ホーム > 日本語教育 > 調査研究・情報提供 > 論文集・報告 > 日本語教育論集 世界の日本語教育 > 第13号 > 要旨

日本語教育> 調査研究・情報提供

日本語教育論集 世界の日本語教育 第13号 要旨

地域の多文化間対話活動における参加者のカテゴリ−化実践
−エスノメソトロジーの視点から−

(PDF/586KB)
杉原 由美(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)

世界的規模で人的移動が起こる中、日本でも外国籍住民が急増し、その日本語支援に地域住民が関わる地域日本語活動が盛んに行なわれるようになった。この領域では現在、多文化共生の観点から、日本籍住民と外国籍住民が対等な立場で参加し対話を通じて問題意識を共有していくという活動が提起され模索されている。本稿では、このような活動を「多文化間対話活動」と呼び、その相互行為に焦点を当てた実証的研究を報告する。
研究の目的は、参加者が「○○人、××人」といった一面的な関係性に固定されるのではなく、多様なアイデンティティで関わる相互行為を実現する方策を探ることである。エスノメソドロジーの会話分析の方法により、相互行為の中でどのようなカテゴリーが現れ、各カテゴリーは何をきっかけに形成され維持されるのかを分析した。
分析と考察の結果、本研究対象においては次の3点が明らかになった。(1)相互行為の中では、大別すると「日本人/外国人」カテゴリー対と『家族』 『性別』カテゴリー集合の2種類が支配的に現れていた。「○○人」カテゴリーは「日本人/外国人」という二項対立的なカテゴリー対の下位分類として現れていた。(2)これらのカテゴリー化は質問をきっかけに起こり、質問と返答という相互行為の中で相互達成的に形成されていく。そして「国籍カテゴリー有標質問」が「日本人/外国人」カテゴリー対を形成し維持する一因となり、逆に「カテゴリー無標質問」は多様なカテゴリーの出現につながっていた。(3)「日本語の説明」によってカテゴリーが表面化する。そして「日本語= 日本人が所有している」という前提での「日本語の説明」が「日本人/ 外国人」カテゴリー対を表面化させ維持する一因となり、逆にこの前提にとらわれない「日本語の説明」は多様な関係性につながっていた。
以上の結果から、多文化間対話活動において多様な関係性での相互行為を実現するための具体的な示唆を得た。

目次へ

ひらがな導入時の連想法が及ぼす短期・長期的学習効果
(PDF/英文/336KB)
松永 幸子(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校準教授)

ひらがなを第二言語、又は外国語の文字として導入する際、よく使用される導入方法の一つに連想法がある。しかしながら、その連想法が及ぼす学習効果の研究数はまだ乏しく、現在カッケンブッシュ・中条・長友・多和田の研究 (1989) に限られる。 カッケンブッシュ等の研究は、日本で日本語を学ぶ非漢字圏、非英語圏からの留学生を対象に、連想法の長期的効果のみが認められたと報告しているが、結果解釈に疑問点が残ることから新たな研究による確認を必要とする。又、漢字圏や英語圏からの日本語学習者を対象にした場合の効果の有無等、残された研究課題も少なくない。特に漢字圏(非ローマ字圏)、英語圏(ローマ字圏)の二グループの比較は、母語からの文字認知のストラテジーの転移 (Chikamatsu, 1996; Koda, 1989; Mori, 1998) の面から見ても興味深い。
従って、本研究ではアメリカで日本語を学ぶ初級学習者を、ローマ字以外の文字を母語として既習したグループ(非ローマ字グループ)とそうでないグループ(ローマ字グループ)に分け、次の二つの仮説を立てた。
仮説1: 両グループ共に、連想法の短期的学習効果は見られない。
仮説2: ローマ字グループのみに、連想法の長期的学習効果が見られる。
本研究では、この二つの仮説を考査するにあたり、下記の四つのひらがな教授法を用い、各々の短期、及び長期的学習効果を調べた。
教授法1: 絵と音(英語のキーワード)の連合された連想法
教授法2: 絵だけの連想法
教授法3: 音だけの連想法
教授法4: フラッシュカード
結果は次の通りである。
結果1: 仮説1、 2共に半分しか肯定されなかった。則ち、ローマ字グループに短期的効果が現れ、長期的効果は両グループ共に認められなかった。
結果2: ローマ字グループに、 「さ行」と 「た行」において強い短期的効果と弱い長期的効果が見られた。
本稿では、まず結果1をカッケンブッシュ等の研究と比較し、母語からの文字認知のストラテジーの転移を観点とし、考察する。次に結果2に現れた「さ行」と「た行」における教授法1の影響を他の三つの教授法の影響と個別比較することにより、絵と音の連合性がもたらす効果を検討し、より効果的な連想法へと導く今後の研究課題を提起する。

