![]() 2008年度弁論大会の参加者 |
テヘラン大学はイランにおける唯一の公的日本語教育機関であり、唯一の日本語専攻課程を持っている。ここで学ぶ学生は概してまじめで、よく勉強する。また日本人を見つけると積極的に話しかけ、友達になりたがる。イランの日本語専攻の学生に初めて会った日本人はよく「日本語を勉強し始めた動機は何?」という質問をする。だが多くの学生はこの質問に困ってしまうようだ。なぜなら半分以上の学生は日本語を勉強しようと大学に入学したわけではないのだから。
イランの受験制度は、全国共通の入学試験を行ない、その成績と高校での成績、受験時に出された本人の希望に基づいて学生が各大学に割り振られるという制度を採っている。受験生は一番から百番くらいまでの希望を書き、合格通知に書かれている専攻を四年間学ぶことになる。日本語を第一希望で入ってくる学生は一学年に一人か二人で、それ以外の学生は「ほかの学部に入りたかったのに」と思うものが多く、中には「日本語なんて書いたっけなあ。」とか、「日本語学科への合格が決まったとき、難しそうで怖くて泣いてしまった。」などという学生もいる。もっとも昔はクラスの全員が訳も分からず入学し、勉強を始めたという時代もあったそうだ。そんな人たちが今は教師となって活躍しているのだから世の中というものはわからない。
学習の最初の時点で学生が日本語に対して興味を持っていないのは彼らの責任ではない。しかし、入学を決めたからには勉強をするのが学生の義務で、そのような学生に一定レベルの日本語能力をつけさせるのが教師である私たちの仕事であるし、教師の腕の見せどころだとも思う。
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私は赴任以来、日本語能力試験2級合格レベルを目標としてきた。それはある程度高い能力をつけてほしいということもあるが、学生と触れ合う中で、彼等が具体的な目標を持つことが何よりも大切だと思ったからである。イランでは日本の文化に触れる機会も、日本に行くチャンスも多くの学生にはない。特に男子学生は兵役を終えるまでは外国に出ることが制度的に制限されているため、実質的に留学生の候補になれない。また卒業した後日本に関係する職業につくことのできる学生も極めて限られている。習熟度の低い学生の中には学習の目標を見失って卒業も危うくなる者もあらわれる。一方で習熟度の高い学生は定期試験でいい成績をとり、クラスの中で成績上位であることだけでよしとして、さらに高いレベルを目指そうという気持ちを失ってしまう。具体的で、そしてイラン以外でも通用する目標を、学習者の目の前に提示することの重要さを、いま私は強く感じている。
イランの滞在も三年目となり、四度目の夏を迎えた。テヘランの北にそびえる山にまばらに残る名残雪がすべて消えるころに私はこの国を去る。この三年間、私は自分なりに目標を持ち、やりがいのある仕事をさせてもらったと感じている。学部生の指導にかなりの裁量を持たせてもらったし、昨年9月に日本語教育専攻の修士課程も設置され、教師養成の一つの目途をつけることもできた。昨年の夏には西部のケルマンシャー市にあるラーズィー大学で集中講義を行ない、地方都市で初めての日本語講座を開くことができた。
外国語文学部に隣接する世界研究所には、近い将来、修士課程の日本研究コースができるとのことで、日本語専攻の学生がさらに日本研究の世界に進む可能性が広がりつつある。
受け入れ機関をはじめ、派遣元の国際交流基金、滞在中いろいろ助けてくれた同僚や学生に感謝の言葉を述べたい。そして近い将来、この学生たちにより多くのチャンスが与えられるような世の中がこの国にやってくることを心から願っている。

