ヴェネチア・ビエンナーレ 国際美術展 50回 日本館テーマ

NATIONAL PARTICIPATIONS 日本館

コミッショナー 長谷川 祐子(Yuko Hasegawa)金沢21世紀美術館建設事務局学芸課長
出品作家 曽根 裕(Yutaka Sone)、小谷元彦(Motohiko Odani)
日本館主催 国際交流基金
Installation Viewの写真
Yutaka Sone / Installation View
撮影:木奥恵三 提供:国際交流基金
Double River Islandの写真
Yutaka Sone / Double River Island
(Work in Progress) 2002-2003

撮影:木奥恵三 提供:国際交流基金

概要 Heterotopias (Other Spaces)

第50回ヴェニスビエンナーレ日本館における展覧会は、ヘテロトピアス Heterotopias(他なる場所)をテーマに、曽根裕、小谷元彦の二人の作家によって構成される。

「ヘテロトピア」は文字通り「他なる場所、異所」を意味する。ここではない、どこか他の場所というとき、例えば非日常、周縁、間違った場所、などさまざまなとらえかたが可能であろう。
またこの言葉は「ユートピア」との関係でとらえられる。例えば、ミシェル・フーコーは、あらゆる場所と関係しながらも同時にそれとは矛盾する奇妙な場、日常生活から逸脱する「他なる空間(場)」としてユートピアとヘテロトピアを挙げる。
フーコーは、ユートピアは現実には存在しない思考の中の空間であるが、ヘテロトピアは実際の施設や制度の中に現実に存在しながら、人々を現実から運びさる場であるとし、博物館、図書館、オリエントの庭園、移動遊園地、植民地、船などを例として挙げる。
それは理想の場所の象徴として語られるユートピアが原義として「どこにもない場所(nowhere)]であるのに対して、理想的であれ、悪い場所であれ、「ここではない」どこかにある、という現実感をもった場所としてとらえられる。
そこで、ヘテロトピアはモダニテイの周縁的な場として、モダニテイの閉じた状態と確実性をつねに崩壊の危機にさらすものとして論じられている。
また、医学用語や生態学でいう位置異常や異常生殖は、異なったー間違った場所としてのヘテロトピアを意味する。しかしそれは同様に、正常とよばれる状態に対する揺さぶりの因子をも指し示している。

日本は複数の意味でヘテロトピックである。地理的に周縁にあるばかりでなく、極東の島国で多様な文化を貪欲に受容し、もとの文脈を脱構築し、独自の文脈の中で「日本化」してしまう。
その比喩的なイメージは、東京に示されるように、多くの異なる空間が集まり絡まり合い、混在する空間である。
そこには高度にハイブリッド化されたサブカルチャーの産物がヘテロトピア(異常生殖地)のように繁茂している。それはモダニズムのトポスから見れば奇妙な外部であり、他なる場所でありつづけている。
この展覧会は、「他なる場」ー日本ーが生み出した2人の作家がつくりだす、主流であるモダニテイの閉鎖性を周縁から脱構築しようとする「場」を見せるものである。
建築を学び、彫刻や映像インスタレーションによって、いまここにある「風景」をつくりだそうとする曽根裕、伝統的な木彫を学び、彫刻や映像インスタレーションによって見る者の感覚や意識の変異を生じさせようとする小谷元彦。彼らの作品は、日本の文化を表しつつ、同時に異議を申し立て転倒してしまうカウンターサイトをつくりだす。

曽根裕は、未知の風景をつくる「風景作家」といえよう。自称「底なし沼をほる男」の通り、日常風景の延長でありながら、「実現されえない」試みへの行為を通していつのまにか人々を未知の風景ー「逸脱の場」に誘う。
「19個のモノサイクルをつなげて、19人の異なる言語を話す人々に同時にこいでもらう「19番目の彼女の足」香港島の「夜景」を大理石で彫ろうとした彫刻「雪豹」、友人に自分のかわり旅行してもらい、夜行バスからの「誰も見ない」夜の光景をヴィデオで撮影してもらった「ナイトバス」。それは現実の日常空間と不可能な試みがなされている空間との併置による「転倒」である。
曽根自身が語る「未知の風景をつくりだし、未知の感情を生み出す」ことは、アミューズメントやジャングルの主題にも見られるように、現実の場や日常性とかかわりつつ、これを転倒させる、「現実にここに存在するユートピア」としてのヘテロトピアの生成なのである。

京都という極東の文化が高度に圧縮された環境で育った小谷元彦は、木彫の秀逸な技巧を用い、伝統と「サブカルチャーの刺激的な現代性」の両方を呼吸する彫刻を作る。アカデミックで古典的な土壌に、SFやホラー映画、コミックやMTVによって醸成されたその想像力は、官能、動き、スピード、恐怖、などのプリミテイヴな感覚に訴えかける表現として結晶する。
グロテスクで華麗、速度を内包した形態は分裂的で病理的な様相をおび、時にユーモアとバカバカしさを漂わせる。それらの作品は、小谷の立つ、ハイブリッドな異物が集積された「ここ」の異所性、ヘテロトピアを反映している。
彼がテーマとする変異、変容は、現在の分裂的意識や身体性への批評にはじまり、意識や生物学的レベルを通して、「もう一つの我々の未来」、進化のヴィジョンにまで及んでいる。

日本館において、曽根は新作「ダブル・リヴァー・アイランド」を展示する。これは島の形態をした直径4メートル余の彫刻であり、その島には海岸、氷河、雪山、高原、砂漠、ジャングル、川、洞窟など世界のあらゆる風景がつくられる。
いくつかの異なる空間、相互には異質で「それら自体では相容れないいくつかの場」を、一つの現実の場に併置できるのがヘテロトピアであり、これはその「混在のヘテロトピア」のモデルである。
小谷は彫刻、空間インスタレーション、映像など新作4点を展示する。そこは、物質的なフォームだけでなく、音や光によって、見る者に生物学的に、感覚的に「異なった状態」への変異をうながす「変異の場」となる。

ヘテロトピアは現実の社会の中にあって具体的な抵抗の場を形成する。現実世界への「ゆさぶり」を、曽根と小谷がつくりだす2つのヘテロトピアは「混在」と「変異」によって示している。

(コミッショナー  長谷川 祐子)

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