目次へ

教科書の中の話し言葉−性差を示唆する終助詞の使用をめぐって−
(PDF/英文/241KB)
川崎 享子
( メルボルン大学言語学応用言語学科博士課程、カースティ・マックドゥガルケンブリッジ大学言語学科)

男女の言葉遣いの差を表すものの最も顕著なものとして終助詞があげられる。最近では、これまで女性専用とされてきた「のよ」「わよ」等の表現が使われなくなってきており、特に若い女性の間では従来「男ことば」とされてきた表現の使用も見られることを指摘する研究も多いが、教科書の会話では登場人物の年齢に関わりなく女性の発話にはいわゆる「女ことば」が多用されている。本論文は話し手の性を示唆する終助詞の使い方に焦点をあて、中級の教科書の会話と実際の会話データを比べて、教科書中の会話がどの程度実際の言語使用を反映しているか論じる。教科書中の女性話者は実際のデータのどの年齢層よりも女性的終助詞の使用が多く、伝統的な女性のステレオタイプを映し出しているように思える。実際の会話のデータでは年齢が低いほど終助詞の使用も低く、一番若い年齢層の終助詞使用は、教科書中の男性話者のそれとほぼ一致する。また、教科書中の男性話者の終助詞使用は、人物によって、また教科書によって差が見られるのに対して、女性話者はどの教科書でも使える環境では必ず「女ことば」を使うという傾向が見られる。この教科書の会話と実際の言語使用の差は、学習者の学習意欲、文化理解、または母語話者とのコミュニケーションに何らかの影響を与えるものと思われる。

目次へ

日本語母語話者の体験談の語りについて
−談話に現れる事実的な「タラ」「ソシタラ」の機能と使用動機−

(PDF/682KB)
加藤 陽子(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)

本研究は、過去に発話者自身が体験した出来事について語った談話(体験談の語り)の特徴を明らかにしようとしたものである。テレビ番組から採録した、日本語母語話者による体験談のデータ分析を行ない、そこに現れる接続辞・接続詞(具体的には、述語のテ形・末尾にデのついた接続詞に次ぐ頻度を持つ「タラ」「ソシタラ」)を対象に、その機能と、使用動機について考察し た。そうした考察を通じて、情報とそれが言語化されたものとの関係を探ろうとした。
まず、「タラ」「ソシタラ」の統語的・意味的性質を確認し、次に、先行研究を元にこれらを四つの用法(発見・発現・反応・連続)に分類した。そして、これらの前後件の述語のアスペクトに反映されている情報構造(前景/ 後景情報)に着目して考察を行なった。
発見用法については、前件動作との関連性を表示しつつ、後件の認識主体の視点を通して背景を更新するのが使用動機であると述べた。発現用法については、注目動作が始動することを劇的に描写する機能があり、この用法の使用が、発話者の談話構成の意識を反映していることを指摘した。また、反応用法の機能は、主語転換を伴う継起的動作を叙述することで、最も頻繁にそれが使われる場面として会話部分の描写が挙げられると指摘した。また、連続用法については、完結性のある動作をつなぎ前景情報を作る述語のテ形と比較し、「意外性」という「評価」を示しつつ出来事を叙述するという機能が、テ形にない独自なものであることを述べた。 また、この意外性という心的態度の表示機能は、これら4用法全てが持つものであり、後件述語のコントロール不可能性という「タラ」「ソシタラ」の統語的・意味的性質に基づくものであることを述べた。
最後に、この「命題の叙述と評価を同時に行なう」という性質こそが、事の顛末まで全てを知る話者が、体験談の語りの中でこれらを使う最大の使用動機であると主張した。

目次へ

第2言語および外国語としての日本語学習者における動機づけの比較
−韓国人日本語学習者を対象として−
(PDF/533KB)
李 受香(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程)

習得に長い年月を要する外国語学習にとって、動機づけはきわめて重要な要因であるため従来から盛んに研究が行なわれている。しかしながら、学習環境の異なる、外国語としての日本語(JFL:Japanese as Foreign Language) や第2言語としての日本語 (JSL:Japanese as Second Language) を学習する学習者の動機づけの比較や動機づけと学習達成度(学習効果)の関係、または、動機づけによって学習態度がどのように異なるのかといった、動機づけに関する諸要因との関連を扱っている研究は少ない。
本稿は、JSL環境の日本における韓国人の学習者139名とJFL環境の韓国における韓国人の日本語学習者164名を対象に、日本語学習の動機づけと、動機づけを高める要因(学習へのとり組み方、日本語能力の自己評定)や経験要因(滞在期間・滞在経験・訪日経験)との関連性を検討したものである。
分析の結果、JFLの学習者はJSLの学習者より動機づけが高いことが明らかになった。しかしながら、動機づけを高める要因の一つである、日本語能力の自己評定はJSL学習者の方が高かった。また、経験要因はこの自己評定に影響を与えることで、間接的に動機づけを高めることが示唆された。このことにより、JFLの学習者が動機づけは高いのに動機づけが持続しない理由が明らかになった。その理由の一つは、JFLの学習者はJSLの学習者に比べて、自己効力感を感じにくいということである。したがって、本研究で明らかになったJFLの学習者の高い動機づけを持続させるためには、JSLの学習者のように、学習者が自己効力感を感じやすいような環境作りが必要であると考えられる。

