この原稿を執筆している2010年5月末現在、後期の業務をほぼ終え、カイロ大学での勤務もあと1か月強。もうすでに「送別会」のことばがちらほら耳に入ってくる時期になってしまった。思えば二年前、様々な「噂話」を耳に日本を発ち、カイロに来てからはいくつもの予想外の事態を乗り切り何とかここまでやってきた。
そんなカイロ大学派遣の国際交流基金日本語専門家(以下、専門家)のミッションは主に2つに集約できる。1つは、現地教員と協力し、主に1、2年生に対する初級・初中級の日本語教育を管理し、維持することである。もう1つは、これまで専門家が担当してきた様々な教務を現地の教員に引き継ぐことである。
![]() 長い歴史を感じさせる日本語日本文学科の看板 |
これまでカイロ大学において初級・初中級レベルの日本語教育は、専門家と現地教員とで協力して行われてきた。とはいえ、授業計画立案、小テスト作成、宿題のチェックなどの教室外の主要な教務の大部分が専門家の負うところとなっており、これらの業務に積極的に関われる現地教員が不在の状態であった。そこで現地教員と協力し、授業外の教務が分担できるような体制や分業のルールを整備し、その体制が定着するように支援していかなければならなかった。実際、現地職員に増えた慣れない業務を確実に消化してもらえるようになるまでにやはり時間がかかった。しかし、今年度末までに授業進度計画の一部、宿題のチェック、教材作成などを現地教員に分担してもらい、初級・初中級の日本語教育活動を運営することができた。これは今までのカイロ大学とは大きく違うところであると考えている。
一方で、日本的な職業倫理観を、現地教員に強制させるようなことはなるべく避けるようにした。これは、来年度から専門家の派遣に幕が閉じられることが決まっており、現地教員が教職上で重要であると認識しないことは来年度も決して定着しないと考えたからである。専門家派遣の終了を目前に、日本人である専門家の支援によって何が実現可能で、何が実現不可能か、そして、それが来年度以降も継続可能なものかどうか、取捨選択しながらミッションを達成していかなければならなかったのが、カイロ大学で最も苦労したことである。
![]() 歴代専門家と現地教員が作成した 教材等をまとめたファイル |
また、長い歴史を持つカイロ大学はエジプト国内外の日本の諸機関と深いつながりを持っている。授業運営に直接かかわる上記のような教務以外にも、エジプト国内の様々な日本の諸機関との連絡役や、日本の交換留学協定大学とのやり取りも現地教員に引き継がなければならなかった。引き継ぎがほぼ終わった今となっては、専門家がこれらの業務に直接関わることもなくなったが、エジプト国内外の日本の諸機関との良好な関係は今も継続している。
このようにカイロ大学における専門家の今年度の方針は他の専門家とやや趣を異にするものであると言えるかもしれない。誤解を恐れずに言えば、基本的な業務は確実にこなしながらも、「仕事をしすぎない」ことが今年度の専門家にとって重要であった。私が関わった初級・初中級の日本語教育に関わる業務において、思いついたときに、自分がすればすぐに片付くのではないかと思う仕事も多く、自分でやってしまおうかと思うことも幾度となくあった。ただ、現地教員にお願いすれば皆嫌な顔一つせず、快く引き受けてくれた。決してできないわけではない。今まで授業以外の教務に関わるきっかけがなく、ただやったことがないだけなのだろうと感じた。35年以上の歴史を持つカイロ大学。ともすると中東における確固たる地位を確立し安定した日本語教育・日本研究機関と見られがちであるが、まだまだ発展、向上ののりしろを残していると言える。そして、その発展、向上の成否は、多くの優秀な人材を抱えるカイロ大学において、現地教員自身の努力、そして彼ら相互の協力に委ねられていると言っても過言ではないだろう。

