平成19(2007)年度中高教員交流(招へい)事業 第2グループ同行記 #8

青木 公(ジャーナリスト/筆者紹介

12月15日から16日にかけて、週末に1泊2日のホームステイ。する方も、させる方も、こわごわ、しかし期待も大きい。ホームステイ先の日本家族の一部は、12日夕の歓迎パーティーで既に来日教員と出会っている。パーティーで、顔合わせしたホームステイ受け入れ者は、多彩だった。

愛媛県国際交流センターの今井好幸所長によると、「100人ほどの県民が登録している。愛媛人は保守的といわれるが、積極的に外国の人とつき合いたいという人はいる。その国なら、その言葉なら、と受けてくれる」。歓迎パーティーに姿をみせたホームステイ先の市民は、「一戸建て、子供は独立。部屋が空いているので」「定年退職後は、世のためになれば」「夫は語学好き。私も慣れて、泊まった人から電話がきたりして楽しくなった」と、夫妻で教師と打ちとけていた。

流暢な英語で、英語国の教師と話し合っている少年がいて驚いた。母親いわく、「うちは転勤族。本拠は、米軍横田基地のそばなので、子供は基地の英会話学校に通っていた。松山に来てからは、英語を話す機会がなく、さびしい思いをしていたので、ホームステイはチャンスでした」という。

フランスからの教師と英語で話す女子高生がいた。「オーストラリアで夏休み英語留学しました。短期でしたが、外国人と話すのは苦にならなくなった」と、家族もホームステイを引き受けたという。

レセプションで太鼓を試す招へい教員の写真
レセプションで太鼓を試す招へい教員

歓迎会の余興で演奏した琴と尺八の二人はボランティア。郷土太鼓のグループは、アフリカからの教師をひきつけ、英語が苦手で孤独なロシア教師や、南太平洋の女教師も舞台に上がって太鼓をたたき、国際村祭りのように盛り上がった。

タイの女性教師と2日間を過ごした松山市民は、どんな国際交流をしたのだろうか。「歴史の先生で、あまり英語は得意じゃないらしかったが、親戚のおばちゃんみたいで、思わず日本語で話してしまった。パイナップルを気に入ってくれ、タイのポーチみたいな小袋をもらったり、まるで孫のようにかわいがってくれた」。週末なので、一家で車で、瀬戸内海の島を橋でつなぐ「しまなみ海道」や大山祇神社へ案内、できるだけ楽しんでもらったそうだ。

来日教師たちは、国際交流基金の事前アンケートでも、率直に観光とかショッピングも楽しみと記していたから、タイのおばちゃん先生もホームステイを満喫した。英文の電子メールで交流が続くかもしれない。

これは今回のグループではないが、5年前にホームステイしたフランスはブルゴーニュ地方からの地理の教師と、文通や電子メールを続けた主婦の場合―「ブルゴーニュに遊びに行きたい、とメールしたら、さっそく観光パンフレットが送られてきて、夏休みに子供二人を連れ一家四人で、夢のフランスへ出かけてしまった」

Cグループのフランス教師は、携帯パソコンを持参。毎夜、幼い娘に、その日の訪問先の写真を送り続けていた。ホームステイ先の家族の様子も、即日、留守宅に届けられたに違いない。IT時代の国際理解教育といえよう。

愛媛県の国際化は広がっていた。定住した外国人が、小、中学校の英語や国際理解の教育助手として健在なのは、先述したとおりだ。人口150万人の愛媛県で外国人居住者は9,300人。半分は中国や東南アジアからの人々だが、この10年で2倍に増えた。中国、韓国とは自治体レベルで相互交流が深まっている。

インターネットで、今回の教師グループの来県とホームステイ募集を知った市民は、連絡先が国際交流基金、外務省、文科省となっていたので、結構な規模の国家プロジェクトではないか、と応募した。結果は満足で、何よりだ。

一方で、国際交流基金は、来日教師の受け入れを都道府県などの自治体に呼びかけているが、積極的に受け入れてくれるところは多くない。外国人への応対、英語の壁、準備の大変さ故だろうが、愛媛県での6日間を見聞した限りでは、26カ国の教師たちと地元の教育関係者・市民の双方にとって、得るところは少なくなかった、と同行者としては感じた。

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