国内上映事業 アラブ映画祭2007 シンポジウム アラブ映画は一枚岩ではない エジプト映画への思い

「アラブ映画祭2007」

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アラブ映画祭2007 「アラブ映画シンポジウム」採録

アラブ映画は一枚岩ではない
アラブ映画シンポジウムの写真
2007年3月11日、赤坂・OAGホールにて

  • ゲスト:
  • アブドゥッラー・アル=ムヘイセン(サウジアラビア/『沈黙の影』監督)
    ナーセル・カミール(チュニジア/『バーバ・アジーズ』監督)
    アハセイン・ビンゼラーリ(アルジェリア/『インターネットの扉』主演)
    佐野光子
  • 司会:
  • 石坂健治(国際交流基金)
  • 通訳:
  • ナジーブ・エルカシュ

エジプト映画への思い

司会: 今回の映画祭ではエジプト映画を特集していますが、アラブ圏に広く行き渡っているエジプト映画とご自分の映画を比較していただいて、エジプト映画に対する思いをお聞かせください。
ビンゼラーリ: エジプト映画の影響について話すには、ふたつの大きな区別を付けなくてはいけません。エジプト映画は、アルジェリアの大衆に大きな影響を与えました。40年代、50年代とフランスの植民地時代が続いていた頃、アルジェリア人はエジプト映画を見ながら自分たちのアラブのルーツに触れました。

もうひとつはアーティスト、芸術家たちに対してですが、アートとしての影響はあまりなかったと思います。エジプト映画の影響力はアルジェリアの大衆には届きましたが、アルジェリアの映画製作者たちは、フランス映画やアメリカ映画も見ており、様々なところで勉強して影響を受けました。その結果アルジェリアにふさわしい表現方法を見つけて、アルジェリア独自の映画を作ることに努めました。
カミール: 私にとってエジプト映画は、80年代に止まってしまいました。それはちょうど私と同世代の映画監督たちが映画産業に入った時代です。  エジプト映画は、毎年30作品くらいを作り続けていましたが、80年代以降、エジプトで作られた30~40作品は映画館向けというより、ペルシア湾岸地域の産油国のホームビデオ、DVDマーケット向けに作られた映画だと思います。資金もマーケットである湾岸諸国から入っていたりして、映画らしさと芸術性がなくなりテレビ番組に似たものになってしまいました。

その前の時代から映画を作り始めていた巨匠たち、たとえばシャーディ・アブドゥッサラーム、ユーセフ・シャヒーン、ユスリー・ナスラッラーなどは、そういう真面目な映画づくりを続けていました。現在のエジプトは、いわゆる商業映画ではない映画を作ろうとする作家にとっては、アルジェリア、チュニジア、モロッコなどといった大きな映画産業を持たない国の作家たちと全く変わらない状況にあると言えます。その証拠にエジプトの監督たちも映画を作るには海外、ヨーロッパからの資金を得ずに製作するのは難しくなっています。質の良い映画はほとんどフランスなどとの共同製作で、エジプトからの資金だけでは作られていないのです。
司会: エジプト映画というのを核に置くと、「作家の映画」というのはエジプトの外だけではなく、中にいる作家たちも同じような問題を抱えている。では一方、まさに映画新興国サウジアラビアにとってのエジプト映画というのは、いかがでしょう。  アル=ムヘイセン:確かにアラブの監督たちはあらゆる映画の傾向、いろいろな国の映画の影響を受けています。特に現在はそうでしょう。ですが昔は映画といえばエジプトでした。アラブ世界で最初に映画産業が始まったのはエジプトです。ですから、エジプト映画があまり影響を与えていない、というのは違うと私は思います。20世紀にわたってエジプト映画は巨大な存在だったし、特にアラブ世界の東部、アラビア語で「マシュリク」という主にアジア大陸に入る、レバノン、シリア、パレスチナ、イラク、アラビア半島で、北アフリカではないアラブ諸国への影響は特に強かったのです。もちろん北アフリカはフランス植民地の時代が長く、関係も深かったので、フランス映画の影響は強かったと思います。またエジプト映画の成長が止まったという言い方には、私は同意しません。エジプト映画に限らずどこの国の映画もそうですが、非常に優れた作品もあれば、あまり良くない作品もあるのです。

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