サンパウロ・ビエンナーレ

サンパウロ・ビエンナーレ略史

第26回サンパウロ・ビエンナーレ
第26回サンパウロ・ビエンナーレのもよう

ヴェネチア・ビエンナーレに影響され、イタリア生まれの実業家フランシスコ・マタラッゾ・ソブリンホ氏が1951年に第1回サンパウロ・ビエンナーレを開催しました。ビエンナーレは、はじめのうちは、サンパウロ近代美術館(MAM)の主催でしたが、すぐに、MAMが全エネルギーをそれに注がねばならないほどの一大イベントに成長し、ついには、MAMだけでは間に合わなくなり、1957年の第4回ビエンナーレから、イビラプエラ公園にあるオスカール・ニーマイヤー設計の3万平方メートルの展示スペースをもつ巨大なコンクリートとガラスの建物であるチッチロ・マタラッゾ・パヴィリオンに、展示会場を移動することになりました。1962年には、すでにブラジルのみならず海外でもその名声を確立していたサンパウロ・ビエンナーレはMAMから独立して、財団へと変身をとげました。

現代アート展のみならず回顧・歴史的な展示をも行なって、サンパウロ・ビエンナーレの声価が高まり、世界の美術界で重要な座をしめるようになりました。過去46年間に展示した主なアーティストは、アルバース、ベーコン、ベックマン、ボイス、ビル、ボルタンスキー、ブーリ、シャガール、デルヴォー、デュシャン、フォンターナ、ギルバート&ジョージ、グストン、アルタン、ヘップワース、ホクニー、ジャド、カンディンスキー、キーファー、キルヒナー、レジェ、マグリット、モンドリアン、モランディ、マザーウェル、ニューマン、ノルデ、ポロック、リヴェラ、シュミット・ロットルフ、シュウィッタース、スミス、ティンゲリー、ヴァン・ゴッホ、バザレリー、そのほか多数です(アルファベット順)。

特に素晴らしいビエンナーレが何回かありました。サンパウロの400年祭を祝う第2回ビエンナーレでは、ムンク、クレー、ブランクーシ、ローレンス、モンドリアン、ココーシュカ、アンソール、カルダー、マリーニ、ムーア、ピカソの「ゲルニカ」などの作品を展示しました。ピカソの展示室のほかにも、イタリアの未来派とフランスのキュービズムのふたつの特別展がありました。第9回ビエンナーレでは、北米のポップ・アーティストたちの力強い存在感が注目され、インディアナ、リキテンシュタイン、オルデンバーグ、ラウシェンバーグ、ローゼンクィスト、ルシェ、シーガル、ウォーホル、ウェッセルマンの作品が展示され、また、ホッパーの回顧展が開かれました。

1980年代にビエンナーレは、アーティストたちを、国別よりもアート言語の類似性によって展示スペースで区分する方針を採りました。展示のコンセプトの枠組みを明確に表現するうえで、その存在が重要だと考えられる現代アーティストたちを招待しました。たとえば、ブレン、シャルフ、ハリング、アブラモビッチ/ウレイ、ケージ、ジャアール、カステリ、それにCOBRAというグループなどです。マンゾニ、デュシャン、ステラ、フルクサスのために特別展が催され、ビデオ・アートの特別展も開かれました。1994年の第22回ビエンナーレでは、「支持体の崩壊」というテーマで、博物館学的に高水準の特別ギャラリーをつくり、マレーヴィッチ、モンドリアン、フォンターナ、リヴェラ、タマヨ、トレス・ガルシアらの作品を展示しました。

1996年の第23回ビエンナーレでは、「千年紀の終わりにおける美術の非物質化」がテーマでしたが、第22回ビエンナーレでの新しい試みを引き継ぎ、さらに、ウニヴェルサリス展を加えて、8人の国際的に著名なキュレーターが選んだ41人の現代アーティストを招待して、世界のアートの今日の傾向が一目でわかるよう展示しました。このビエンナーレには、75カ国からアーティストが参加し、ピカソ、クレー、ムンク、ラム、ウォーホル、トゥオンブリ、ブールジョア、ゲゴ、バスキア、ゴヤの彫刻などの重要な作品を展示して、世界でもっとも重要でスケールの大きい国際展のひとつとして、その評価をさらに確実なものとしました。

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