目次へ

乗算的バイリンガリズムと支援教室
−社会における言語間の権力関係の観点から−

(PDF/903KB)
原 みずほ(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)

多言語環境に育つ児童生徒対象の日本語教育が成人対象の場合と大きく異なる点は、対象者が第1言語 (L1) においても認知的能力においても未だ発達過程にあることを考慮して行なわなければならない点である。彼らにとって言語は単なるコミュニケーション上の役割にとどまらず、認知的な発達を促す上でも重要な役割を担うものである。従って第2言語 (L2) の日本語の習得だけではなく、L1も共に保持伸長を図る乗算的バイリンガリズムの視点に立つ必要がある。Landry & Allard (1992) によると、特にL1の社会的地位が低く社会の主要言語との格差が大きい場合には、自らのL1が社会的に劣勢であることを感じ取り、やがてL1を捨て、社会的に優勢な言語 (L2) のモノリンガルになってしまうといわれている。さらに、L1の社会的地位が低い場合には、学校においてその価値を積極的に認められるような環境をつくることが乗算的バイリンガリズムの成功を握る重要な要因の一つであると指摘している。しかし実際には、学校の教室では社会の再生産が行なわれる傾向があり (Wilcox, 1982)、参加者のやり取りには社会における言語間の権力関係が如実に反映されメッセージとして伝えられていることが指摘されている (Martin-Jones, 1995)。本稿では、乗算的バイリンガリズムの理念に基づき運営する地域の学習支援教室を対象とし、乗算的バイリンガリズムの実現の可能性を探るため、参加者のやりとりに反映される言語間の権威差とメッセージを明らかにすることを試みた。考察の結果、支援教室では二言語が同等に用いられており、「社会(外)が学校(教室)を規定する」という関係は完全なものではなく、外とは違う「新たな関係性」を教室で創ることが可能であることが明らかになった。日本における乗算的バイリンガリズム実現のための一つの可能性として提案したい。

目次へ

あいづちのスピーチレベルとそのシフトについて
−日本語母語話者と韓国人学習者の相違−

(PDF/551KB)
内藤 真理子(日本マレーシア高等教育大学連合日本語専任講師)

日本語母語話者同士の会話では、友人と友人のように固定された人間関係であっても、スピーチレベルは一定になっていないことが先行研究で報告されている。しかし、先行研究で扱っているものは話し手のレベルシフトがほとんどで、聞き手の行なうあいづちに関するものはわずかであり、さらに日本語学習者を対象としたのは管見の限りではなかった。
本稿では、日本語母語話者と、韓国で学習する韓国人上級日本語学習者を対象にして、あいづちのスピーチレベルはどうなっているのか、またレベルシフトがどのように起こるのかについて会話の録音資料をもとに考察した。
分析の結果、あいづちのスピーチレベルについては、日本語母語話者ではほぼ一定してカジュアルスタイルであったのに対し、韓国人学習者は一定していないことが分かった。また、レベルシフトについては、日本語母語話者の場合、わずかではあるがレベルシフトが起こる部分が見られた。この部分について詳しく観察した結果、会話開始部と、何らかの談話の単位の終結部にレベルシフトが起こることが分かった。韓国人学習者についてはレベルシフトは多く見られたが、そこに顕著な傾向を見出すことはできなかった。

目次へ

着脱動詞の対照研究
−日本語・中国語・英語・スウェーデン語・マラーティー語の比較−

(PDF/472KB)
當野 能之(神戸大学大学院文化学研究科)、呂 仁梅(神戸大学大学院文化学研究科)

本稿は日本語教育においても問題となる、着脱の動詞に関する類型論的対照研究である。本稿では日本語・中国語・英語・スウェーデン語・マラーティー語を対象とし、以下の2つの問題を取り上げる。

  • (1)
  • 日本語・中国語では衣類により異なった動詞が用いられるのに対し、マラーティー語・英語・スウェーデン語ではすべての衣類に関して同じ動詞が用いられる。
  • (2)
  • 日本語・マラーティー語では動詞のみが用いられるのに対し、中国語・英語・スウェーデン語では、動詞以外の要素(小辞 (particle) あるいはそれに相当するもの)が付随する。

