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地中海アラブ音楽シリーズ第1回 ナスィール・シャンマ・グループ 初来日公演
概要
公演詳細
〜イラクで育まれた深遠な癒しの音楽〜ナスィール・シャンマ・グループ 初来日公演
ナスィール・シャンマ


ウード、カヌーン、ナーイ、レック、
バイオリン、チェロ、コントラバス
日本ツアーのためのスペシャルユニット


戦争“終結”後も混乱を極めるイラクですが、そこはかつてメソポタミヤ文明揺籃の地であり、アラブ世界の文化的中心地でした。その爛熟した正統アラブ文化を受け継ぎ、イラクで育まれたナスィール・シャンマの深遠な癒しの音楽を紹介します。

活動紹介ファイルより詳しい情報はJFICライブラリー活動紹介ファイルにてご覧いただけます。

BlogJFサポーターズクラブでは、担当職員による当公演に寄せる思いを掲載しています。


主催 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
日程 11月28日(日) 長崎公演 メルカつきまちホール 開演19:00
11月30日(火) 広島公演 ゲバントホール 開演18:30
12月2日(木) 東京公演1 国際交流基金フォーラム 開演19:00
12月3日(金) 東京公演2 国際交流基金フォーラム 開演19:00
*12月3日は、公演前にセミナー(無料)が開催されます(16:00〜18:00)
来日メンバー NASEER SHAMMA (ナスィール・シャンマ) 団長、ウード
SABIR ABDEL-SATTAR (サビール・アブデルサッタール) カヌーン
SAEED KAMAL (サイード・カマール) バイオリン
AL-GHANDOOR HUSSEIN (アルガンドゥール・フサイン) バイオリン
AMR MUSTAFA (アムル・ムスタファ) レック
HANI AL-BADRI (ハーニー・アルバドリ) ナーイ
SALAH RAJAB (サラーハ・ラジャブ) コントラバス
IMADEL DEEN ABDEL-MONIM (イマデル・ディーン・アブドゥル・モニム) チェロ

ナスィール・シャンマ プロフィール

1963年イラクのバグダッドから南東160キロにある、アル・クートという町で生まれた。ナスィールが生まれた頃その町では共産主義が強い勢力を持っていたが、バース党による弾圧のただ中で不安な幼年期を過ごしたという。そうした環境が彼の幼少時に暗い影を落としていることは想像に難くない。しかし少年は14才でウードを始め、音楽との出会いがその後の彼の人生を決定付けた。めきめきと上達して4年後にはバグダッド音楽院で著名な演奏家に師事することとなった。その頃のことについて、

"私の夢はその当時、海よりも広く、深いものだった。その海の裏に何があるのか見たいと思っていた。"
(引用は全てナスィール自筆のプロフィール「音楽の七つの翼」より)

と自ら語っている。ところが、ちょうどその時イランとの戦争が始まった。その頃より彼は、おそらく単なるウード奏者の枠組みを超えて、音楽を深く理解し、自らの芸術と社会の相克との接点を見出す才能を育んでいったのだと思われる。

“残った一本の腕だけでウードを奏でてみて、しばらくやってみると曲になった。こうして作曲したのが、「東洋のある愛の物語」と名づけた一本の腕でウードを奏でる曲である。”

後に有名となった、戦争で片腕を失った友に捧げるワンハンド奏法による曲の誕生である。その後、フランスでの演奏が高く評価されたのを契機に、海外でも演奏するようになり、数々の賞にも輝いた。しかしそんな絶頂時に、彼はフセイン政権によって突然投獄される。

“この年(1989年)、私は突然自由を奪われ、獄舎につながれることになった。私はこの頃、それまでのいささかの成功の果実を収穫し始めていたばかりだったが、この悪夢のような出来事で私は突然にゼロに引き戻された。私はイラクに帰国を強制され、私の人生は根底からひっくり返されてしまった。170日間も獄中生活を強いられ、続いて社会教育を受けさせられている間に、イラクはクウェートに侵攻した。その後は、毎日毎日いろいろな出来事が起きながら、駆け足で去って行なった。イラクは破壊され、バグダードのラサーファ地区(北)とカラフ(南)を分けるティグリス川の美しい両岸は、完全に破壊され、何もない生活を強いられるようになったのだ。こういうときに私は、家や故郷そのものと同じだった母を失った。突然私は孤児になった。私が家を出る時、母はいつもこう言ってくれた。「お前が手にするものはみんな黄金にかわりますように。」これは、私がこれまでに聞いた言葉の中で、最も美しい言葉だ。”

その後彼はヨルダンに逃れ、さらには93年から98年にチュニジアのアラブ高等音楽院に教授として招へいされた。現在はエジプト政府の招へいでカイロにあるアラブ・ウード・ハウスの所長として後進の指導にあたりながら、多くの弟子に囲まれてさらなる夢を育んでいる。

“音楽との付き合いは、美しい道のりだったと同時にきわめて辛いものだったが、私はその途上で多くの新しい経験を獲得でき、また、それを乗り越えることにより我々をより大きく成長させてくれる悲しみをも知ることが出来た。今まで作曲してきた私の作品を今日振り返って、私は思っている。音楽の七つ音階が私に大きな力をさずけてくれ、力尽きることのない翼を与えてくれて、それらは、どこへ飛んで行なってもいつも私と共にある私のウードから出るものなのだと。”

Webサイト
http://www.naseershamma.com/

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