ヴェネチア・ビエンナーレ 国際建築展 10回 藤森建築と路上観察

藤森照信

近年、日本では、二つの特異な芸術的動きが注目を集めている。藤森照信の建築と路上観察の二つである。
日本の現代建築は、槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生、安藤忠雄、伊東豊雄、妹島和世といった世界的に活躍する建築家によってリードされ、ル・コルビジェとミースとグロピウスに根を持つモダニズム(合理的、機能主義、国際主義)の道を突き進み、よく知られているように、現在、世界の最先端を切り拓いている。

そうした日本の現代建築の中に、15年前、突如、藤森の奇妙な表現をした建築が登場した。まず目立つのは仕上げで、土、石、木、炭、樹皮、漆喰といった自然素材が、全面的に、それも荒々しく使われている。たとえば、壁には手割りの板や焼いた板を張るとか、屋根には厚いスレート板や樹の皮を葺くとか、室内には粗く削った柱や焼いた柱を林立させるとか、天井には薪(まき)や炭を使うとか。

ふつう、そうした自然素材を使う時、建築の形は、近代以前の伝統的様式をベースとするものだが、藤森の表現は、日本はむろん世界のいかなる伝統的様式とも切れてしまっている。伝統的様式と切れてはいるが、しかしモダニズムでもない。どの場所いつの時代にもつながらない。その意味では、インターナショナルである。インターナショナルにしてヴァナキュラーである。

藤森は45歳で設計を始めるまで、建築史家であった。建築史家として藤森は、“インターナショナルは、人類の建築の長い歴史の始点側と終点側の方の二つに存在する”と考えている。そして、終点側のインターナショナルを追究したのが20世紀建築であった。藤森は始点側の、まだ国も生まれず民族もない頃のインターナショナルを追い求めている。

藤森建築のもう一つの特徴は、植物を建築に取り込むことにある。建築と自然の関係に深い関心があるからである。
ふつう建築に植物を取り込むには屋上庭園を作るが、屋上庭園と建物は、視覚的、美的に対立もしくは無関係になることが多い。ル・コルビジェが、当初強く主張していた屋上庭園を途中で止めたのは、建築に植物を取り込むと美的な矛盾が生ずることに気づいたからではないか。

美的な矛盾なく植物を建築に取り込むにはどうしたらいいのか。この答えを求めて、屋根にニラを生やしたり、壁にタンポポを植えたり、屋根全体を芝でおおったり、屋根のてっぺんに松をシンボリックに植え込んだりしているが、かならずしもうまくはいっていない。
自然素材と植物を使って、建築と自然の関係を根本から考え直し、かつ人類がはじめて建築という人工物を作った時点に迫りたい、というのが藤森の望みである。未来ではなく過去に向かっての前衛である。科学技術の時代である現代では、勝算のない無謀な試みとしかいえないが、一縷の望みをルドウ-の方法に賭けている。“幻視によってイマージュのレアリテを得るルドウ-氏の方法”に。

路上観察とは、路上(日本語でROJOと発音)を歩いて、ふつう人が気にも止めないような物件に目を向け、カメラで採集することをさす。ROJO(=road)のobservationである。といっても、取り上げる物件には条件があり、まず、ふつうの意味で美しい物は除かれる。また、商品やファッションも“生もの”とよばれて除かれる。生ものは腹をこわす。
取り上げるのは、マンホールの蓋、ドアのノッカー、面白い形をした郵便受け、増改築で奇妙な姿となった家、人の顔のようなファサードの建物、昇っていくと壁に突き当たる階段、鉄の柵を食い込んだ街路樹、乳母車に乗せられた植木鉢、途中で切れるスリリングなスベリ台、コンクリートの路面に付いた猫の足跡、などなど。いづれも、その物が生み出された本来の目的からズレたところに面白さを見出している。

1986年、画家・作家の赤瀬川原平、建築史家の藤森照信、イラストレーターの南伸坊、作家の林丈二、編集者の松田哲夫の五人を中心メンバーとして路上観察学会(ROJO Society)は結成され今日にいたっている。
グループの中核に立つ赤瀬川は、1960年代に、「ネオ・ダダ」や「ハイレッド・センター」に属する前衛作家として活躍したことで知られるが、70年以後、前衛の道に行き詰まり、人が意識的に作る作品や美に疑問を覚え、やがて前衛の道から逸脱する。そして、路上観察へともんどりうった。

赤瀬川の歩みが語るように、路上観察は、現代美術が終わった後の視覚的活動なのである。
藤森建築と路上観察(ROJO)の二つはどんな関係になっているのか。時期的にみると、1986年に路上観察学会が結成され、藤森の処女作の神長官守矢史料館は5年後の1991年に作られている。路上観察が藤森作品に影を落としている可能性は否定できないが、どのような影かはまだ説明できない。

藤森建築第三作の赤瀬川邸の建設工事の一部を路上観察学会のメンバーが受けもった。薪を天井に取り付けたり、ニラを植えるなどの工事をプロがやってくれないので、メンバーやその友人たちが集まって工事をした。
この時、縄文建築団が自然発生する。5,000年前の日本の新石器時代を縄文時代という。手仕事の内容があまりに原始的なので、そう呼ぶようになった。以後、藤森建築の工事のたびに縄文建築団は参加している。今回の日本館の会場工事も縄文建築団の手になる。
藤森建築と路上観察の二つは、生まれて20年になり、日本の建築界と美術界とジャーナリズムのうえでは、広く知られるようになり、各方面に影響を与えているが、海外はむろん日本でもこれまで本格的な展覧会は開かれていない。今回が初めてとなる。

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