「琉球-沖縄芸能 大洋州公演―CHIMU―」

公演団からのメッセージ

私たちは、日本列島の南西端にある小さな島、沖縄本島からきました。 私たちの住む沖縄は、昔“琉球王国”という一つの独立国でした。十四世紀頃、中国への進貢により、琉球芸能は国家の“一大事業”となりました。琉球芸能の“文化的価値”を、“芸術外交”という形で王府は、上手く役立てました。これが今現在の、琉球-沖縄芸能に深く結び付いています。
沖縄の文化の特徴を表す言葉の一つに「チムの文化」があります。このチムというのは、肝とも表記し “心”のことを言います。
今回の公演のサブタイトルを“CHIMU”(チム)にしましたのは、人と人との繋がりを大切にしたいという思いでつけました。 沖縄には「チムグリサン」(心が痛む)という言葉があります。
2011年2月に、大地震がニュージーランドのクライストチャーチ近郊を中心に襲い、同年3月には東日本を大地震が襲いました。公演事業を通して震災からの復興を願い、被災国として共に「チムグリサン」の精神を分かち合い、心を前向きに歩んでいきたいという思いで“CHIMU”(チム)と名づけました。
文化や言葉も違いますが、同じく美しい海に囲まれた沖縄に生まれ育った私達が、私達の沖縄に伝わる島々の芸能を精一杯届けたいと思います。

公演概要
1部の「琉球舞踊」・・・  沖縄が琉球王国だった頃、国王・国賓の前で踊られていた、可憐で勇壮な美の舞。
2部の「島唄」・・・ 沖縄独自の言葉と旋律、50の有人島に今も唄い継がれている様々な島唄を、お届けします。
3部の「創作舞踊」・・・ これからの沖縄芸能の可能性が詰まった、明るく、時にはしっとりとした唄と踊り。

琉球-沖縄芸能には、心があり夢があります。公演を通して人々の心が元気になり、私達の素晴らしい未来に、希望を持って、一歩、一歩、進んでいきましょう。

琉球とは?

「琉球」とは、7世紀の中国の史書に初めて書かれた呼称で現在の沖縄、台湾周辺地域を示しています。12世紀のグズク時代から、15世紀の琉球王国の成立をへて、1609年の日本の島津藩の侵攻までの時代の流れを古琉球(こりゅうきゅう)と呼んでいます。

12世紀になると沖縄地方では、狩猟採集が中心であった長い貝塚時代が終わり、ようやく農耕社会が形成されました。
1429年に沖縄本島の三大勢力(三山)を統一した有力な按司、尚巴志(しょう はし)によって、“琉球王朝”は誕生します。良港を抱えていた三つの勢力は、中国や東南アジアとの交易を積極的におこない経済力を拡大していきました。
また古来朝貢貿易をしていた中国は、沖縄本島を「大琉球」と呼んでいました。

沖縄とは?

地名の由来は諸説ありますが、長門本(ながとほん)の「平家物語」に出てくる「おきなは」に「沖縄」の字を当てて作ったと言われています。
日本政府が1879年に「琉球処分」を進め、この地域を自国の領土であることを示す際に、県名として「沖縄」が採用されました。

ちなみに標準語では(おきなわ)ですが、沖縄では(うちなー)とよびます。
沖縄は、琉球王朝時代から沖縄県へ、そして戦後のアメリカ統治時代など、時代と社会ががらりと替わる「世替わり」を何度か体験しています。
世替わりの「世」とは、時代・社会という意味です。日本の標準語では「世」を(ヨ)と読みますが、沖縄の言葉では(ユー)と読みます。

沖縄の島唄

沖縄の有名な島唄「時代の流れ」に次のような一節があります。

~唐(トウ)ぬ世(ユー)からヤマトに世 ヤマトの世からアメリカ世ひるまさ変わたるくぬ沖縄(ウチナー)

(意味)
~中国の影響下の世から大和(日本)の世、大和の世からアメリカの世がらりと変わってしまったこの沖縄

民衆の中で唄われ、聴かれる島唄は、民衆の生きていく姿勢や時代と無関係ではありません。
沖縄人(ウチナーンチュ)は、唄や踊りとともに為してきたから、いつの時代もしなやかに生きてこられたのではないでしょうか?
唄を聞くことは、どんな世替わりがあろうと、その唄が生まれた「世」=時代・社会を聞くことにつながると思います。

琉球-沖縄芸能 大洋州公演―CHIMU―[企画・構成・演出]大城隼(Stylish H20)

公演内容の一部紹介

~第一部(琉球舞踊)~

① 四つ竹

お祝儀舞踊のひとつで、悠長な地謡の三線の音色に沖縄の踊りの象徴的な花笠を被り、衣装は、琉球王国の時代から受け継がれてきている染物の紅型を身に着けて踊ります。 両手には四つ竹という、四つの竹を持ちカチカチと打ち鳴らして踊ります。 「今日の晴れのお座敷に出て踊ることは、とても嬉しい」という歌詞の内容で踊られています。

② かせかけ

かせかけの写真

いとしい人を旅立たせ、その留守をあずかる若妻が遥かなる人を偲びつつ、夜の伽をしながら布を織っていく心の動きをたくみに表現しています。 小道具に「綛(かせ)」と「枠」をあしらい、快いリズムで運ぶ曲想とわかりやすい振りによって、多くの人々に親しまれ、愛されている踊りです。着付が、右肩袖抜きになっているのは、上級家庭の婦人が仕事をしているとの表現です。

③ 若衆ゼイ

ゼイとは武将が手にした采配用の道具のことですが、沖縄の踊りでは、勇壮活発さを表現しながらも、内容は五穀豊穣を祈願し、太平の御代を寿ぐものになっています。
着付は、頭に半向頭巾(はんこうずきん)、飾り花を挿し、金銀の水引を挿し、振袖衣装に引羽織を重ねています。

④ 鳩間節

鳩間節の写真

鳩間とは、沖縄にある小さい島のひとつで島の村祭りである「結願祭」(きつぃがんさい)で五穀豊穣を祈って踊られる踊り。本来はゆったりとしたテンポの曲ですが、芝居役者によって曲がテンポアップになり、活発な踊りに創り変えています。
空手を基礎にした琉球舞踊と、日本本土の舞踊カッポレをうまくミックスした踊りになっています。

⑤ しよんだう

二人の美女と二人の醜女が絡み合いながら展開する打組踊です。
踊りの中でも一種の劇的な内容をもたせ、心の冷たい美女と明るく誠実な醜女に配してユーモアたっぷりに踊る面白い踊りです。
着付は、美女は士族階級の婦女子の晴れ着を着け、醜女の面をつけた二人は百姓の女を表す地味な衣装を身に着けています。

~第二部(沖縄民謡)~
沖縄の生活の中から生まれた労働歌、子守唄などは、主に口承によって伝わり、伝統的な歌唱曲になっています。

その歌詞に合わせて、三線の音を加え、今日まで親しまれ愛され受け継がれてきています。
集落ごとにオリジナルの民謡を持っていることが多く、また多くの市町村に広まっている唄であっても、集落ごとに異なった歌詞のバリエーションを持っていることがあります。

西洋音楽との違いは、沖縄(琉球)民謡は、「ドミファソシド」という音階を用いられています。この音階は東南アジアでも演奏されています。

今回お届けする歌は、村遊びや男女の恋愛には欠かせない曲、歌い手よって三線の演奏法や節回しが異なり、地域ごとの風物、生活、情景を織り込んだ曲の数々と演奏します。

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