国内上映事業 アラブ映画祭2006 シンポジウム アラブ編 イントロダクション・製作の背景

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アラブ映画祭2006 シンポジウム 採録

ロードムービーとシネポエム
開催:2006年3月5日 日曜日 会場:国際交流基金フォーラム

アラブ映画シンポジウム風景

  • 司会:
  • 石坂健治(国際交流基金)
  • 通訳:
  • ナジーブ・エルカシュ

イントロダクション・製作の背景 / 時空間を移ろう / ヨーロッパと日本 / 質疑応答

イントロダクション

司会: 2005年は、シリア、チュニジア、エジプトの3人の映画監督でシンポジウムを行ない、エジプトは映画大国、シリアとチュニジアは「作家の映画」といいますか、アート系の映画を小さな映画産業の中で年1~2本、作っています。

そういったことから、エジプト的な映画作りとそれ以外の中東アラブ的な映画作り、というのがテーマになりました。今回のゲストは、シリアから『天井の下で』のニダル・アル=ディブス監督、パレスチナ映画『Waiting』のラシード・マシュハラーウィ監督、そして『長い旅』のプロデューサー、モロッコのラシード・ビーウィさんです。

まず、それぞれの映画製作の背景を伺っていきたいと思います。
製作の背景
アル=ディブス: 『天井の下で』は私の長編デビュー作ですが、シリアでは映画を年に2本しか作らないので、この映画を作るのは大変なことでした。シナリオを書く段階も含めて3年かかりましたが、映画のテーマは“私の世代について”――私を含めた友人たちの世代と、その考え方についてです。

私たちは非常に革命的な世代で、大きな希望や夢を持って6年間ソ連に留学して自分の国に帰ったら、希望の代わりに絶望を目の当たりにしました。世界が大きな出来事の波に巻き込まれ、希望がショックと絶望へと変わってしまった、そのような世代の精神的状況についての話です。私の留学は1988年から95年で、行った時はソ連で、帰る時はロシアになっていました。15歳の時からずっと映画を勉強したかったのですが当時はそういった機会がなく、ダマスカス大学では建築学部を卒業し、その後ソ連に行く機会に恵まれたのです
司会: 続いてマシュハラーウィさん。
マシュハラーウィ: Waiting』という映画は、この作品だけについて話すことができません。私たちパレスチナの映画監督は、物語や出来事を探す必要はなく、出来事や問題が私たちのところにやって来ます。つまり第一次と第二次のインティファーダ(イスラエル占領に対する抵抗活動。1987年と2000年)と、その間の時期、そして今、和平交渉の時期。パレスチナの映画は、占領状況がもう50年以上続いていますから、例えば「検問所」「入植地」など、どうしてもテーマは繰り返しになってしまいます。

マシュハラーウィ氏Waiting』の製作に至った時期についてお話します。「待つ」ことはアラブ文化の習慣といいますか、一種独特の意味合いがあると思います。例えば、アル=ディブス監督も15歳のときから映画を勉強したかったけれども、結局15年以上「待って」から勉強することができましたね。「待つ」という状況は、私たちの苦しみです。

個人的な話をしますと、この映画は難民の話をしていますが、私も難民の息子です。私の両親はパレスチナのジャッファ、英語でヤッフォという町に住んでいましたが、1948年にイスラエルに追い出されました。その時は3週間くらいですぐに戻れると思っていたのですが、結局55年以上戻れず「待って」いました。父も母も亡くなり、今は私だけが残っています。私はジャッファの人間で、ガザ地区に住んでいた難民ですが、さらに辛いことがありました。イスラエルがガザを占領しているため、私は2002年から05年まで、難民キャンプにすら戻ることができなくなりました。生まれ故郷だけでなく、難民としての異郷にすら戻ることができなかったのです。その外で「待って」いた3年の間に、この『Waiting』という映画を作りました。

なぜ戻れなかったかといいますと、占領下ではいつも新しい法律ができて状況が変わりますが、ある時期、ガザに住んでいる人間はガザから一切出てはいけない、という法律ができました。もし出てしまったら、もう帰れないかもしれない。でも、残ったらもう一生出られないかもしれません。ですから私は一旦出ることを決意して、そして戻ることができなくなりました。こう説明すると複雑ですが、要するに占領の気まぐれに翻弄された状況で、パレスチナの外で「待って」いるときに、この映画を作りました。

司会: では、ビーウィさん。
ビーウィ: まず簡単にモロッコ映画というものを紹介したいと思います。私たちモロッコの人口は3000万人くらいです。モロッコ映画は60年代の終わりごろに始まりましたが、60年代から90年代までは、年に1本くらいしか作れませんでした。技術を持っている人がいませんでしたし、そういう産業もありませんでした。90年代に入り少し状況が変わって、映画産業はもっとにぎやかになり、最近は年間5本から10本の映画が作られています。今ではラボも作られ、画像処理や技術的な作業ができるようになりました。とはいえ、まだ配給の問題はありますし、3000万の人口にしては映画を上映できる会場は少なく、あるにしても、あまり良い状況の会場は少ない。

それでも徐々に状況は良くなっており、最近では映画祭で50作の短編作品が上映されました。それぞれの作品を新しい監督が作ったので、要するに50人の新しい監督が生まれたばかりですから、これからはもっと成長すると思います。

『長い旅』はシナリオに3年、製作自体は2年間くらいかかりました。いろいろな国で撮影したので、やはり難しかった。フランスとの共同製作でなければ無理だったでしょう。
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