開高健記念:アジア作家講演会シリーズ11 講演者紹介

講演者紹介

現代タイの文学界で最も注目されることの多い作家チャート・コープチッティ氏(1954-)をご紹介します。(代表作はこちら)

チャート・コープチッティ氏

チャート氏はバンコクの南西部の海沿いにあるサムットサーコン県に生まれ、中学時代には親元を離れてバンコクのお寺で寄宿生活を送っています。その後、バンコクの美術工芸専門学校を卒業すると、皮鞄製造で生計を立てるかたわら作家修行に励みました。25歳の時に「勝利の道」(1979)という短編が著名な編集者ルアンデート・チャンタラキーリー氏の目にとまって文芸誌『読書界』に掲載され、新人に与えられるチョー・カーラケート賞を受賞しました。この頃までのことは、チャート氏自身が講演の中でも触れると思いますので、詳細は省略します。

最初の短編集『勝利の道』(1979)、中編『袋小路』(1980)と立て続けに作品を発表した後、はじめての長編『裁き』(1981)で東南アジア文学賞を受賞しました。この文学賞は1979年にバンコクで創設され、いまではASEAN10カ国から毎年それぞれ受賞者が出ることになっています。複数の文学賞のあるタイの中でも最も権威のある文学賞です。

『裁き』は、亡父の寡婦である精神薄弱の女性と同居生活を送る善良な主人公が、村人の風評や誤解にさらされることで肉体的にも精神的にも破滅していく過程を、死体がゆっくりと腐敗していくのを観察するようなリアルな視点で描いた粘着質の長編です。この作品はその後、日本語でも出版され、また最近は英語や中国語にも翻訳されました。その意味では、チャート氏にとってタイ文学界にその才能を認めさせることになった記念碑的な作品といえるでしょう。

「物書きはまずよく読み、よく思考し、書くのは少なくあるべきだ」という信条を掲げる彼は、平均すると2年に一冊のペースで作品を世に問うていましたが、1989年に短編集『マイペンライの都』を出した後、4年間にわたってアメリカに滞在しました。この間、タイの文芸ジャーナリストはその理由を質そうと試み、「ノーベル賞級の作品を書くために英語を磨きに行なったのだ」という風評まで飛び交いましたが、彼自身は個人的な事柄だからとして理由を明らかにしていません。エッセイ集『とりとめのない人生四方山話』(1996)を読む限りでは、アメリカ滞在中の日常生活は、芸術家に必要な一種の充電期間であったのだろうと推測されます。

その証拠に、帰国後に出した長編小説『時』(1993)はそれまでとはがらりと異なる新しいスタイルをとっており、タイの読書界で大いに反響を呼びました。映画と演劇の手法をとり混ぜて老人ホームの住人の風変わりな言動を作中の映画監督の眼差しを通して描いた小説で、初版6000部は飛ぶように売れ、第2版も3000部がわずか4カ月で売り切れました。名のある作家の作品がせいぜい初版3000部、学術書は多くて1000部というタイの出版界にあっては、これは事件とも言える出来事です。

結局、『時』は彼にとって2度目の東南アジア文学賞受賞作となり、英語訳も出されました。この賞を2度もとった作家には、ほかに長編『平行線上の民主主義』(1997)と短編集『人間と呼ばれる生き物』(1999)の受賞者であるウィン・リョウワーリン(1956-)がいるだけです。ウィン氏は昨年、やはり国際交流基金の文化人招聘プログラムで来日、日本の作家との対談を行なったりしています。

チャート氏手作りの家

1995年にバンコクから車で3時間ほどの所にあるナコンラーチャシーマー県の豊かな自然に囲まれた土地に手作りの家を建て、夫人や愛犬と共に移り住んでからは、創作活動を続ける傍ら1年間ほど文芸月刊誌『Writer Magazine』で外国作品の書評コラムを執筆しました。また現在は芸術雑誌『シーサン(色彩)』にエッセイを連載しています。

「実験が私の小説のスタイルだ」「他の人が書いていないものを書く。他の人が書いていたら、それよりもっといいものを書く」というモティーフを重視するチャート氏によれば、『裁き』までの作品はリアリズムを基調としていたが、その後はすべて実験的なフィクションであるそうです。確かに、昨年発表したばかりの『逆風』(2000)も映画シナリオのスタイルをとった小説であり、小説の実験を目指すというチャート氏の衰えない意欲を十分に感じさせます。

ただ、650頁もある長編『狂犬たち』(1987)の場合は、プロットの80%が事実(本人の言)であることからすると、この作品に関しては、若い頃の著者と芸術家肌の友人たちとの、時には破天荒とも狂気とも思える実体験の内容そのものを、道徳的規制の強いタイ社会に投げかけることが、いわば一種の実験であったと考えているのだと思われます。

タイで近代文学がスタートしたのは他の東南アジア諸国と同じ1930年代と比較的新しいのですが、その後の道のりは決して平坦なものではありませんでした。軍事政権による検閲・発禁等表現の自由の制限や投獄など日本の作家とは比較にならない厳しい状況に身をさらしながら、タイの作家たちはそうした現実と真っ向から対峙する中で表現活動を続けてきたのです。

タイでは、現代文学とは一般には1973年の民衆反乱による軍事政権打倒以降の文学を指します。当初は「ルン・マイ(新世代)」と呼ばれる若手作家たちがチット・プーミサック(1930-65)やシーブーラパー(1905-1974)らの「生きるための文学」を合い言葉に農民や都市下層大衆の立場に立った社会参加型の作品を発表しました。しかし、80年代以降になると、タイ経済の急速な発展に平行する形で、小説のテーマが社会的問題から個の内面世界へと大きな転換を迫られつつあり、カノックポン・ソンソムパン(1966-)などのより柔らかな感性と可能性をそなえた新しい世代も育ってきています。

とはいえ、タイの社会がなお根本的な社会的矛盾を抱えている限り、抑圧される側に視点を据えた作品はチャート氏の言う新しいスタイル、新しい視角を携えてこれからも登場してくるでしょう。チャート氏の全著作や発言などから判断する限り、彼は下層階級や中産階級の生活と精神世界に最も強い関心を持っていることが分かりますが、決してそれに止まるものでないことは、音楽、美術、演劇といった芸術全般や仏教への関心の強さからも分かります。今や中堅作家の雄であるといっても過言ではないチャート氏の今後の創作活動に大いに注目したいと思います。

(宇戸 清治 東京外国語大学教授)

チャート・コープチッティ氏代表作
ターン・チャナ 『勝利の道』(短篇集)のタイ語 ターン・チャナ 『勝利の道』(短篇集) 1979年
カム・ピパークサー『裁き』(長篇)のタイ語 カム・ピパークサー『裁き』(長篇) 1981年
ミート・プラチャム・トゥア『携帯用のナイフ』(短篇集)のタイ語 ミート・プラチャム・トゥア『携帯用のナイフ』(短篇集) 1984年
パン・マー・バー『狂犬たち』(長篇)のタイ語 パン・マー・バー『狂犬たち』(長篇) 1987年
ナコーン・マイペンライ『マイペンライの都』(短篇集)のタイ語 ナコーン・マイペンライ『マイペンライの都』(短篇集) 1989年
ウェーラー『時』(長篇)のタイ語 ウェーラー『時』(長篇) 1993年

ページトップへ戻る