以上のような、言語間にみられる相違点と共通点は、単なる偶然の一致ではなく、次の表に纏められているように、体系的なものであるということがわかった。

  動詞枠付け言語 衛星枠付け言語
一次的・二次的
衣類の区別あり
日本語
(着点による語彙化)
中国語
一次的・二次的
衣類の区別なし
マラーティー語 英語
スウェーデン語
  • (A)
  • 日本語と中国語では、衣類を我々の生活にとって必要な「一次的衣類」と、「二次的衣類」とに分け、それぞれにおいて動詞の使い分けをする。日本語ではこのような区別に加えて、一次的な衣類に使われる動詞において、衣服をどの「身体部分」に着けるかで更なる区別を行なっている。一方、英語・スウェーデン語・マラーティー語ではそのような区別に無関心である。
  • (B)
  • 移動の表現において提案されている「動詞枠付け言語」と「衛星枠付け言語」という言語類型的区別が、着脱の表現においても反映し、動詞枠付け言語である日本語とマラーティー語は動詞のみを使用する(例えば「着る」)。一方、衛星枠付け言語である英語・スウェーデン語・中国語では動詞以外の要素が必要となる(例えば put on)。

 

目次へ

「〜テアゲル」の対人的な機能についての一考察
(PDF/571KB)
山本 裕子(名古屋女子大学非常勤講師)

本稿は授受補助動詞のうち、行為に伴う恩恵の授与を表すとされている「〜テアゲル」の談話における対人的な機能について論じたものである。
本稿では「〜テアゲル」 は恩恵の授与を表す「+ 恩恵性」 の「〜テアゲル」 と、恩恵の授与を表すわけではない「-恩恵性」 の「〜テアゲル」 とに区別する。また、「〜テアゲル」 には、 a)行為者(A) のほうが恩恵の受け手 (B) よりも相対的に上位に位置する b) a により、「〜テアゲル」 が用いられる人間関係には制約があるという、二つの語用論的な性質があり、これらのどちらに焦点があるかによって異なった機能を持つと考える。
「+恩恵性」 の「〜テアゲル」 は(1)「A(行為者)がB(行為の受け手)より上位にあるという話し手の認識を示すもの」 と(2)「A が B を親しい関係にあるという話し手の認識を示すもの」 に区別できる。これらはプラスに作用すると、聞き手に対して、(1)は頼もしさ、安心感、(2)は親近感といった語用論的効果をもつ。しかし、「恩着せがましい」等マイナスに作用することもあり、話し手と聞き手の関係性によって「〜テアゲル」の運用は左右される。またこれらは話し手と聞き手の関係性を調節するような役割を果たしている。
「-恩恵性」の「〜テアゲル」は(3)「話し手が専門的な立場で関わっていることを示すもの」と、(4)「話し手の思い入れを示すもの」に区別できる。これらは話し手が事態に関わる立場をどう認識しているかを示すものとなっている。
「〜テアゲル」は他の授受補助動詞と同様、恩恵性を利用して聞き手に対する関係性の調節をするような機能(+恩恵性の場合)と恩恵性の表示ではなく、状況における話し手の立場についての認識を示すような機能(-恩恵性の場合)に区別できる。またこのような言語運用を通して、話し手と聞き手は互いの関係性の認識を確認し合い、共有の基盤を形成していると考えられる。

目次へ

逆接を表す「ところで」の意味記述
(PDF/415KB)
加藤 理恵(鹿児島純心女子大学講師)

本稿は、逆接を表す「ところで」の意味について考察をし、「ところで」は話者が因果関係と比較した結果、「ところで」に先行する事態が最終段階にまで発展しても必ずしも予測された関係になるわけではないことを表すことを述べた。
その「ところで」の意味については、「ところで」の従属節中の表現に注目し、「ても」と比較することによって検証した。その結果、「ても」には「も」の「並列・累加」が、「ところで」には直前の動詞の示す「事態の段階」が反映されており、「ても」と「ところで」が置き換え可能なのは、次の場合に限られるという違いも明らかになった。それは、「ても」が「ところで」の直前の動詞が表す一つの事態内での開始・終了といった段階を並列・累加する場合である。そして明らかに別の事態を並列・累加しているような場合には、「ところで」と置き換えはできないのである。
さらに「ところで」の従属節中に不定語が現れやすいこと、複数句が表せないこと、主節に否定表現が現れやすいこと、文末に意志や希望の表現が来にくいというこれまで先行研究で記述されていた構文的特徴と本稿での「ところで」の意味の関係を考察し、それらを関連づけた。

目次へ


このページの先頭へもどる