「日独交流150周年記念 北斎展」独・ベルリンにて開催! 展示内容

【展示内容】

葛飾北斎(1760~1849年:現在の東京都墨田区生まれ)は、江戸時代後期に浮世絵師として画界に登場し、30回以上の改号をした作画活動は約70年にも及びました。そのすべての時期にわたる、錦絵、版本挿絵、絵手本、摺物、肉筆画などの作品約440点を公開します。

春朗時代

「正宗娘おれん 瀬川菊之丞」の画像
「正宗娘おれん 瀬川菊之丞」
1779年(安永8年) 個人蔵

勝川春章の門人として、1779年(安永8年)に勝川春朗の画名で画界に登場し、約15年を経た1794年(寛政6年)までは、春朗時代と呼ばれています。この時代は、春章の様式による役者絵や黄表紙の挿絵などのほか、子供絵、おもちゃ絵、武者絵、名所絵、角力絵、宗教画など幅広い題材の作品を発表しています。

宗理様式の時代

「賀奈川沖本杢之図」の画像
「賀奈川沖本杢之図」
1804-07年頃(文化初年頃) 墨田区蔵

1794年(寛政6年)に、約15年を過ごした勝川派から離脱し、琳派と呼ばれる装飾性の強い作品を発表した一派を継ぎ、俵屋宗理と号しました。この年代には狂歌をはじめとする韻文の文芸方面と係わりを強め、摺物や狂歌絵本の挿絵などで活躍し、高い評価を得ました。

北斎時代

「風流源氏うたがるた」の画像
「風流源氏うたがるた」
1809年(文化6年) 葛飾北斎美術館蔵

最も著名な葛飾北斎を号し、「東海道五十三次」をはじめとする浮世絵版画や肉筆画を発表した時期です。この頃には、長編小説の読本挿絵に力を注ぐようになり、絶大な人気を得て絵師としての地歩を固めました。それはおよそ1810年(文化7年)頃まで続きます。この間に約1000図もの挿絵を発表しました。

戴斗時代

「東海道名所一覧」の画像
「東海道名所一覧」
1818年(文政元年)葛飾北斎美術館蔵

1810年(文化7年)頃から1819年(文政2年)までの約9年間、戴斗の号を用い活動しました。 この時期、絵手本に傾注し、多く手がけたことで知られています。そのほか、名所旧跡等を題材に、 北斎ならではの視点の面白さで当時の人々の旅へのイメージを膨らませるような鳥瞰図や肉筆画なども残しています。

北斎の絵手本

「伝神開手 北斎漫画」八編の画像
「伝神開手 北斎漫画」八編
1818年(文政元年)個人蔵

1814年(文化11年)より出版された『北斎漫画』を中心に、全国の弟子、また各分野の職人の図案や素人の遊戯的な作画へのために摺られたものを絵手本といい、発表は最晩年に及びました。モチーフは人物、風俗、動植物、妖怪変化、また遠近法や黄金律の実験まで多彩に描かれています。 本展では、版木や関連する工芸作品なども展示します。

為一時代

「冨嶽三十六景 凱風快晴」の画像
「冨嶽三十六景 凱風快晴」
1831年頃(天保2年頃)葛飾北斎美術館蔵

1820年(文政3年)に為一と号してから年を経るごとに浮世絵版画に傾注しはじめます。この間に「冨嶽三十六景」をはじめとする風景画や花鳥画、妖怪画、戯画、武者絵などの著名なシリーズが集中して出版されました。北斎の約70年にも及んだ作画活動の中で、最も華々しい時代です。

最晩年

「 肉筆画帖 」の画像
「 肉筆画帖 」
1834-39年頃(天保5年以降、中期頃)
葛飾北斎美術館蔵

1834年(天保5年)に北斎は最後の画号卍を号してから、急速に錦絵の作品を減少させて、たくさんの肉筆画を制作し続けました。この年代の肉筆画は、日本や中国の故事古典、宗教画、動植物などを対象とした作品が大半で、すでに浮世絵師という立場から離れ、作画活動に移行していきました。

お問合せ

独立行政法人 国際交流基金 文化事業部造形美術チーム
担当:平、森 E-mail
〒160-0004 東京都新宿区四谷4-4-1 Tel:03-5369-6062

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