを用いてマレーシア語にて作られるもので、ターゲットとする観客も主にマレー系である。ストーリーはたいてい、決まったパターンのコメディあるいはラブストーリー、また最近の流行は何故かギャングスターものである。もちろん、前述の「世界でにわかに注目を集めている」マレーシア映画とは、これらマレー映画と一線を画すインディペンデント映画であり、新しいマレーシア映画のことである。

この今の新しい動きを作り上げてきたのは、2000年に『Lips to Lips』を発表したアミール・ムハマッド(『ビッグ・ドリアン』、『The Last Communist』)をはじめ、ジェームス・リー(『美しい洗濯機』、『私たちがまた恋に落ちる前に』)、ホー・ユハン(『Sanctuary』、『Rain Dogs』)、バーナード・チョウリー(『ゴールと口紅』、『グッバイ・ボーイズ』)、ヤスミン・アハマッド(『細い目』、『Gubra』)、タン・チュイ・ムイ(『A Tree in Tanjong Malim』、『愛は一切に勝つ』)などの若手映画人たちである。彼らは自らの作品を監督するのみならず、時にプロデューサーとして、役者として、あるいはカメラマンとして、相互に協力し合ってきた。現在のこの大きな新しい波は、彼らが一緒に築き上げてきたものであると言えるだろう。

マレーシアでは公用語はマレーシア語とされているが、日常生活においては、中華系は主に中国語を話し、インド系はタミール語を使用する。また、ほぼ英語のみで生活している人々もいる。それぞれの民族が、それぞれ固有の文化を尊重し、その伝統を守り続けて生きている。他民族同士が混ざり合い一つになるのを目指すのではなく、個々の民族として共存しているのである。新しいマレーシア映画の中では、その個々の在り方や一つ一つの小さな社会までもが丁寧に描かれているので、これらの作品を観ると、「えっ、これがマレーシア?」と、その多様性に驚かされることであろう。主に中華系の社会を舞台に中国語で作品を作るホー・ユハンは、ある雑誌のインタビューでこう語った。「自分は中華系の人々や社会がどのようなものだか知っているから、彼らの映画を作るほうがいいんだ。少なくともその内容に関しては責任が取れるから。」

しかし、たとえ彼らの描く世界が現実にマレーシアに存在するものであったとしても、その描く対象や使用言語が異なるという理由などから、国からマレーシア映画として認めてもらえないというのは何とも皮肉である。1981年に国会制定法によってFINAS(マレーシアフィルム振興公社)が設立された際、その法令の中で、マレーシア映画はマレーシア語で作られたものでなければならない、と定められた。言わば、法令上ではマレーシア映画=マレー映画となってしまっている訳であり、それは暗にマレー以外の社会のみを描いた作品を排除していることになる。

故に、主に中国語で作られたジェームス・リーなどの作品は、スタッフ・キャスト全員マレーシア人、撮影も全てマレーシア国内で行われたにもかかわらず、上映許可が下りたとしても外国作品とみなされ、海外のアートフィルムを上映するインターナショナルスクリーンズというシネコン内部の劇場(全国で3ホールのみ)にて上映されることになる。
時にはそれさえも儘ならないこともあり、全国の商業映画館で上映されているようなストーリーも芸術性も決して良質とは言い難いマレー作品とは相反し、新しいマレーシア映画はなかなか上映の機会に恵まれないのである。また法令上の問題とは別としても、新しい動きを受け入れられない人々からの攻撃を受けることもしばしばである。
インディペンデント映画でありながらも全国劇場公開され、多くの観客を動員し、マレーシアのアカデミー賞とされるマレーシア映画祭で最優秀作品賞を受賞したヤスミン・アハマッドの『細い目』や『Gubra』は、後にイスラムの道徳的観点から「マレー文化を荒廃させる映画」とまで言われ、その輝かしい功績や人々の感動とは裏腹に嫌な後味を残すこととなってしまった。

以前バーナード・チョウリーは、私にこう話した。「確かに海外の映画祭に出品したり受賞したりするのは名誉なことだけれど、僕達はやはり、マレーシアの映画としてマレーシア国内の劇場で上映して、マレーシアの人々に観てもらいたいんだ。」そんな話しを聞いた後で観た『Gubra』の中で、隣国シンガポールから戻ってきたジェイソンの兄が放った言葉が胸に残る。「マレーシアを愛している。でもそれは、自分を愛し返してはくれない人を愛し続けるみたいだ。」
とはいえ、国内の状況も少しずつ好転してきてはいる。10月26日からはホー・ユハンの『Rain Dogs』がGSCインターナショナルスクリーンズで初公開される他、タン・チュイ・ムイ、ジェームス・リーの作品も追って上映される予定であるし、ヤスミン・アハマッドの『Mukshin』も来年早々には劇場公開の予定である。今回東京映画祭で特集を組まれるまでに発展・成長したマレーシア映画の新しい波が、これからもより高く、より大きなものとなって、国内外で正当に評価されていくよう、願ってやまない。


ジャパンファウンデーションは、東南アジア5か国の映画関係者10名と日本の映画研究者による国際シンポジウム「東南アジア映画の現在」を早稲田大学と共催しました。
このシンポジウムでマレーシアの映像作家バーナード・チョーリー氏が「マレーシア映画の現状」について語っています。こちらもあわせてご参照ください。

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